レクイエム [モーツァルト]
12月5日(土)はモーツァルトの218年目の命日です。
モーツァルトは1791年11月20日病床につきますが、弟子のフランツ・クサヴァー・
ジュスマイヤー((1766-1803)に手伝わせながら、レクイエムRequiem 二短調
K.626 の作曲を続け、第3曲セクエンツィアSequenz(続唱)の第6部ラクリモサ
Lacrimosa(涙の日)二短調の第8小節で中断、同年12月5日月曜日午前0時55分、
35年と10ヶ月余りの短い生涯をウィーンで閉じたのです。
★中断:"judicandus homo reus:”まで。9小節以降はジュスマイヤーが補筆。但し、モーツァルトは死の前日、
ジュスマイヤーに対し自分が完成出来ない場合に備え種々指示をしていた。
★モーツァルトの死や葬儀に関して種々逸話や憶測がありますが、本記事では敢えてとりあげないこととします。
1991年12月5日ウィーンの聖シュテファン大聖堂で
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト没後200年記念レクイエム・ミサ」
が捧げられ、モーツァルトが作曲したレクイエムが演奏されました。
★レクイエム・ミサ:故人の安息を神に願うカトリック教会のミサ
★1782年8月4日モーツァルト(当時26歳)は妻コンスタンツェ(当時20歳)との
結婚式を聖シュテファン大聖堂で行っている。
聖シュテファン大聖堂(独Stephansdom)、 ウィーン、 オーストリア
第3曲Sequenz(続唱)-レコルダーレRecordare(思い出し給え)
ヘ長調 四重唱
アーリン・オージェ(Arleen Auger)-ソプラノ、チェチーリア・バルトリ(Cecilia Bartoli)-メゾ・ソプラノ、
ヴィンソン・コウル(Vinson Cole)- テノール、 ルネ・パーペ(Rene Pape)-バス
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker
指揮:サー・ゲオルク・ショルティ Sir Georg Solti
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト没後200年レクイエム・ミサ」
聖シュテファン大聖堂にて
美しいコロラトゥーラ・ソプラノのアーリン・オージェはこのレクイエムを歌った翌年
1992年2月悪性脳腫瘍により引退。1993年6月10日54歳で亡くなりました。
Recordare Jesu pie,...........................思い出してください、慈悲深きイエスよ、
quod sum causa tuæ viæ:...................あなたの来臨は私たちのためであるということを;
ne me perdas illa die..........................その日に私を滅ぼさないでください。
Quærens me, sedisti lassus.................私を探してあなたは疲れ、腰をおろされた
Redemisti crucem passus....................十字架を堪え忍び、救いをもたらされた
Tantus labor non sit cassus.................これほどの苦しみが無駄になりませんように。
Juste judex ultionis,...........................裁きをもたらす正しき審判者よ、
donum fac remissionis,........................ゆるしの恩寵をお与えください、
ante diem rationis..............................裁きの日の前に。
Ingemisco, tamquam reus:..................私は罪人のように嘆き;
culpa rubet vultus meus:....................罪を恥じて顔を赤らめます;
supplicanti parce Deus.......................神よ、許しを請う者に慈悲をお与えください。
Qui Mariam absolvisti,.........................(マグダラの)マリアを許し、
et latronem exaudisti,.........................盗賊の願いをもお聞き入れになった主は、
mihi quoque spem dedisti,...................私にも希望を与えられました、
Preces meæ non sunt dignæ:...............私の祈りは価値のないものですが;
Sed tu bonus fac benigne,...................優しく寛大にしてください、
Ne perenni cremer igne.......................私が永遠の炎に焼かれないように。
Inter oves locum præsta,....................私に羊の群れの中に席を与え、
et ab hædis me sequestra,..................牡山羊から遠ざけ、
