闘牛(その2) [イベント]
闘牛(その1)では「闘牛」の原点である「騎馬闘牛」をメインにとりあげましたので
今回はその騎馬闘牛より18世紀初頭に派生した一般的な「闘牛」について
取り纏めてみます。。。
18世紀初頭及びそれ以前の闘牛については当時のスペインの宮廷画家であったゴヤ(Francisco de Goya y Lucientes、1746-1828)が
「闘牛技」(La Tauromaquia,1815-1816年初版33枚のエッチング作品集)で詳しく描いていますが、
これは別の機会にとりあげてみたいと思います。
さて、闘牛はまず「パセイーリョ」”Paseillo"と呼ばれる「入場行進」より開始
されます。但し、闘牛場によってはこのパセイージョの前にブラスバンドが
入ったり、18歳未満の少女騎手が馬で先導したりします。
「パセイーリョ」の先頭に立つのは、「アルグアシリーリョ」”Alguacilillo”と
呼ばれる「執行役」です。この「アルグアシリーリョ」は闘牛士への褒賞である
牛の耳とか尻尾を手渡す役割を果たす等、主催者長を代行し、闘牛規約を
守らせる役割をします。
アルグアシリーリョの後に本日闘牛を行う「剣方」(「闘牛士」のこと)が行進します。
通常3名の闘牛士が並んで行進します。
通常は3名の闘牛士が各々計2回ずつ闘牛を行い、
合計で6頭の牡牛を刺殺することになります。
闘牛士の後には「バンデリリェロ」”Banderillero"「銛打士」がデビューした年代の
古い順に並び行進です。
次に「ピカドール」”Picador"と呼ばれる「槍方」が馬に乗って登場します。
その後にピカドールの補佐役兼砂場を整備したりする「諸掛役」の
「モノサビオス」”Monosabios”が続きます。
一番最後に刺殺された牛を馬で運ぶ役の「ムリリェロス」”Mulilleros"が続きます。
以上で闘牛の関係者全員が登場、行進したことになります。全員が
観客席最上段に設けられている「主催者長席」に向かってまず
挨拶し、その後闘牛場を一周し観客への挨拶を行います。 主催者長席”Presidencia"
入場行進(パセイーリョ)が終わるといよいよ「闘牛」そのものの開始を告げる
「闘牛場の牛舎の鍵」がコンセルヘ”Conserje"と呼ばれる「牛舎管理人」によって
観客にかざされ。。。その後平均500Kg以上ある「牡牛」が放たれます。
文豪アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest M. Hemingway1899-1961)は 「闘牛」をこよなく愛し、
1951年には短編”The Faithful Bull/El Toro Fiel"(邦題:一途な雄牛)を発表しています。
また最晩年には,闘牛観戦に取り憑かれたかのようにスペインのアンダルシア地方を
基点に同国各地で開催される闘牛を追い求めて旅をしています。。。
☆第一場☆「テルシオ デ カバーリョ」”Tercio de Caballo" 「槍方の場」:
闘牛士と助手がカポテと呼ばれるピンク色の大きな布(重さ約5kg)で
巧みに牛を逸らせます。これを「キテ」”Quite”と呼びます。。。
この間に、闘牛士は牛の癖を見抜きどんな牛かを判断します。
その後、馬に乗ったままで長槍で牛の首の後ろにあるコブ(モリーリョ、Morillo)を
突く槍方「ピカドール」”Picador"の登場です。
ピカドールはスペインが生んだ偉大な美術家パブロ・ピカソ”Pablo Picasso”(1881-1973) が好んで描きましたね。。。
ピカドールがモリーリョを槍で突くのは、牛に頭を下げる様にする為
でもあります。(頭を下げさせないと、闘牛士がうまく剣をクルスに突き
させず、更には角で突かれる危険度が増す為。)
☆第二場☆「テルシオ デ バンデリーリャ」”Tercio de Banderilla” 「銛打ちの場」
ピカドールが退場すると今度はバンデリーリャ(飾りの付いた銛)を
牛の背中に打ち込むバンデリリェロ(銛打士)の出番となります。
バンデリリェロは「蝶の様に優雅に舞い蜂の様に刺す」のを
基本としています。
稀に闘牛士自身がこの役割を担う場合があります。
こういった場合は闘牛士の非常に優雅な「銛打ちの場」を
楽しめます。たとえば。。。
☆第三場☆「テルシオ デ ムレタ」”Tercio de Muleta" 「ムレタ技の場」
闘牛士が赤いムレタ(フランネルの赤い布)で牡牛を操る闘牛の
ハイライトと言える最後の15分間の場です。この時間内に
闘牛士と牡牛が生と死をかけて対決します。
右手にムレタを持つのが「デレチャソ」”Derechazo”、
左手にムレタを持つのを「ナトゥラル」”Natural"と呼びます。
