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モーツァルトの西方大旅行②(ロンドン①) [モーツァルト]

ヴォルフガング(当時8歳)の父レオポルトはパリからロンドンに行くことを決め、1764年4月10日
一家はパリを発ち、馬車でカレー(Calais、仏の港町)に向かった。カレーからドーバー海峡を渡り、
ロンドンに着いたのは4月23日であった。海峡を渡る際、全員が酷い船酔いになやまされたと、
レオポルトはザルツブルクのハーゲナウアー氏宛の手紙で語っている。

★レオポルトはザルツブルクを発った時はパリから帰国の途につくかロンドンまで足を伸ばすか決めかねていたわけだが、
パリにおいても関係者から強くロンドン行きを勧められ、これを決断したのであった。

早くも到着5日後の4月27日に一家はバッキンガム宮殿に招待され、国王ジョージ3世
シャーロット王妃に謁見し、御前演奏を行った。

その時の模様についてレオポルトは次の様に語っている。

≪国王はあの子の前にヴァーゲンザイルの曲ばかりでなく、バッハ、アーベル、それに
ヘンデルの曲も差し出されましたが、全部をあの子は初見で弾きとばしたのです。

あの子は国王のオルガンで、みんなが彼のオルガン演奏をクラヴィーアを弾くよりも
ずっと高く評価するほどみごとに演奏しました。それからあの子は王妃のお歌いになる
アリアや横笛奏者の独奏に伴奏をつけました。

最後にあの子は偶然そこに置いてあったヘンデルのアリアのヴァイオリンの譜面を取り上げて、
そっけないバスの上に、まことに美しい旋律を奏したので、一同全くびっくりしてしまったのです。

要するに、私どもがザルツブルクを発ったときにあの子が知っていたものは、現在あの子が
知っているものからすれば、まったくの影にすぎないのです。それは想像力という想像力を
踏み越えるものです。≫
(レオポルトよりザルツブルクのハーゲナウアー宛て書簡。ロンドン、1764年5月28日付       モーツァルト書簡全集)



George_III_in_Coronation_Robes-1.jpg         Charlotte_Sophia_of_Mecklenburg-Strelitz_by_studio_of_Allan_Ramsay-1.jpg     
ジョージ3世     1761-62年                              シャーロット王妃     1762年
147 x 106 cm  画:Allan Ramsay                                画:Allan Ramsay
National Portrait Gallery, London                       National Portrait Gallery, London



上述のレオポルトの手紙で注目すべき点の一つは、1763年6月9日ザルツブルクを発ってから
この手紙を書くまでの約1年の間にいかにヴォルフガングが音楽家として進歩したかを
記述している点であろう。優れた音楽家である父レオポルト自身が感嘆する程の進歩を
ロンドン到着までの旅を通じてなしとげているのである。神童モーツァルトの楽才は
ロンドン滞在を通じさらに磨きがかかるのである。

パリに続きロンドンでも成功をおさめるのであるが、7月に入り、レオポルトが病に倒れ1ヶ月
たっても体調が回復しない為、一家は8月から9月末までロンドン郊外のチェルシーに
居を移し、レオポルトの療養に専念するという事態もあった。

モーツァルトはこの期間に42曲のクラヴィーア作品(K.15a - 15ss)を作曲している。
当時8才のモーツァルトは、これら42曲の楽譜を自分自身で書くようになった。
この楽譜帳が「ロンドン・スケッチ帳」なのである。
「ロンドン・スケッチ帳」には、メヌエット、ジグ、シチリアーノ、コントルダンス、アルマンド等の
舞曲系列の作品、アンダンテ、ソナタ楽章といったソナタ交響曲を想定したものが並ぶ。

★ロンドン・スケッチブック:数え方によっては43曲の作品群。

ヨハン・セバスティアン・バッハ(大バッハ)の末っ子(第11子)であり、ロンドンで活躍し、王妃
シャーロットの音楽教師でもあったヨハン・クリスティアン・バッハ(J.C.バッハ、当時29歳)とは
非常に親しくなり、モーツァルトは21歳年上のバッハを深く尊敬し、バッハも神童の才能を高く
評価し、バッハ一族の音楽の伝統とイタリアの新しい趣味やオペラを幼いモーツァルトに
教えたのである。

神童モーツァルトを膝の上に乗せたJ.C.バッハが、フーガを弾きはじめ、これを中断すると、幼い
モーツァルトがただちにそれを取り上げ見事に仕上げたという微笑ましい光景もあった。

★ヨハン・クリスティアン・バッハ:Johann Christian Bach, 1735年9月5日 - 1782年1月1日、ドイツ出身の
コスモポリタンな前古典派の作曲家。

