ラ クンパルシータ [タンゴ]
タンゴ「ラ クンパルシータ」を踊る子供達に出会いました~☆
”La cumparsita”は1917年に南米ウルグアイの建築家ヘラルド マトス
(Gerardo Matos)によって作曲され、その後アルゼンチン人のエンリケ マローニ
(Enrique Maroni)とパスクアル コントゥルシ(Pascual Contursi)
の両人によって作詞されました。
作曲されてから92年間世界中で親しまれ、今後もタンゴの不滅の名曲として
その歴史を刻んでゆくことでしょう。。。
ところで「ラ クンパルシータ」というスペイン語の意味ですが、「ラ」は英語の「The」に
あたる定冠詞で、クンパルシータというのは「小さなコンパルサ」、「コンパルサ”comparsa"」
の意味は「カーニバルで愉快な音楽にのせて行進する同じ仮装をしたグループ」という意味です。
本来なら「コンパルシータ」となるところですが、これが変形して「クンパルシータ」と
なったのです。
子供達の踊る「ラ クンパルシータ」、微笑ましいタンゴでした~☆
マトス氏は建築学部の学生であった1916年口笛で作曲し、
同氏の姉に「ウルグアイ大学学生連盟の連盟歌」であると偽って楽譜
作成を依頼したとのことです。後になってタンゴであるとわかった姉は
その後一切の演奏を拒否したとの逸話が残っています。。。
1917年4月19日ウルグアイの首都モンテビデオ市の中心にある
「ラ ヒラルダ"La Giralda"」という当時有名なCaféバーにおいて
アルゼンチンの音楽家ロベルト フィルポ(Roberto Firpo)とその楽団
によって演奏され、聴衆の絶賛を浴び、作曲したマトスは熱狂した聴衆に
肩車をされ凱旋したのです。
その後、競馬が趣味であったマトス氏は競馬での損失を穴埋めする為、
この曲の版権を出版社に売却したということです。
では、プロダンサーによる正統「ラ クンパルシータ」です~☆
プロダンサーでありダンス教師でもあり振付師でもあるGustavo Naveiraさんと
Giselle AnneさんのHome page はこちら:
http://www.gustavoygiselle.com/
”La cumparsita”は1917年に南米ウルグアイの建築家ヘラルド マトス
(Gerardo Matos)によって作曲され、その後アルゼンチン人のエンリケ マローニ
(Enrique Maroni)とパスクアル コントゥルシ(Pascual Contursi)
の両人によって作詞されました。
作曲されてから92年間世界中で親しまれ、今後もタンゴの不滅の名曲として
その歴史を刻んでゆくことでしょう。。。
ところで「ラ クンパルシータ」というスペイン語の意味ですが、「ラ」は英語の「The」に
あたる定冠詞で、クンパルシータというのは「小さなコンパルサ」、「コンパルサ”comparsa"」
の意味は「カーニバルで愉快な音楽にのせて行進する同じ仮装をしたグループ」という意味です。
本来なら「コンパルシータ」となるところですが、これが変形して「クンパルシータ」と
なったのです。
子供達の踊る「ラ クンパルシータ」、微笑ましいタンゴでした~☆
マトス氏は建築学部の学生であった1916年口笛で作曲し、
同氏の姉に「ウルグアイ大学学生連盟の連盟歌」であると偽って楽譜
作成を依頼したとのことです。後になってタンゴであるとわかった姉は
その後一切の演奏を拒否したとの逸話が残っています。。。
1917年4月19日ウルグアイの首都モンテビデオ市の中心にある
「ラ ヒラルダ"La Giralda"」という当時有名なCaféバーにおいて
アルゼンチンの音楽家ロベルト フィルポ(Roberto Firpo)とその楽団
によって演奏され、聴衆の絶賛を浴び、作曲したマトスは熱狂した聴衆に
肩車をされ凱旋したのです。
その後、競馬が趣味であったマトス氏は競馬での損失を穴埋めする為、
この曲の版権を出版社に売却したということです。
では、プロダンサーによる正統「ラ クンパルシータ」です~☆
プロダンサーでありダンス教師でもあり振付師でもあるGustavo Naveiraさんと
Giselle AnneさんのHome page はこちら:
http://www.gustavoygiselle.com/
2009-05-29 06:09
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コメント(8)
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タンゴって情熱的で色っぽいですよねえ~。
子供たちのはほほえましいですね。
「ラ・クンバルシータ」・・・小学校の音楽会で演奏したクラスがあったかも・・・。(娘たちが小学生の頃)
by Cecilia (2009-05-31 16:50)
Ceciliaさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
艶麗でキザでもありますね。
1910年代にパリで大流行し教会がダンスを禁じたそうですね。
「ラ クンパルシータ」の他に「カミニート」なども音楽会でとりあげられるのではないでしょうか~☆
by アマデウス (2009-05-31 23:07)
しばしご無沙汰し、失礼いたしました。
by デザイン屋 (2009-06-04 20:10)
上の子供達の姿をみると、踊りの情熱が既に発露しているように見えます。
You-tubeの踊り、見てびっくりしました。こんなに色っぽいのですね。
恋人同士で、踊り上手だったら楽しいのでしょうね。とにかく、絵になる踊りだと思いました。
by アヨアン・イゴカー (2009-06-05 10:19)
この曲、La cumparsitaっていうんですね。
勉強になりました(^o^)
by nekotaro (2009-06-05 11:12)
デザイン屋さん!こんにちは~☆
ご訪問ありがとうございます!
お元気そうでなによりです。
これからもよろしくお願いします~☆
by アマデウス (2009-06-05 11:52)
アヨアン・イゴカーさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
まったくです。恋人同士でうまくダンスが出来れば周囲にも
楽しさのお裾分けが出来ますね~☆
by アマデウス (2009-06-05 11:58)
nekotaroさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
タンゴもつまるところ黒人奴隷達の歌や踊りから
派生した部分もあるそうです。
by アマデウス (2009-06-05 12:01)