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マネの描くハプスブルク家の悲劇 [美術]

≪メキシコ皇帝マクシミリアン1世の処刑≫

19世紀のフランスの画家、エドゥワール・マネ(Édouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)は、
西洋近代絵画史の冒頭を飾る印象派の先駆者の一人です。

マネの歴史画の代表作『皇帝マクシミリアンの処刑』に描かれているのは、ハプスブルク家出身の
皇帝マクシミリアン1世がメキシコの自由主義的改革派ベニート・フアレス軍によって捕らえられ、
側近のミゲル・ミラモン(Miguel Miramón 35歳)、トマス・メヒア(Tomás Mejía 47歳) の両将軍と共に
銃殺刑に処される場面です。

オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの弟であるマクシミリアンは、ナポレオン3世の要請により、
フランス軍のメキシコ駐留の継続とメキシコ国民の同意があることを条件として
メキシコ皇帝に即位した(詳細後述)

銃殺刑はメキシコの、ケレタロ州セロ・デ・ラス・カンパナス(Cerro de las Campanas=鐘の丘)で、
1867年6月19日に執行され皇帝マクシミリアン1世は在位わずか3年で没した。満34歳であった。

マクシミリアン1世は銃殺刑の執行に際し、スペイン語で最期の言葉を遺したのである。

Mexicanos! Muero por una causa justa, la de la independencia y libertad de México.
Ojalá que mi sangre ponga fin para siempre a las desgracias de mi nueva patria.
¡Viva México!".

メキシコ国民!私はメキシコの独立と自由という正義の為に死ぬ。
いま流される血が、私の新しい祖国の不幸に永遠の終止符を打つことを望む。
メキシコ万歳! 」

★マクシミリアン1世/マクシミリアーノ1世(独語:Maximilian I 、西語:Maximiliano I de México、 1832年7月6日 -
1867年6月19日)は、ハプスブルク=ロートリンゲン家4人兄弟の次男。メキシコ皇帝 (在位:1864年 - 1867年)。
全名は、フェルディナント・マクシミリアン・ヨーゼフ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(Ferdinand Maximilian Joseph
von Habsburg-Lothringen)。
*長兄のフランツ・ヨーゼフは1848年12月18歳でオーストリア帝国皇帝。皇后はElizabethエリザベート(愛称:シシィ)。
*1854年、オーストリア帝国海軍の司令長官となり、1857年にベルギー国王レオポルド1世の王女シャルロッテ・フォン・ベルギエンと結婚。
同年、ロンバルド=ヴェネト王国の副王となる(1859年兄の皇帝フランツ・ヨーゼフにより解任)。
*ロンバルド=ヴェネト王国(伊語:Regno Lombardo-Veneto)は、北イタリアに存在し、オーストリア帝国の
一部として支配下にあった王国である。首都ミラノ。
ウィーン会議により1815年6月9日に公式に成立し、ミラノ公兼マントヴァ公だったオーストリア皇帝フランツ1世が
ロンバルド=ヴェネト王フランチェスコ1世となった(在位:1815年 - 1835年)。そして以後もオーストリア皇帝が
国王を兼ねた。
*ロンバルド=ヴェネト王国は皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の時代、ヴェーネトがイタリア王国に併合される1866年まで続いた。
ロンバルディアはこれに先立って1859年、第二次イタリア独立戦争の際に併合された。

★ナポレオン3世(Napoléon III)、本名シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(Charles Louis-Napoléon Bonaparte,
1808年4月20日 - 1873年1月9日)は、フランス第二共和政の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝
在位:1852年 - 1870年)。皇后はスペイン貴族の娘ウジェニー・ド・モンティジョ。
ナポレオン1世の甥に当たり、ルイ=ナポレオンと通称される。

作品に描かれている兵士の軍服は当時のフアレス軍のものではなく
フランス軍軍服である。
こうすることによりマネマクシミリアン皇帝を孤立させた
ナポレオン3世への痛烈な皮肉批判を表しているのである。


Edouard_Manet_022.jpg
エドゥアール・マネ作『皇帝マクシミリアンの処刑』 1867年 油彩・画布
”L'execution de l'empereur Maximilian” 252×305cm
マンハイム市立美術館蔵               (クリック拡大)


