SSブログ

画家の中の画家「ベラスケス」 [美術]

ベラスケスの作品に接するだけでマドリードへの旅は正当化されます。
あらゆる流派の画家が、マドリードの美術館では単なる見習い画家に思えるのです。
彼は画家の中の画家なのです。」

これはフランスの印象派の先駆的画家マネが1865年にマドリードの美術館を訪問し、
友人の画家アンリ・ファンタン=ラトゥール宛の手紙に記述した称賛の言葉である。
☆エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)
☆アンリ・ジャン・テオドール・ファンタン=ラトゥール:Henri Jean Théodore Fantin-Latour, 1836年1月14日 - 1904年8月25日

マネが「画家の中の画家」"peintre des peintres"と呼んだディエゴ・ベラスケス(Diego Rodríguez
de Silva y Velázquez, 1599年6月6日 - 1660年8月6日)は、スペイン南部の都市セビリアに
生まれ、11歳頃に同地の有力な画家であるフランシスコ・パチェーコに弟子入りし、厨房画(ボデゴン)と
呼ばれる室内情景や静物を描いていた。彼のその才能に惚れ込んだ師、パチェーコは、自分の娘フアナを
嫁がせたのである。
☆フランシスコ・パチェーコ:Francisco Pacheco 1564-1644

ベラスケスは1623年、国王フェリペ4世付きの宮廷画家となり、以後30数年、国王とその家族をはじめ、
宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描き、スペイン絵画の黄金時代であった
17世紀を代表する巨匠として、多数の作品を残したのである。

美術愛好家であったフェリペ4世は画家のアトリエにもしばしば出入りし、気さくな会話を楽しんでいた。
フェリペ4世はベラスケスをイタリアに派遣し美術品購入にあたらせたり、宮廷装飾の責任者を命じ、
王の側近としての地位を与えるなど厚遇したのである。

ベラスケスの代表作でもある「女官たち」”Las Meninas" は近くで見ると、素早い筆の運びで
描かれたとしか見えないものが、少し離れて見ると写実的な衣服のひだに見える。
このような、近代の印象派にも通じる油彩画の卓越した技法が、マネら近代の画家がベラスケスを
賞賛した所以でもある。

この作品「女官たち」はその中央に描かれている王女マルガリータ・テレサの運命と
スペイン・ハプスブルク家の栄光と悲劇について語りかけてくるのです。


resize0055.jpg
女官たち(ラス・メニーナス 310 cm × 276 cm) 1656年 プラド美術館蔵

拡大画像:女官たち
クリックでプラード美術館のOn-line galleryの拡大画像がご覧になれます。
部分的にも相当拡大出来るので筆の運びを見ることも出来ます。

この作品に描かれている人物・場所等を確認しておきましょう。

1.描かれている場所:マドリードの王宮内にあるベラスケスの高い天井のアトリエ。
☆王宮:Real Alcazar de Madrid, 9世紀にイスラム教徒が城壁建造、1534年マドリードに遷都時大増築、1734年12月全焼

2.描かれている人物など

①中央に描かれている少女はフェリペ4世の王女マルガリータ・テレサ、当時 5歳。
  ☆マルガリータ=テレサ王女:Margarita Teresa, 1651年8月12日 - 1673年3月12日
②王女の左側:王女に赤いコップで水を捧げている女官マリア・アグスティーナ・サルミエント・デ・
 ソトマヨールDoña María Agustina Sarmiento de Sotomayor
③王女の右側:王女に挨拶をしている女官イサベル・デ・ヴェラスコ Doña Isabel de Velasco
④右側女官の後方にいる婦人;王女の守護役マルセラ・デ・ウリョア Doña Marcela de Ulloa
⑤守護役の右側にいる男性:王女の養育係ドン・ディエゴ・ルイス・アスコナ Don Diego Ruiz Azcona
⑥前方で休息している犬:スペイン・マスティフ犬(Spanish Mastiff)。
⑦犬の背中を足で撫でている矮人(わいじん):イタリア生まれの男性で王女の遊び相手の
  宮廷の雇用人)ニコラス・ペルツサト(Nicolas Pertusato)。
⑧犬の真後ろの矮人(女性):ドイツ生まれの王女の遊び相手。宮廷の雇用人マリア=バルボラ
  Maria Barbola
⑨左端、巨大なキャンバスの前:まさに制作中のベラスケス本人。
  ☆画中のベラスケスの黒い衣服の胸には赤い十字の紋章が描かれている。
  これはサンティアゴ騎士団の紋章で、ベラスケスが国王の格別の配慮により同騎士団への加入を果たし、貴族に列した
  1659年(ベラスケスの死の前年)に描き加えられたものである。
⑩後方開かれたドアの前:ドン・ホセ・ニエト・ベラスケスDon José Nieto Velázquez(ベラスケスの親戚)。
⑪上記⑩の左横の鏡の中:国王フェリペ4世王妃マリアーナ。両者がこの絵の鑑賞者の位置に立って
  画中の人物たちを眺めている構図となっている。