statuens in parte dextra.....................あなたの右側においてください。
第3曲Sequenz(続唱)-ラクリモサ(涙の日)Lacrimosa ニ短調
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker
ウィーン・国立オペラ座合唱団 Der Wiener Staatsopernchor
指揮:サー・ゲオルク・ショルティ Sir Georg Solti
Lacrimosa dies illa,..........................涙の日、その日は、
qua resurget ex favilla......................灰の中からよみがえる日です。
judicandus homo reus:.....................罪ある者が裁きを受けるために:
Huic ergo parce Deus.......................神よ、この者をお許しください。
pie Jesu Domine,.............................慈悲深き主、イエスよ、
Dona eis requiem. Amen...................彼らに安息をお与えください。アーメン。
★★★★★ ★★★★★
『モーツァルトは死の少し前、ジュスマイヤー(弟子)と私(モーツァルト未亡人のコンスタンツェ)と一緒に
レクイエムを歌い、いくつかの箇所で涙を流したのです。』
★1829年7月14日、コンスタンツェと面談したメアリー・ノベロ婦人(英)の記録(A Mozart Priglimageより)。
第三者よりの依頼によって作曲していたレクイエムがまさに自分の為のレクイエムであることを
モーツァルトは悟っていたのである。高熱にうなされながらも、レクイエムを最後まで
口ずさんでいたという。
夫人のコンスタンツェとその妹のゾフィー、医師のクロセット博士に看取られ1791年12月5日月曜日
午前0時55分ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは最後の息をひきとったのである。
700曲以上もの作品を遺して。
★5歳の時から作曲し続けた楽曲総数には断片も含む。遺した楽譜の総数は約2万4000枚。
★W.A.Mozartという称号は聖シュテファン大聖堂教会事務局の死亡者名簿に記載されている。
★ザルツブルグ大聖堂の洗礼者名簿に記載されているモーツァルトの洗礼名と生年月日は次の通り;
ヨハンネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオーフィルス・モーツァルト:Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart
1756年1月27日夜8時に誕生、1756年1月28日朝10:30洗礼。
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モーツァルトの西方大旅行②(ロンドン①
モーツァルトの西方大旅行③(ロンドン②)
猫とモーツァルト
モーツァルトの西方大旅行④(フランドルとオランダ)
モーツァルトの2度目のウィーン旅行
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ザルツブルクのモーツァルト19歳(1775年)
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モーツァルト24歳・ザルツブルク在住最後の年(1780年)
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モーツァルト25歳の独立とウィーン時代の幕開け(1781年)
モーツァルト26歳の結婚と「後宮からの誘拐」(ウィーン②1782年)
モーツァルト27歳・演奏会の成功とザルツブルク里帰り(ウィーン③1783年)
ピアノ・ソナタ(第13番)変ロ長調 と動物たち(1783年ザルツブルクの帰途立ち寄ったリンツ関連)
モーツァルト28歳・演奏活動絶頂期(ウィーン④1784年)
モーツァルトと小鳥たち (クラビーア協奏曲(第17番)ト長調(K.453)第三楽章の主題を歌うムクドリとモーツァルト)
父レオポルト、絶頂期のモーツァルト29歳を訪問(ウィーン⑤1785年)
モーツァルト30歳・「劇場支配人」と「フィガロの結婚」(ウィーン⑥1786年)
フィガロの結婚(その1)序曲+第一幕第一景第一曲
モーツァルト31歳・父レオポルトの死と「ドン・ジョヴァンニ」(ウィーン⑦1787年)
ドン・ジョヴァンニ(その1)
モーツァルト32歳・三大交響曲とブフベルク書簡(ウィーン⑧1788年)
モーツァルト33歳・プロイセン(北ドイツ)への旅(ウィーン⑨1789年)
モーツァルト34歳・「コシ・ファン・トゥッテ」(ウィーン⑩1790年)
モーツァルト35歳前半・「皇帝ティートの慈悲」(ウィーン⑪1791年前半)
モーツァルト35歳後半「魔笛」と「レクイエム」(ウィーン⑫1791年後半)
モーツァルトは1791年11月20日病床につきますが、弟子のフランツ・クサヴァー・
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Lacrimosa(涙の日)二短調の第8小節で中断、同年12月5日月曜日午前0時55分、