本作品の構図並びに構成はスペインが生んだロマン主義の大画家
フランシスコ・デ・ゴヤの傑作『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺
(1814年)から着想を得ていることが知られている。

★「1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺」:1808年5月2日のフランスによるスペイン征服への
反乱に対する報復として、ナポレオン軍の銃殺隊が、マドリッドの愛国者を処刑する場面を描いた作品。

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当時メキシコは、自由主義的な改革を推進しようとするベニート・フアレスらと保守派の間で
内戦状態(「レフォルマ戦争」1857-1861)となっており、1861年までにはフアレス側が優勢となった。

★ベニート・パブロ・フアレス・ガルシア:Benito Pablo Juárez García, 1806年3月21日 - 1872年7月18日、
メキシコ皇帝マクシミリアン1世の銃殺刑後、先住民族から選出された初のメキシコ大統領となり、2度(1861年 - 1863年および
1867年 - 1872年)大統領を務める。フアレスは最も偉大で敬愛されるメキシコの指導者であり、《建国の父》とたたえられている。

フアレスは サンタ=アナ(1794-1876)の独裁政権を倒したのち、1861年教会財産の没収
土地改革宣言を発表し、さらに対外利子支払いの2年間停止を発表した。

★サンタ=アナ:Antonio de Padua María Severino López de Santa Anna y Pérez de Lebrón (1794年2月21日 –
1876年6月21日) メキシコの将軍、大統領。フアレスに倒されコロンビアに亡命するまでの22年間に7回大統領となっている。

メキシコに投資してきたイギリス・フランス・スペインは共同で出兵し、軍事圧力をかけたので、
メキシコ政府はやむを得ず利子支払いに応じた。

イギリススペインは撤退したが、メキシコ保守派フランス皇帝ナポレオン3世と結んで
巻き返しを図った。又、ナポレオン3世としてもメキシコへの野心を実現すべく賠償額が
決定されていないという理由で1862年さらに軍隊を増派し、アメリカ合衆国南北戦争に突入して
介入が困難だったこともあり、メキシコに軍事干渉を行い、1864年にナポレオン3世
オーストリア皇帝の弟であるマクシミリアンを傀儡として帝位に就けた。 

★南北戦争:American Civil War, 1861年 - 1865年アメリカ合衆国に起こった内戦。

ナポレオン3世よりの申し入れに対し、マクシミリアンは「フランス軍の継続的現地駐留」と
メキシコ国民の同意が得れること」を条件として皇帝に即位することを受諾したのである。

メキシコ保守派形式的な国民投票を実施して「メキシコ国民の同意」をでっちあげた。

これを受けたマクシミリアンは1864年5月28日帆船「ノバラ」号でベラクルス港に上陸、
同年6月12日メキシコシティにてメキシコ皇帝に即位し、ヨーロッパ各国がこれを承認した。
マクシミリアンは32歳、皇后のシャルロットは22歳であった。

しかし、実際には①メキシコ国民からの支持が得られなかったこと、②南北戦争を終えた合衆国が
モンロー主義に基づきマクシミリアンの即位に反対したこと、③マクシミリアン自身が自由主義的
思想を有しており、メキシコの保守派とも良好な関係を築けなかったことなどから、彼の地位は
当初より非常に脆いものであった。

★モンロー主義:Monroe Doctrine、1823年、第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、ヨーロッパ諸国に対して、
アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。

さらに、ヨーロッパ本国でプロイセン王国が急速に強大化したため、フランスはメキシコ問題に
拘泥することを望まなかった。また南北戦争を終結させた合衆国もモンロー宣言にもとずき強硬に
ナポレオン3世に抗議したこともあり、ナポレオン3世はメキシコ支配をあきらめてフランス軍を
撤退させてしまった。このため、メキシコの自由主義勢力が勢力を挽回してくるのである。

孤立無援となったマクシミリアンは自由主義勢力に捕らえられ、側近のミゲル・ミラモン、トマス・
メヒアの両将軍と共に銃殺刑に処された。遺体は故国に戻り、ウィーンの皇族たちが眠る
カプツィーナー納骨堂に埋葬された。

エドゥアール・マネはフランスの軍服を着た銃殺隊による処刑場面を描くことで、マクシミリアン
見殺しにしたナポレオン3世を痛烈に批判しているのである。

ナポレオン3世はこの失政でフランス国民の信頼を失い、1861年以来の何の意味も無いメキシコ政策で
莫大な予算を費やし、更にこれに普仏戦争の敗北が加わり、フランス第二帝政(1852年 - 1870年)は
崩壊するのである。