3.この作品が掛けられていた場所:国王の私室でこの絵の右側に窓があり、その窓からこの絵の特徴
  である右側から光が差し込んだ様に見え、国王の私室の延長の様に見えたという。当初よりこの作品は
  国王の私室のその場所に掛けることを決めた上で描かれた。
 
                 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

国王フェリペ4世(Felipe IV, スペイン・ハプスブルク家、1605年4月8日 - 1665年9月17日)は、
スペイン王、ナポリ・シチリア王(在位:1621年 - 1665年)、ポルトガル王(在位:1621年 - 1640年
ポルトガル王としてはフィリペ3世)。フェリペ3世と王妃マルガリータの長男。
☆乗馬や射撃の名手であり、またベラスケスルーベンスを保護して傑作を数多く描かせ、
当代随一の目利きとしてヨーロッパ最高の美術コレクションを築き、後のプラド美術館の礎とした。
☆フェリペ4世と2度目の妻マリアーナ王妃の間には 5人の子どもをもうけたが、育ったのは
マルガリータ王女と王女より10歳年下の王子カルロスの2人だけであった。

ベラスケスは「女官たち」を描いて4年後、マルガリータが9歳の時に「ピンクのドレスの
マルガリータ・テレサ王女」(プラード美術館蔵)を描いた後1660年8月6日、61歳で亡くなりました。
ベラスケスはその1年前王女が8歳の時にも肖像画「青いドレスのマルガリータ=テレサ王女」
(ウィーン美術史美術館蔵)を描いています。

マルガリータ王女は13歳の時にオーストリア・ハプスブルグ家のレオポルド1世(当時24歳)と
正式に婚約します。これを記念して父親のフェリペ4世は35.56カラットのブルーダイヤモンドを
マルガリータに贈ります。
☆このブルーダイヤ(「ウィッテルスバッハ」と呼ばれる)が2008年ロンドンのクリスティーズで競売にかけられロンドンの
宝石商が落札しますがその価格はダイヤとしては史上最高の1639万ポンド(当時の換算率で約22億円)でした。

父王フェリペ4世がマルガリータ王女の婚姻に際し提示した条件はただ一つ、それは「結婚後も
王女(結婚後は皇后)はスペイン王室の継承権を留保し、その権利を彼女の子孫に委譲する。」
というもので、レオポルド1世はこの条件を快諾しました。

マルガリータが14歳の誕生日を迎えて約1ヵ月後の1665年9月フェリペ4世は突如病に倒れ
60歳の生涯を閉じたのです。

マルガリータは翌年1666年、父王を失くした悲しみを乗り越え、生まれ育ったマドリードを後にして、
ウィーンへと婚礼の旅に出ます。

大勢の従者と共に無数の馬車を連ねてバルセロナに向かい、バルセロナの港から、34隻の
護衛艦と共に出帆しイタリアのジェノバの港に到着します。そこから更に陸路ミラノを経由して、
ウィーンに到着、同年12月5日華燭の典が催されました。
マルガリータが15歳、レオポルド1世(神聖ローマ皇帝、オーストリア大公、ハンガリー王、
ボヘミア王)は26歳の時です。

翌年1667年も婚姻と皇后マルガリータの16歳の誕生日を記念し、盛大な祝賀式典が行われ
ギリシャ神話をもとにしてチェスティがこの式典の為に作曲したオペラ 「黄金の林檎」”Il pomo d'oro"が
1667年開場したばかりの「コルティナ宮廷劇場」で上演されます。このオペラは5幕66場からなり
二晩をかけて上演された絢爛豪華なオペラです。

かくして、スペイン・ハプスブルク家から本家であるウィーンのハプスブルク家に嫁いだ
マルガリータ・テレサは、音楽とオペラという共通の趣味もあって11歳年上の夫である
レオポルド1世と仲良く幸せな日々を過ごします。