メキシコの闘牛士モランテがヘレス(スペイン)で大好評を博した
オーソドックスなムレタ技です。
「エストカーダ」”Estocada"=「最後の一突き」を「真実の瞬間」と呼びます:
闘牛士が牛のクルス(肩甲骨の隆起部)に剣を突き刺し、牛に「佳麗な死」を与える瞬間です。
闘牛技の中で最も危険の伴う場面です。この瞬間で闘牛全体の評価が左右される場面でもあります。
この日の為に丹精こめて育成された牡牛に死が与えられると
直ちに「搬送係”ムリリェロス”」が登場し牛を搬出します。
牛が非常に良く戦った場合は場内を1周し牛の健闘を称える
観客の声援を受けさせます。
この後、闘牛士の技が特筆に価するものであれば、その褒賞として
牛の耳x1個、或いは2個、最高賞として耳2個+尻尾が
アルグアシリーリョより手渡され、闘牛士は場内を一周し観客の
声援に応えます。
この褒賞を決定するのが主催者長席”Presidencia"の役割です。
主催者長席のバルコニーに白い手ぬぐいが一枚でれば耳1個、
2枚の場合は耳2個。。。といったことが規定されていますが
観客より判定を巡ってブーイングで不満が表明される場合も
あります。
尚、搬出された牛は闘牛場敷地内にある牛肉処理場に運ばれ
30分程で完全に解体され、契約している牛肉屋が買い取って
行きます。。。
関連記事
闘牛(その1)騎馬闘牛
カルメン(オペラ)「闘牛士の歌」
宮廷画家ゴヤは描く
今回はその騎馬闘牛より18世紀初頭に派生した一般的な「闘牛」について
取り纏めてみます。。。
18世紀初頭及びそれ以前の闘牛については当時のスペインの宮廷画家であったゴヤ(Francisco de Goya y Lucientes、1746-1828)が
「闘牛技」(La Tauromaquia,1815-1816年初版33枚のエッチング作品集)で詳しく描いていますが、
これは別の機会にとりあげてみたいと思います。
さて、闘牛はまず「パセイーリョ」”Paseillo"と呼ばれる「入場行進」より開始
されます。但し、闘牛場によってはこのパセイージョの前にブラスバンドが
入ったり、18歳未満の少女騎手が馬で先導したりします。
「パセイーリョ」の先頭に立つのは、「アルグアシリーリョ」”Alguacilillo”と
呼ばれる「執行役」です。この「アルグアシリーリョ」は闘牛士への褒賞である
牛の耳とか尻尾を手渡す役割を果たす等、主催者長を代行し、闘牛規約を
守らせる役割をします。
アルグアシリーリョの後に本日闘牛を行う「剣方」(「闘牛士」のこと)が行進します。
通常3名の闘牛士が並んで行進します。
通常は3名の闘牛士が各々計2回ずつ闘牛を行い、
合計で6頭の牡牛を刺殺することになります。
闘牛士の後には「バンデリリェロ」”Banderillero"「銛打士」がデビューした年代の
古い順に並び行進です。
次に「ピカドール」”Picador"と呼ばれる「槍方」が馬に乗って登場します。
その後にピカドールの補佐役兼砂場を整備したりする「諸掛役」の
「モノサビオス」”Monosabios”が続きます。
一番最後に刺殺された牛を馬で運ぶ役の「ムリリェロス」”Mulilleros"が続きます。
以上で闘牛の関係者全員が登場、行進したことになります。全員が
観客席最上段に設けられている「主催者長席」に向かってまず
挨拶し、その後闘牛場を一周し観客への挨拶を行います。 主催者長席”Presidencia"
入場行進(パセイーリョ)が終わるといよいよ「闘牛」そのものの開始を告げる
「闘牛場の牛舎の鍵」がコンセルヘ”Conserje"と呼ばれる「牛舎管理人」によって
観客にかざされ。。。その後平均500Kg以上ある「牡牛」が放たれます。
文豪アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest M. Hemingway1899-1961)は 「闘牛」をこよなく愛し、
1951年には短編”The Faithful Bull/El Toro Fiel"(邦題:一途な雄牛)を発表しています。
また最晩年には,闘牛観戦に取り憑かれたかのようにスペインのアンダルシア地方を
基点に同国各地で開催される闘牛を追い求めて旅をしています。。。
☆第一場☆「テルシオ デ カバーリョ」”Tercio de Caballo" 「槍方の場」:
闘牛士と助手がカポテと呼ばれるピンク色の大きな布(重さ約5kg)で
巧みに牛を逸らせます。これを「キテ」”Quite”と呼びます。。。
この間に、闘牛士は牛の癖を見抜きどんな牛かを判断します。
その後、馬に乗ったままで長槍で牛の首の後ろにあるコブ(モリーリョ、Morillo)を
突く槍方「ピカドール」”Picador"の登場です。