★普仏戦争(ふふつせんそう, 仏:Guerre franco-allemande de 1870, 独:Deutsch-Französischer Krieg,
1870年7月19日 - 1871年5月10日)は、第二帝政期のフランスとプロイセン王国(後のドイツ帝国)の間で行われた
戦争である。ドイツ諸邦もプロイセン側に立って参戦したため独仏戦争とも呼ぶ。

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銃殺に処せられたマクシミリアン皇帝の后マリー=シャルロットは、1857年7月27日、
17歳でハプスブルク家のマクシミリアン大公と結婚。イタリア、トリエステのミラマール城
ロンバルド=ヴェネト王国の副王妃として新婚時代を過ごした。

★仏:マリー=シャルロット・アメリー・オギュスティーヌ・ヴィクトワール・クレマンティーヌ・レオポルディーヌ(Marie-Charlotte
Amélie Augustine Victoire Clémentine Léopoldine, 1840年6月7日 - 1927年1月19日)は、ベルギー国王
レオポルド1世と王妃ルイーズ=マリーの第1王女。ドイツ語名シャルロッテ(Charlotte von Belgien)。スペイン語名は
カルロータ(Carlota de Bélgica)。ベルギー国王レオポルド2世は兄である。

1864年、夫マクシミリアンのメキシコ皇帝即位に伴い、シャルロットは皇后として、メキシコシティの
チャプルテペック城に居を構えた。

ナポレオン3世がメキシコ駐留フランス軍の引き揚げを決定すると、臨時大統領ベニート・フアレスの
指揮する抵抗運動に押され苦境に陥る。そこでシャルロットは支援を求めてヨーロッパに渡り、
パリではナポレオン3世の説得にあたり、バチカンではローマ法王ピウス9世に謁見するが、
いずれも不首尾に終わる。

★ピウス9世:Papa Pio IX, 1792年5月13日-1878年2月7日)、ローマ教皇(在位:1846年6月16日-1878年2月7日)、
31年7ヶ月という最長の教皇在位記録を持つ。ピオ9世とも表記される。

シャルロットは次第にパラノイアの症状を呈しはじめ、兄フィリップ(フランドル伯)が精神科医に
彼女を診察させたところ、精神科医は彼女の発狂を宣告、シャルロットはミラマール城幽閉された。

その後シャルロットは故国ベルギーに戻り、メイズ(Meise)のバウハウト城(Château de Bouchout)
幽閉されたが、亡くなるまで自分はメキシコの皇后であり、夫マクシミリアンはまだ生きていてすぐに
帰ってくると信じ、マクシミリアンの愛称である「マックス」と名付けられた小さな人形といつも一緒に
寝ていたという。

シャルロットは夫マクシミリアンの死から60年も経った1927年1月19日、正気に戻らぬまま
肺炎により86歳で永眠した。

★シャルロットの精神病はメキシコで妊娠を促す薬草であるとしてテイウインテイというキノコ(seta teyhuinti)
別名「神々の肉」を大量に摂取したことによるとの憶測がある。このキノコは少量を水に溶かして飲むと強壮薬
になるが、大量に摂取すると生涯回復不能の精神病になると伝えられている。
薬草は皇后が隠密裏に相談した薬草師(革命派フアレスに肩入れしていた)が皇后であることをみやぶり知らぬ顔をして
上述のキノコを調製したという。真偽の程は定かではない。

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アメリカ合衆国は、南北戦争が終結すると目を海外にむけられるようになり、カリブ海沿岸地域への
干渉が始まった。1889年、国務長官ブレーン(J.B.Blaine 1830 -1893)が主導して第一回
パン=アメリカ会議(Pan American Congress 汎米会議)をワシントンで開催し、
1898年この地域を植民地としていたスペイン米西戦争をおこし、従来の孤立主義的姿勢から
帝国主義政策に転換したのである。