皇后マルガリータは16歳でフェルディナント・ヴェンツェル皇子を産んだのを始めとして、
男女2人ずつの4人の子どもを産みましたが、18歳の時に産んだ長女のマリア・アントニア皇女
を除いて、みんな1年もたたずして夭逝してしまいました。
☆マリア・アントニア皇女:1669年 - 1692年、バイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエルと結婚する。

政略結婚の続くハプスブルク家は婚姻による所領の分散を避ける為血族結婚を繰り返していました。
これはハプスブルク家に限らず当時の王家ではどこも同じ状況でした。

因みに、マルガリータの両親、フェリペ4世とマリアーナは伯父と姪という近親婚でした。
マリアーナは、マルガリータが嫁ぐウィーンのハプスブルク家の皇女で、母はフェリペ4世の妹
マリア・アンナ、弟がマルガリータの夫レオポルド1世でした。
従い、マルガリータにとって、レオポルド1世は、父方の従兄、母方の叔父ということになります。

繁栄を目指しての血族結婚は、結果として子孫の繁栄を阻んでいたのです。

皇后マルガリータ・テレサは1673年次女を生みますが(夭逝)、産後の状態が悪く、
同年3月12日皇后は22歳という若さで亡くなってしまうのです。
ベラスケスの作品「女官たち」に描かれてから17年後のことです。

15歳でスペインからはるばるウィーンに嫁ぎ16歳で産んだ長男をはじめとして、
亡くなる22歳までに4人の子供を産み、そのうちたとえ3人が夭逝していようともウィーンとスペイン
両ハプスブルク家の後継者を産むという期待をかけた、夫のレオポルド1世と共に音楽・オペラ・
その他芸術をこよなく愛した、后妃を失くし、ウィーンとスペインのハプスブルク家は深い悲しみに
暮れたのです。

他方、スペイン王家は1665年9月の国王フェリペ4世没後、虚弱体質・知的障害を併せ持った
マルガリータの弟がカルロス2世として王位を継承し、母であるマリアーナが実権を握っていました。
カルロス2世は2度結婚しますが、子どもに恵まれず1700年カルロス2世の死(享年39歳)をもって、
名門スペイン・ハプスブルク家は断絶したのです。
☆カルロス2世:Carlos II, 1661年11月6日 - 1700年11月1日(在位:1665年 - 1700年)。
☆スペイン・ハプスブルク家によるスペイン統治は16世紀初頭、フェリペ1世(カスティーリャ王、王妃フアナとの共同統治:1504年-1506年)
から始まった。この時代、スペインはアメリカ大陸や太平洋(フィリピン、マリアナ諸島)に広大な植民地(ヌエバ・エスパーニャ)を有し、
またヨーロッパにおいてもネーデルラント、フランシュ・コンテ、北イタリア(ミラノ公国)、南イタリア(ナポリ王国、シチリア王国、
サルデーニャ)などを支配下に置いた。ハプスブルク家2代目のスペイン国王カルロス1世(1516年 - 1556年)は神聖ローマ皇帝を
兼ねた(在位1519年 - 1556年)。1580年から1640年にかけてはポルトガル王も兼ねることで、イベリア半島全域を支配するだけでなく、
ポルトガルが南米(ブラジル)やアフリカ、アジア沿岸に持っていた植民地をも併せ持つことになった。

スペイン王室は、フランスのルイ14世(太陽王”Roi-Soleil”)に嫁いだマルガリータの母違いの姉、
マリア・テレーサの孫フィリップ・ダンジューを後継者に指名し、彼が国王フェリペ5世として即位します。

これに対し海上貿易、とくに新大陸貿易確保の観点から、フランスとスペインとの提携に反対する、
イギリス、オランダ、およびスペイン王位継承権を主張するオーストリアの三国は、同盟を結んで
対抗し、宣戦します。
このスペイン継承戦争は、1701~14年にかけて、繰り広げられましたが、最終的に各国は
フエリペ5世の即位を受け入れスペイン・ブルボン(西語:ボルボン)朝の時代が始まります。

