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ドン・ジョヴァンニ(その1) [オペラ]

「フィガロの結婚」が1786年12月、プラハ(チェコ)で上演され大好評を博したことより
翌年1月8日から1ヶ月程モーツアルトは劇場関係者よりプラハに招聘され、自ら指揮をとったり、
チェンバロの演奏会を催したりした。劇場演奏会では新作のニ長調の交響曲第38番K504
通称「プラハ」が演奏されたのである。。。

1月27日はモーツアルトの31歳の誕生日であり、彼にとってこのプラハ滞在(招待)は
忘れることの出来ない最高の誕生プレゼントと感じたのではなかろうか。。。

プラハには台本作者のダ・ポンテも同行していたが、プラハ滞在中のモーツアルトにプラハの
民族劇場(スタヴォフスケ劇場=Stavovské divadlo/英語ではエステート劇場=Estates' Theatre)より
新曲の委嘱がなされたのである。


そしてこの新曲こそが「ドン・ジョヴァンニ」”Don Giovanni"K.527なのである。
台本は「フィガロの結婚」と同様ダ・ポンテが担当した。
尚、プラハ初演時の台本のタイトルは「罰せられた放蕩者、即ちドン・ジョヴァンニ
”Il dissoluto punito, ossia il Don Giovanni”となっている。

この2幕のオペラは台本を指して「音楽のためのおどけたドラマ」ドランマ・ジョコソdramma giocoso per musicaと
されているが、モーツアルト自身は「ドン・ジョヴァンニ」を「フィガロの結婚」や「コジ・ファン・トゥッテ」(1790年)
と同様オペラ・ブッファ(喜歌劇)として自分の作品一覧に記載している。


新曲「ドン・ジョヴァンニ」の準備は順調なものではなかった。特に1787年5月28日にモーツアルトの
父レオポルド・モーツアルトLeopold Mozart(1719年11月14日生まれ)がザルツブルグで
亡くなった(享年67歳)影響は大きかった。

素晴らしい「ドン・ジョヴァンニ」の序曲の作曲が完成したのは、初演(1787年10月29日、
スタヴォフスケ劇場)の二日前であったとのこと。。。

スタヴォフスケ劇場は1781年に建設され、18世紀後半の中央ヨーロッパでは非常に 重要な劇場とされていた。
この劇場では1783年モーツアルトのドイツ語オペラ 「後宮からの誘拐」"Die Entführung aus dem Serail, K384”が
上演された経緯もある。

尚、ドン・ジョヴァンニが上演された当時のプラハはボヘミア国の首都であり、ハプスブルグ君主国の領邦の一部として
オーストリア大公(神聖ローマ帝国皇帝、ハンガリー国王)のヨーゼフ2世が ボヘミア国王の座に就いていた。


1984年チェコ人の映画監督ミロス・フォアマンが映画「アマデウス」の撮影にこの劇場を使用している。
この劇場を選んだのは劇場自体更には劇場近隣の風景が18世紀のモーツアルトの時代を最も良く
保存しているからであった。


DSC02038.JPG
画像はプラハのスタヴォフスケ劇場=Stavovské divadlo/Estates' Theatre)



では、序曲を聴きましょう。。。


ウィーン・フィルハモニー楽団Wiener Philharmoniker
指揮ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert Von Karajan





☆第一幕・第一場☆
舞台はスペインのある町。ある夜、好色な貴族ドン・ジョヴァンニの従者レポレッロLeporello
が主人が忍び込んだ騎士長の屋敷の前をうろうろしながら導入曲を歌う;
主人ドン・ジョヴァンニは騎士長の美貌の娘ドンナ・アンナDonna Annaと一夜を楽しもうと
屋敷に忍び込んでいるのである。

突然騎士長の娘ドンナ・アンナと男(旧知のドン・ジョヴァンニとはドンナ・アンナは
気がついていない)がもつれながら現れる。気丈なドンナ・アンナは男を逃すまいとしている。