35年と10ヶ月余りの短い生涯をウィーンで閉じたのです。
★中断:"judicandus homo reus:”まで。9小節以降はジュスマイヤーが補筆。但し、モーツァルトは死の前日、
ジュスマイヤーに対し自分が完成出来ない場合に備え種々指示をしていた。
★モーツァルトの死や葬儀に関して種々逸話や憶測がありますが、本記事では敢えてとりあげないこととします。
1991年12月5日ウィーンの聖シュテファン大聖堂で
「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト没後200年記念レクイエム・ミサ」
が捧げられ、モーツァルトが作曲したレクイエムが演奏されました。
★レクイエム・ミサ:故人の安息を神に願うカトリック教会のミサ
★1782年8月4日モーツァルト(当時26歳)は妻コンスタンツェ(当時20歳)との
結婚式を聖シュテファン大聖堂で行っている。
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聖シュテファン大聖堂にて
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1992年2月悪性脳腫瘍により引退。1993年6月10日54歳で亡くなりました。
Recordare Jesu pie,...........................思い出してください、慈悲深きイエスよ、
quod sum causa tuæ viæ:...................あなたの来臨は私たちのためであるということを;
ne me perdas illa die..........................その日に私を滅ぼさないでください。
Quærens me, sedisti lassus.................私を探してあなたは疲れ、腰をおろされた
Redemisti crucem passus....................十字架を堪え忍び、救いをもたらされた
Tantus labor non sit cassus.................これほどの苦しみが無駄になりませんように。
Juste judex ultionis,...........................裁きをもたらす正しき審判者よ、
donum fac remissionis,........................ゆるしの恩寵をお与えください、
ante diem rationis..............................裁きの日の前に。
Ingemisco, tamquam reus:..................私は罪人のように嘆き;
culpa rubet vultus meus:....................罪を恥じて顔を赤らめます;
supplicanti parce Deus.......................神よ、許しを請う者に慈悲をお与えください。
Qui Mariam absolvisti,.........................(マグダラの)マリアを許し、
et latronem exaudisti,.........................盗賊の願いをもお聞き入れになった主は、
mihi quoque spem dedisti,...................私にも希望を与えられました、
Preces meæ non sunt dignæ:...............私の祈りは価値のないものですが;
Sed tu bonus fac benigne,...................優しく寛大にしてください、
Ne perenni cremer igne.......................私が永遠の炎に焼かれないように。
Inter oves locum præsta,....................私に羊の群れの中に席を与え、
et ab hædis me sequestra,..................牡山羊から遠ざけ、
statuens in parte dextra.....................あなたの右側においてください。
第3曲Sequenz(続唱)-ラクリモサ(涙の日)Lacrimosa ニ短調
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker
ウィーン・国立オペラ座合唱団 Der Wiener Staatsopernchor
指揮:サー・ゲオルク・ショルティ Sir Georg Solti
Lacrimosa dies illa,..........................涙の日、その日は、
qua resurget ex favilla......................灰の中からよみがえる日です。
judicandus homo reus:.....................罪ある者が裁きを受けるために:
Huic ergo parce Deus.......................神よ、この者をお許しください。
pie Jesu Domine,.............................慈悲深き主、イエスよ、