☆フェリペ5世:Felipe V, 1683年12月19日 - 1746年7月9日は、スペイン・ボルボン(ブルボン)朝最初の国王として
在位(1700年 - 1724年、1724年 - 1746年)。フランス国王ルイ14世とスペイン・ハプスブルク(西:アブスブルゴ)家出身の
王妃マリア・テレサの長男ルイ(グラン・ドーファン)の次男。母はバイエルン公女マリー・アンヌ・ド・バヴィエール。 
☆スペイン・ブルボン朝:1931年にアルフォンソ13世が退位した後、長く王位を失っていたが、1975年に孫の
フアン・カルロス1世が即位して王制が復活し現在に至っている。

                   ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ベラスケスの代表作品「女官たち」はスペイン・ハプスブルグ家と日本との接触についても
語りかけてきます。

天正遣欧使節(1582年ー1590年)がローマへの途上1584年11月14日と11月25日に当時の
ハプスブルク家のスペインとポルトガル国王フェリぺ2世(ポルトガル国王としてはフェリぺ1世)に
謁見しています。そしてローマからの帰路1585年9月14日同国王と再会します。

太陽の沈まない国」スペイン帝国最盛期の国王が3度も天正遣欧使節に謁見の機会を
与えたということは、取りも直さずスペイン・ポルトガル国王として日本に対し並々ならぬ関心を
抱いていたという現れです。他方、日本は1582年の「本能寺の変」を経て織田信長から豊臣秀吉の
時代に移り、秀吉は当初はキリスト教の布教を認めていましたが、次第にキリスト教が秀吉の
意図する国家体制確立の妨げになるとして、1587年バテレン(宣教師)追放令を発布します。
その後スペインが領土拡張に宣教師を利用しているという話が秀吉に伝わり(1596年の
サン・フェリペ号事件)、これを知った秀吉は宣教師・信者26名を捕らえ処刑にしたのです(26聖人殉教)。
かくしてスペイン・ポルトガルとの交易は中断します。そして、その2年後の1598年9月に秀吉も
フェリぺ2世も時を同じくして病死してしまうのです。
☆フェリペ2世:Felipe II, 1527年5月21日 - 1598年9月13日別号 シチリア王、ナポリ王、ミラノ公、スペイン領ネーデルラント統治者
☆豊臣秀吉:1537?-1598年9月18日。生誕日については1537年3月17日とする説と1536年2月2日(天文5年1月1日)とする説あり。

女官たち」の中央に描かれている当時5歳のマルガリータ・テレサ王女からみると、天正遣欧使節が
謁見したスペイン国王フェリぺ2世(ポルトガル国王フェリぺ1世)は王女の曽祖父にあたるのです。



特記事項(追記)
ピアニスト南野陽子の「見聞録@ヨーロッパ」
『ハプスブルク展』② ベラスケスとラベル『亡き王女のためのパヴァーヌ』

ご専門のピアノはもとより多方面でご活躍中の南野陽子さんに、ラヴェルの作曲した
『亡き王女のためのパヴァーヌ』はベラスケスの作品『白衣の王女マルガリータ・テレサ』
(「女官たち」と同時期の作品。ウィーン美術史美術館蔵)からインスピレーションを受け
作曲された由教えて頂きました。南野さんの記事にはラヴェル自身が演奏していると
される『亡き王女のためのパヴァーヌ』もupされています☆
☆ラヴェル:Joseph-Maurice Ravel フランスの作曲家、1875年3月7日 - 1937年12月28日
「亡き王女のためのパヴァーヌ」”Pavane pour une infante défunte” (1899年)



関連記事
ドン・ジョヴァンニ(その3@オペラの歴史)
天正遣欧少年使節と音楽
マネの描くハプスブルク家の悲劇
外交官画家ルーベンス






nice!(48)  コメント(24)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 48

コメント 24

塩

いつも拝見させていただいてます。
私のところにもお書き込みくださいましてありがとうございました。
お互い元気で過ごしましょう。
by (2009-10-30 09:59) 

kontenten

「女官たち」・・・約20年前、プラド美術館で拝見しました。
大きな作品ですよね。
また、ここのライトアップ?が凝っていて、ベラスケスが最初に展示した所
と同じ方向から光を当て、当時と同じ絵を見る事が出来るように
工夫されていたのを思い出しました。
 あと、マルガリータ王女の肖像画のレースのスカートも遠くから見ると
立体的にみえるのも驚きでした。
by kontenten (2009-10-30 10:54) 

まっちゃん

プラド美術館はこんなサービスをしてるんですね、知らなかった。
正当化されなくてもこの美術館には行ってきました。
by まっちゃん (2009-10-30 12:25) 