★米西戦争によって、アメリカは、フィリピン、グアムおよびプエルトリコを含むスペイン植民地のほとんどすべてを獲得し、
キューバを保護国として事実上の支配下に置いた。以降、アメリカの国力は飛躍的に拡大していき、南北アメリカ大陸と
太平洋からスペインの影響力が一掃され、代わりにアメリカが入れ替わって影響力を持つという、覇権の移譲とも取れる
流れとなったのである。
★当時の米国大統領はウィリアム・マッキンリー(William McKinley, 1843年1月29日 - 1901年9月14日)
第25代アメリカ合衆国大統領(在任:1897 - 1901)。スペイン首相はサガスタ (Praxedes Mateo Sagasta)
スペイン王はアルフォンソ13世(1886年5月17日ー1941年2月28日、在位:1886年ー1931年)
★参考文献:米国にとっての米西戦争

マネの描く「メキシコ皇帝マクシミリアンの処刑」は、ハプスブルク家の悲劇としてはもとより、
ナポレオン3世によるフランス第二帝政の崩壊、さらには、南北アメリカ大陸におけるヨーロッパの
影響力が米国の放ったモンロー主義という銃弾によって完全に排除される瞬間を思い起させるのである。



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塩

ハプスブルク家については大変興味があります。
by (2009-12-18 09:21) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ハプスブルク家についての興味を共有していることがわかり
大変嬉しいです☆
by アマデウス (2009-12-18 13:03) 

daland

daland です。
お越し頂きありがとうございました。
by daland (2009-12-19 00:18) 

アマデウス

delandさん!こんにちは~☆
こちらこそいつもありがとうございます!
これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2009-12-19 06:27) 

nekotaro

結構、重い話でしたが、今年1年の感謝を込めて・・・(^^;)

Merry Christmas !! ヾ(^v^)k
来年もよろしくお願いいたします!!
いつも勉強させて頂いておりますぅ(^o^)


by nekotaro (2009-12-22 09:22) 

pegasas

印象派のマネの絵は好きですが、マネの政治的な絵はあまり見た事
ないように思います。日本での印象派の展覧会には持ってこないのかも
知れませんね。マネの代表作なんですね。勉強になりました。
by pegasas (2009-12-22 21:22) 

アマデウス

nekotaroさん!こんにちは~☆
種々お付き合い頂きありがとうございます!
こちらこそ来年も宜しくお願い致します☆
Wish you a Merry X'mas !

by アマデウス (2009-12-22 21:46) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
マネの歴史画の代表作ですが、歴史的背景などは日本では
なじみが薄いのでしょうね☆
by アマデウス (2009-12-22 21:49) 

モッズパンツ

対外利子支払いの2年間停止を発表って、そんな勝手なコトを言ったら、債権国はみんな怒りますよねw。まあ、政治的な何かがあったのでしょうけど。w (^ω^)b

日本は、第一次大戦後に敗戦国ドイツの植民地であったミクロネシアの島々を、漁夫の利で獲得し、マリアナ、パラオ、カロリン、マーシャルなどミクロネシアのほぼ全域を手中に治めるわけですが、グアムだけはアメリカ領(元スペイン領)であったんですよね。こう見てくると、世界の歴史はつながっておりますね。太平洋戦争中は、一時日本が支配していたわけですが。w (´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2009-12-23 07:52) 

アマデウス

モッズパンツさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
★ロシア革命後、新政府(旧ソ連)が第一次大戦のロシア帝国の対外債務を引き継ぐことを拒否し対外債務を踏み倒した例もありますね★
★そういえば、1979年ミクロネシア連邦が憲法を制定し自治政府が発足、初代大統領に日系のトシオ・ナカヤマ氏が就任していますよね(^―^)
by アマデウス (2009-12-23 12:16) 

モッズパンツ

☆   Merry
|\ Christmas!
∴∴∴∴
(´・ω・`)
(;;つ□O;
L,,,[:],」
(__)_)
by モッズパンツ (2009-12-25 22:31) 

アマデウス

モッズパンツさん!Merry Christmas!
AAアジトからのクリスマスカードありがとうございます ヽ( ´¬`)ノ
 
by アマデウス (2009-12-27 22:46) 

LittleMy

この絵は、本当に深いです。
by LittleMy (2009-12-28 13:09) 

アマデウス

LittleMyさん!こんにちは~☆
歴史的背景などを書き連ねると深~くなってしまいますが。。。
まずは感性で鑑賞し、適宜背景を組み合わせるということに
なろうかと思います☆コメントありがとうございます!
by アマデウス (2009-12-29 09:19) 

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