そこに騎士長が現れ男(ドン・ジョヴァンニ)と決闘となり、騎士長が刺殺される。
娘ドンナ・アンナは父親殺しの男への復讐を許婚のドン・オッタビオに誓わせる。

レポレッロLeporelloの導入曲Introduzioneを聴きましょう;
導入曲の後、騎士長が決闘で刺殺されるまでの場面が続きます。

ドン・ジョヴァンニDon Giovanni: サムエル・レイミーSamuel Ramey
ドンナ・アンナDonna Anna: アンナ・トモワ-シントウAnna Tomowa-Sintow
ドン・オッタビオDon Ottavio:イェスタ・ヴィンベリGosta Winbergh
騎士長Il Commendatore: パアタ・ブルチュラゼPaata Burchuladze
レポレッロLeporello: フェルッチョ・フルラネットFerruccio Furlanetto
ウィーン・フィルハモニー楽団Wiener Philharmoniker
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert Von Karajan




LEPORELLO:..............................................レポレッロ

Notte e giorno faticar,...................................夜も昼も苦労する
Per chi nulla sa gradir,.................................何事にも喜んではくれぬ誰かさんのため
Piova e vento sopportar,...............................雨にも風にも耐え忍び
Mangiar male e mal dormir...........................食べものも不足で寝不足でもある
Voglio far il gentiluomo.................................貴族になりたいものだわさ
E non voglio più servir..................................もう召使なぞしたくない
Oh che caro galantuomo!.............................あァ 何と素敵な律義者!
Vuol star dentro colla bella,..........................あなた様は美人と家の中
Ed io far la sentinella!..................................そしてあたしゃ見張り番
Voglio far il gentiluomo................................貴族になりたいものだわさ
E non voglio più servir..................................もう召使などしたくない
Ma mi par che venga gente;..........................おや、誰かやって来たようだ;
Non mi voglio far sentir.................................気ずかれたきゃないよ

導入曲の後、騎士長が決闘で刺殺されるまでの場面が続きます。
この様に主人公ドン・ジョヴァンニによる騎士長刺殺からこのオペラは始まりクライマックスはドン・ジョヴァンニの地獄落ちとなるわけですが、
レポレッロというおどけた従者、あるいはツェルリーナという農民の花嫁の愛らしいアリアや重唱、その他登場人物の音楽による
強烈な性格ずけ、ドン・ジョヴァンニと騎士長の石像とのデモーニッシュな対決、そして最終景では残された者全員の行く末が決まり
ハッピーエンドとなる音楽構成、これらすべてが圧倒的な感銘を与えるのです。


関連記事
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ドン・ジョヴァンニ(その4)
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みど

私はドンジョヴァンニの終わり方がどうしてもすきになれないけど
私のお友達はだいすきなんだって。
ドンジョヴァンニについてめっちゃ熱いケンカをしたこと思い出しました。
by みど (2009-09-04 08:04) 

塩

ドンジョヴォンニはやはりあの形で地獄に墜ちるべきなのでしょうが、演奏時間的には急転直下的感じで多分少しおやと思われるのでしょうか?
ダ・ポンテやモーツァルトのせいではないにしても。
by (2009-09-04 10:49) 

アマデウス

みどさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます。
モーツアルトのオペラはすべてハッピーエンドで終わりますよね。モーツアルトの優しさの現われだと思うのですが。。。
ご承知の通り、ドン・ジョバンニの2年ほど前に「すみれ」というゲーテの詩に作曲したリートK476がありますが、詩の最後にモーツアルトが「可哀そうなスミレよ!それは愛らしいスミレだった」と付け加えていますよね。こういうところもモーツアルトの魅力ではないのでしょうか。。。

by アマデウス (2009-09-04 12:53) 

アマデウス

Dr.塩 こんにちは~☆
いつもありがとうございます!
地獄落ちの場面についてはもう少し先で聴いてみたいと思いますので引き続き宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2009-09-04 12:59) 

kontenten

映画『アマデウス』を視て、すごく気になってついビデオ(LD)を
買ってしまいました^^;Aアセアセ
ロリン・マゼール指揮の映画風のオペラでした。
 いはやは、ハマりました(><)
ただ、やはり一番好きなところは、アマデウスのシーンと同じ
騎士長が石像になって晩餐に呼ばれてくるところですかね・・・(^^)。
ただ、序曲を聴くと、つい・・・一幕目の音楽も聴きたくなります。
by kontenten (2009-09-04 15:40) 

アマデウス

kontentenさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ライモンディのドン・ジョバンニ、キリテ・カナワのドンナ・エルヴィラで、パリ「オペラ座管弦楽団」指揮ロリン・マゼールですね~☆
素晴らしいビデオをお持ちですね☆
by アマデウス (2009-09-04 23:19) 

whitered

おはようございます。いよいよ、始まりましたね。詳しく解説していただいているのでありがたいです。プラハでの演奏会はモーツァルトにとって、重要なものだったのですね。
by whitered (2009-09-05 08:33) 