ピカドールはスペインが生んだ偉大な美術家パブロ・ピカソ”Pablo Picasso”(1881-1973) が好んで描きましたね。。。
ピカドールがモリーリョを槍で突くのは、牛に頭を下げる様にする為
でもあります。(頭を下げさせないと、闘牛士がうまく剣をクルスに突き
させず、更には角で突かれる危険度が増す為。)
☆第二場☆「テルシオ デ バンデリーリャ」”Tercio de Banderilla” 「銛打ちの場」
ピカドールが退場すると今度はバンデリーリャ(飾りの付いた銛)を
牛の背中に打ち込むバンデリリェロ(銛打士)の出番となります。
バンデリリェロは「蝶の様に優雅に舞い蜂の様に刺す」のを
基本としています。
稀に闘牛士自身がこの役割を担う場合があります。
こういった場合は闘牛士の非常に優雅な「銛打ちの場」を
楽しめます。たとえば。。。
☆第三場☆「テルシオ デ ムレタ」”Tercio de Muleta" 「ムレタ技の場」
闘牛士が赤いムレタ(フランネルの赤い布)で牡牛を操る闘牛の
ハイライトと言える最後の15分間の場です。この時間内に
闘牛士と牡牛が生と死をかけて対決します。
右手にムレタを持つのが「デレチャソ」”Derechazo”、
左手にムレタを持つのを「ナトゥラル」”Natural"と呼びます。
メキシコの闘牛士モランテがヘレス(スペイン)で大好評を博した
オーソドックスなムレタ技です。
「エストカーダ」”Estocada"=「最後の一突き」を「真実の瞬間」と呼びます:
闘牛士が牛のクルス(肩甲骨の隆起部)に剣を突き刺し、牛に「佳麗な死」を与える瞬間です。
闘牛技の中で最も危険の伴う場面です。この瞬間で闘牛全体の評価が左右される場面でもあります。
この日の為に丹精こめて育成された牡牛に死が与えられると
直ちに「搬送係”ムリリェロス”」が登場し牛を搬出します。
牛が非常に良く戦った場合は場内を1周し牛の健闘を称える
観客の声援を受けさせます。
この後、闘牛士の技が特筆に価するものであれば、その褒賞として
牛の耳x1個、或いは2個、最高賞として耳2個+尻尾が
アルグアシリーリョより手渡され、闘牛士は場内を一周し観客の
声援に応えます。
この褒賞を決定するのが主催者長席”Presidencia"の役割です。
主催者長席のバルコニーに白い手ぬぐいが一枚でれば耳1個、
2枚の場合は耳2個。。。といったことが規定されていますが
観客より判定を巡ってブーイングで不満が表明される場合も
あります。
尚、搬出された牛は闘牛場敷地内にある牛肉処理場に運ばれ
30分程で完全に解体され、契約している牛肉屋が買い取って
行きます。。。
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闘牛(その1)騎馬闘牛
カルメン(オペラ)「闘牛士の歌」
宮廷画家ゴヤは描く
"牛耳る"の語は禹域古代からのものですが、西方でも牛の耳が..
by さとふみ (2009-08-14 07:17)
さとふみさん!こんにちは~☆
な~る程。まさに「牛耳る」ですね~(笑☆
by アマデウス (2009-08-14 10:22)
先日は【nice!】とコメントありがとうございました。
猫ばかりのブログですが、これからもよろしくお願い致します(^^)。
闘牛士と云えば、カルメン
カルメンと云えば、ビゼー・・・彼も短命な作曲家でしたね^^;アセアセ
by kontenten (2009-08-15 22:06)
kontentenさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
子供の頃、実家で猫を飼っていましたが、まるで家長の様な猫でした。廊下で寝ているところを「挨拶なし」で通ると足を引っ掻かれたものです☆
ビゼーが亡くなったのが37歳の時、ガーシュイン(ポーギーとベス)が38歳、モーツアルトは35歳と短命ですよね。偉大な作品を残し駆け去って行ったのですね。。。
by アマデウス (2009-08-16 07:36)
闘牛について、詳しいご解説ありがとうございます。
漠然としたイメージしかなかったので、興味深く拝見いたしました。
緊迫感あり、とても見ごたえありますね。実際に見に行ったら、さらに面白いでしょうね。
by 黄昏の線路 (2009-08-16 23:37)
黄昏の線路さん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
興味をお持ち頂けた様で嬉しいです。
なんでもそうですがある程度ルールや歴史の基礎的知識を持った上で見ると面白さも増しますよね。。。
実際に闘牛を見れる機会が来ると良いですね~☆
by アマデウス (2009-08-17 07:12)