Dona eis requiem. Amen...................彼らに安息をお与えください。アーメン。
★★★★★ ★★★★★
『モーツァルトは死の少し前、ジュスマイヤー(弟子)と私(モーツァルト未亡人のコンスタンツェ)と一緒に
レクイエムを歌い、いくつかの箇所で涙を流したのです。』
★1829年7月14日、コンスタンツェと面談したメアリー・ノベロ婦人(英)の記録(A Mozart Priglimageより)。
第三者よりの依頼によって作曲していたレクイエムがまさに自分の為のレクイエムであることを
モーツァルトは悟っていたのである。高熱にうなされながらも、レクイエムを最後まで
口ずさんでいたという。
夫人のコンスタンツェとその妹のゾフィー、医師のクロセット博士に看取られ1791年12月5日月曜日
午前0時55分ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは最後の息をひきとったのである。
700曲以上もの作品を遺して。
★5歳の時から作曲し続けた楽曲総数には断片も含む。遺した楽譜の総数は約2万4000枚。
★W.A.Mozartという称号は聖シュテファン大聖堂教会事務局の死亡者名簿に記載されている。
★ザルツブルグ大聖堂の洗礼者名簿に記載されているモーツァルトの洗礼名と生年月日は次の通り;
ヨハンネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオーフィルス・モーツァルト:Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart
1756年1月27日夜8時に誕生、1756年1月28日朝10:30洗礼。
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モーツァルト27歳・演奏会の成功とザルツブルク里帰り(ウィーン③1783年)
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モーツァルト28歳・演奏活動絶頂期(ウィーン④1784年)
モーツァルトと小鳥たち (クラビーア協奏曲(第17番)ト長調(K.453)第三楽章の主題を歌うムクドリとモーツァルト)
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ドン・ジョヴァンニ(その1)
モーツァルト32歳・三大交響曲とブフベルク書簡(ウィーン⑧1788年)
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モーツァルト34歳・「コシ・ファン・トゥッテ」(ウィーン⑩1790年)
モーツァルト35歳前半・「皇帝ティートの慈悲」(ウィーン⑪1791年前半)
モーツァルト35歳後半「魔笛」と「レクイエム」(ウィーン⑫1791年後半)
ラクリモサの演奏を入れてくださってアマデウス様ならではのお計らいと
思います。
遺骨のないモーツアルトのお墓には3度ばかりまいりましたが、行くたびにやはり感慨深いものがありました。
by 塩 (2009-12-04 10:40)
Dr.塩!こんにちは~☆
ご多忙中コメントを頂きありがとうございます!
たとえ象徴的なお墓であっても非常に感慨深いものがありますね☆
三度も行かれたとは、さすがモーツァルティアンですね☆
by アマデウス (2009-12-04 12:57)
ラクリモサを聴くと・・・映画『アマデウス』のラストシーンを思い出してしまいます^^;Aアセアセ
私が修行中に聞いた曲のひとつで・・・
当時の会社の1分間スピーチでも披露した話しですが、
「現場仕事に疲れ、夜は・・・この『レクイエム』を聴きながら死んだように眠ります。」
ただ残念な事に、この話しを理解してくれたのは、音楽好きな先輩たった一人でした(w)
by kontenten (2009-12-04 14:18)
明日の5日が、モーツァルトの命日ですか?先日手に入れたカラヤンの『ドン・ジョバンニ』のDVDを見ながら、モーツァルトを偲ぶことにいたします。
by whitered (2009-12-04 17:50)
私はウィーンで3年ほど聖シュテファン大聖堂のすぐ近くに
住んでいたことがあります。
とてもうれしく、懐かしく記事を読ませていただきました。
by nanno (2009-12-04 19:44)
kontentenさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
映画「アマデウス」、Sir Neville Marrinerの選曲が効果抜群ですよね☆
最初の場面でジャーン♪と鳴り響く不気味な和音は「ドン・ジョヴァンニ」の序曲
でしたね☆
会社での一分間スピーチのお話、「レクイエム」で癒されながら頑張らたのですね。音楽好きな先輩がそのあと、説明をしてくれているかも知れませんね☆
by アマデウス (2009-12-04 22:51)
whiteredさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
カラヤンの「ドン・ジョヴァンニ」のDVDゲットおめでとうございます☆
モーツァルトを偲びながらお楽しみ下さい☆
by アマデウス (2009-12-04 23:00)
nannoさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
聖シュテファン大聖堂のすぐ近くにお住まいだったのですね☆
この記事を書きながら「ラテン語の授業」の記事を
思い出していたんですよ☆
by アマデウス (2009-12-04 23:17)
>ラクリモサ(涙の日)Lacrimosa ニ短調
最も好きな曲の一つです。
by アヨアン・イゴカー (2009-12-05 12:00)
モーツァルトの命日だったのですね。
Lacrimosaを聴くと「アマデウス」で使われている場面を思い出してしまいます。
by Cecilia (2009-12-05 13:06)
こんにちわ。映画の最後の音楽がシーンと共によみがえりました。
モーツアルトが頼まれて書いた曲が自分のためのレクイエムだった
とは、哀しすぎますね~。雨の中を走る馬車も印象的でしたね。
いつも良いもの見せて頂いて有難うございます。
by pegasas (2009-12-05 15:16)
死期が迫り来ることを察しつつレクイエムを作曲したモーツアルトの心中は
はかり知れませんが、ほんとうに名曲ですね。
by Nyandam (2009-12-05 16:51)
アヨアン・イゴカーさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
お好きなことがわかり嬉しいです☆
by アマデウス (2009-12-06 06:16)
Ceciliaさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
マリナーが選曲して指揮したアカデミー室内管弦楽団のサウンドトラックは
素晴らしいと思います☆
by アマデウス (2009-12-06 06:25)
pegasasさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ウィーン近郊の温泉保養地バーデンから雨の中を馬車を走らせてウィーンに
戻るコンスタンツェと息子のカール・トーマス(当時7歳)、BGMは交響曲第25番
ト短調、第一楽章;印象的な場面でしたね☆
by アマデウス (2009-12-06 06:37)
Nyandamさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
死の直前までレクイエムの作曲を続行するとは、まさに神業ですよね☆
そして、自分の作曲したレクイエムを最後まで口ずさんで昇天出来たのは
ある面幸せであったとも言えますよね☆
by アマデウス (2009-12-06 07:18)
アマデウスさんならではの柔らかい光に満ちた文章です
ジョージ・ソルティの「ラクリモサ」…良いですね 僕も好きな演奏です
ところで
僕は「モツ・レク」は「奇しきラッパの響き」のトロンボーンが
いっつも気になって仕方がありません
僕には モーツァルトの頭の中で響いていた音楽なのだろうか? と
感じざるを得ないです ジュスマイヤーの補筆に疑問符をつける人も
いるようですが…僕は
①歌詞に出てくる「Tuba mirum spargens …」の「Tuba」という言語
②トランペットの歴史
③トロンボーンの歴史
の3つの要素を点検してみる価値がありそうかな と感じています
もちろん モーツァルト時代の金管楽器と今のとは違う響きだし
宗教曲で「トロンボーン」を使う先例も確かに既にあったのですが…
この「トロンボーン」という言葉が曲者のような気がします
大いなる「問題作」が 僕にとっての「モツ・レク」です
長くなるのでこの辺で^^;
by ヒデキヨ (2009-12-07 23:14)
ヒデキヨさん!こんにちは~☆
「奇しきラッパの響き」については;
トロンボーンの響きに導かれバスそしてテノール、アルト、ソプラノと続く
素晴らしい曲として聴いていたのですが、非常に奥の深いコメントありがとうございます!確かにヴェル・レクではトランペットですね。
①ラテン語Tubaの伊・仏・西・英語訳はトランペットとなっています。独語では”posaune"となっておりこれは”トロンボーン”のことですよね。
②J.S.バッハのカンタータ、ハイドンのオラトリオではかなりトロンボーンが使用されています。
③ベートーヴェンは交響曲第5番で交響曲としては初めてトロンボーンを起用しました。これは宗教的荘厳さを表す為であった様です。
★上記①②③より当時ドイツ語圏ではトロンボーンが「神の楽器」として使用されたのかなァ。。。という「感じ」がしています★
☆おかげで楽しい宿題が出来ました★これからも引き続き種々アドバイス頂ければ幸甚です☆
by アマデウス (2009-12-08 23:50)
名曲、名演奏ですよね。
by LittleMy (2009-12-14 13:16)
LittleMyさん!こんにちは~☆
ありがとうございます!素晴らしいですよね☆
ところでブラームスのドイツ・レクイエムにもトロンボーンが起用されていますね★
歌詞はマルティン・ルターが1521年頃ギリシャ語の聖書から直接独語に
翻訳した「ドイツ語聖書」から引用したわけですが、ルターはギリシャ語で
「ラッパ」に該当する部分を”posaune"即ち「トロンボーン」と訳していることがわかりました★
ドイツ・レクイエム特に第6曲を聴いてみて下さいね☆
by アマデウス (2009-12-14 21:26)