Cecilia

序曲の重さは他の彼の作品の茶目っ気のある音楽や優しさに満ちた旋律と趣が違っていて何度聴いても不思議な気持ちになります。
そしてこの曲を聴くとやはりついつい映画の「アマデウス」を思い出します。
フルトヴェングラー指揮のDVD(チェーザレ・シエピがドン・ジョヴァンニだったと思います。)とハイライト盤ですがアマデウスさんご紹介のものと同じものを持っています。

私も終わり方がずっと気になっています。
どうしてドン・ジョヴァンニは悔い改めようとしないのでしょうか?
それと他のメンバーは善人の側に立って喜んでいるけれど、ずるい気がすますね~。
そこいくとドン・ジョヴァンニは潔い気もしてしまいますが・・・。
by Cecilia (2009-09-05 11:45) 

アマデウス

whiteredさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
プラハでの「フィガロの結婚」と「ドン・ジョヴァンニ」はいずれも大成功でした。
この成功により1787年12月7日にモーツアルトは皇室宮廷音楽家に任ぜられ、ヨーゼフ皇帝自らウィーンにおいて「ドン・ジョバンニ」が上演される様に取り計らったのです☆

by アマデウス (2009-09-05 12:25) 

アマデウス

Ceciliaさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ドン・ジョヴァンニの序曲と地獄落ちについて次の通り考えています;
①モーツアルトは父親の死の直前に手紙で次の点を述べていますね;
「死は我々の生の最終目標。死は恐れるものではなく、心を安らかにし、
慰めてくれるもの。」
②ドン・ジョヴァンニの人物像は極限状態においても自己を転換させ得ない者であり、その為にはあらゆる不安、罪悪、苦悩を甘受する。
モーツアルトは自己の生活を作品に反映させる様な芸術家ではありませんが、やはり父親の死に直面したことが大きく影響した作品である点は否めないのではないでしょうか。。。


by アマデウス (2009-09-05 12:44) 

★まっと★

モーツァルトのオペラはストーリーなど事前に勉強してから鑑賞すると、とてもその内容もわかりやすいし(演出にもよりますけど・・)楽しめるものですよね。「フィガロの結婚」と「ドン・ジョヴァンニ」のプラハでの大成功はモーツァルトらしい生活を維持するための大切なきっかけになったのでしょうね。
by ★まっと★ (2009-09-08 13:10) 

アマデウス

★まっと★さん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
モーツアルトの若干35歳の人生からすると、すでに32歳になろうとしており「晩年」に差し掛かった時期ですよね。31歳後半で宮廷作曲家(有給)に任命され、32歳で交響曲変ホ長調第39番K.543, 第40番ト短調K.550そして第41番ハ長調K.551(「ジュピター」)を作曲していますよね☆
by アマデウス (2009-09-11 12:05) 

ヒデキヨ

すみません しばらくお伺いできずにいておりました

初演のときって どんなんだったのだろう? っていつも思ってしまいます

インクが乾ききらぬうちに届く楽譜 急ぐ写譜屋さん
マンガ作家先生のスタジオみたいな臨場感?

ダ・ポンテはドラマ・ジョコーソ仕立てなのに
作曲家はオペラ・ブッファ…もう そこには意見の対立と時間なき故の妥協

それが今日まで影響を及ぼす

当時の聴き手は 社会情勢含めてどのように受け入れたか?
楽しいですね
by ヒデキヨ (2009-09-11 22:05) 

アマデウス

ヒデキヨさん!こんにちは~☆
ご指摘の3点を網羅するともっと楽しくなりますね。
当時の社会情勢としては①フランス革命(1789年7月14日~1794年7月27日)②産業革命(1760年~1830年)を通じての生活革命、、、等による「自由・平等」を掲げる啓蒙思想の伝播、アンシャン・レジームの崩壊などにより、「聞き手の好みや受け入れ方の変化」が著しい時代でしたね。。。
アドバイス&コメントありがとうございます☆

by アマデウス (2009-09-12 07:52) 

christian louboutin 銀座

ドン・ジョヴァンニ(その1):アマデウスのSlow Life ♪:So-netブログ
by christian louboutin 銀座 (2013-07-21 17:26) 

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