LittleMy

多方面から知ることができました。
ありがとうございました!
by LittleMy (2009-10-30 13:25) 

yutakami

う~ん
こんな歴史の授業が受けてみたかったです・・・
by yutakami (2009-10-30 15:09) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは~☆
ありがとうございます!
健康第一でやりましょう☆
by アマデウス (2009-10-31 06:28) 

アマデウス

kontentenさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
この作品に描かれているカンバスのサイズそのものですよね。
レプリカまで購入しちゃいました☆
by アマデウス (2009-10-31 06:33) 

アマデウス

まっちゃんさん!こんにちは~☆
G1採用のコメントもありがとうございます!
プラド美術館素晴らしいですよね☆
by アマデウス (2009-10-31 06:37) 

みど

あ、ひさしぶりに美術館いきたくなってきました。。
by みど (2009-10-31 06:38) 

アマデウス

yutakamiさん!こんにちは~☆
歴史の授業ですか。。。
嬉しいコメントありがとうございます!

by アマデウス (2009-10-31 06:41) 

アマデウス

みどさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ちょうど同時にPCに向かっているようです!
音楽、美術、建築は同時代的に照応し合っていると思います。
大いに楽しんで下さいね☆

by アマデウス (2009-10-31 06:53) 

アマデウス

LittleMyさん!こんにちは~☆
冗長な記事をお読み頂いてのコメント、こちらこそありがとうございます!

by アマデウス (2009-10-31 06:59) 

Loby

アマデウスさん
Lobyのブログを訪問していただきありがとうございます。
SF関連の話題にご関心があるかどうか知りませんが、今回、新しくブログを作りましたのでのぞきにきていただければうれしいです。

http://metamorphoseislands.blog13.fc2.com/
by Loby (2009-11-01 04:28) 

アマデウス

Lobyさん!こんにちは~☆
新しいブログの方にもお邪魔しました。
多岐にわたるテーマをとりあげておられますね!
頑張って下さい☆
by アマデウス (2009-11-02 06:12) 

pegasas

私も美術館には良くいきますが、アマデウスさんの
解説を聞きながら絵の鑑賞をしたいと思いました(笑)
印象派のマネやセザンヌが好きですね。私は難しい事は
わからないので、感性で感じるままに見ていますね。
by pegasas (2009-11-02 19:21) 

nanno

このベラスケスに関するエントリー記事は素晴らしい充実度ですね!!


by nanno (2009-11-03 00:48) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは~☆
そういう楽しいひと時を過ごしたいものです☆
同感です!芸術はまず感性で受けとめた上で、必要に応じその背景などを聞いたり、調べたりすれば良いと思います☆
by アマデウス (2009-11-03 06:54) 

アマデウス

nannoさん!こんにちは~☆
嬉しいコメントありがとうございます!
教えて頂いた点勝手ながら弊記事に特記事項として追記しました☆
ご了承下さい☆また色々教えて下さいね☆
by アマデウス (2009-11-03 07:02) 

ヒデキヨ

>フェリペ2世:Felipe II,1598年9月13日
>豊臣秀吉:1598年9月18日

うーむ 考えさせられますね
それにしても この絵の見事さ どれほどの魂を込めて
描いていったのでしょう!


by ヒデキヨ (2009-11-03 20:11) 

アヨアン・イゴカー

>『亡き王女のためのパヴァーヌ』はベラスケスの作品『白衣の王女マルガリータ・テレサ』・・・からインスピレーションを受け作曲された・・・

そういう話を聞くと、また別の味わいが出てきます。
by アヨアン・イゴカー (2009-11-04 09:33) 

nekotaro

ラベルのボレロがとっても好きなんですが、
私が持っているCDは「亡き王女のためのパヴァーヌ」との
カップリングでして、良く聞いています。
なので、とっても参考になりました(^_^)v
by nekotaro (2009-11-04 11:05) 

アマデウス

ヒデキヨさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
310 cm × 276 cmという大作ですね。
素晴らしい構成と筆の運び、入魂そのものですね☆
by アマデウス (2009-11-06 12:44) 

アマデウス

アヨアン・イゴカーさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
同感です!作曲の背景を知ると更に味わい深くなりますね☆
by アマデウス (2009-11-06 12:47) 

アマデウス

nekotaroさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
「ねこみに」さんにも是非聴かせてあげて下さいね。
「感性」により一層磨きがかかりますよ☆
by アマデウス (2009-11-06 12:53) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。