モーツァルトは≪ヴァイオリン又はフルート(及びチェロ)の伴奏で演奏できるクラブサンのための
6つのソナタ(通称ロンドン・ソナタ)≫K10-15を作曲し、1765年初頭にはロンドンで「作品III
として出版した。この作品はイギリス王妃シャーロットに献呈(1765年1月8日付)されたのである。

★6つのソナタ:変ロ長調K.10, ト長調K.11, イ長調K.12、ヘ長調K.13, ハ長調K.14, 変ロ長調K.15の6曲。
作曲は主として1764年の秋に行われた。様式的には「パリ・ソナタと同様「伴奏つきクラヴィーア・ソナタ」に属す。
★ロンドン・ソナタにはJ.C.バッハやショーベルトのソナタや室内楽から学んだ様式が見受けられる。
★これら6曲はケッヘル旧全集から第6版まで「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」とされていたが、新全集では
「ピアノ三重奏曲」と位置づけられている。したがって、この作品は「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第5番」
または「ピアノ三重奏曲第1番」ということになる。
★変ロ長調K.10におけるクラヴィーアの華やかな扱いはヨハン・ショーベルトの影響を受けており、ト長調K.11の
緩ー急というゆるやかな2楽章構成や典雅で流麗な曲調はJ.C.バッハの影響を受けている。



ヴァイオリン又はフルート(及びチェロ)の伴奏で演奏できる
クラブサンのためのソナタ ヘ長調K.13 第一楽章アレグロ
ハープシコード:ブランディーヌ・ヴェルレ Blandine Verlet
ヴァイオリン:ジェラール・プーレ Gerard Poulet

画像は1764年パリで描かれた絵:神童8歳、ナンネル13歳、父レオポルト45歳



他方、モーツァルトは、ロンドンで当時華々しい活躍をしていたソプラノ・カストラート歌手(去勢した
男性ソプラノ歌手)ジョヴァンニ・マンツォーリ(Giovanni Manzuoli 1720–1782)と親しくなり、
個人レッスンを受けると共に彼の出演するオペラに頻繁に出かけるなど、オペラ作曲家
としての基礎を身につけて行くのである。

レオポルトは、当時ロンドンではオペラは五つか六つ上演されているとハーゲナウアー宛の手紙
(1765年2月8日付)で語っている。モーツァルトはこれらのオペラも聴きに行ったにちがいない。
①「エツィオ」:台本はピエトロ・メタスタージョ。数人の作曲家によるパスティッチョ(合作)。1764年11月24日キングス・シアター(ヘイマート)で上演。
②「ベレニーチェ」:1765年2月1日初演。7人の作曲家のパスティッチョ(Pasticcio)。
③「シリアのアドリアーノ」:作曲J.C.バッハ。1765年1月26日キングス・シアター(ヘイマート)で初演
④「デモフォンテ」作曲:マッティア・ヴェント。1765年3月2日初演。
⑤「牧人の王」イル・レ・パストーレ:作曲フェリーチェ・ジャルディーニ。カストラート歌手マンツォーリ出演。1765年3月7日。
⑥その他パスティッチョ・オペラが一つ又は二つ上演される予定であると述べている。
★パスティッチョ・オペラ:既存のアリアを寄せ集めて新たな台本のなかに再構成するオペラ。

かくして神童ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト9歳と父レオポルト、母アンナ・マリア
姉ナンネルの1765年ロンドン滞在は続けられて行く。。。



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バロックが好き

8才でこれほどの事が出来るとは・・・。
神童という言葉がふさわしいですね♪
歌の個人レッスン。。。
モーツアルトの声はどんな声だったんでしょうね^^。
by バロックが好き (2010-03-25 09:10) 

塩

私のブログ欄にも書かせていただきましたが、ご丁寧なありがたいコメントを頂戴し、アマデウス様に厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。 今後ともよろしくお願いいたします。
これを機会にかなり前から使っている私のハンドルネーム「塩」の語源?を初めてお知らせいたします。私も同じくモーツァルトが好きで、何度か生誕の地のザルツブルクを訪ねもしました。ご存じのとおりザルツはドイツ語の「塩」ですので、そこから勝手に頂戴したわけです。
アマデウス様の毎日の熱心なお書きこみ、特にモーツァルト関連のご努力にはいつも感心させられています。
by (2010-03-25 09:22) 

アマデウス

バロックが好き さん!こんにちは~☆
モーツァルト8歳の声楽については次の通り記録されています☆
≪彼の声はその調ではか細く、子供っぽいものでしたが、その歌いぶりはまことに見事で、なにものも凌駕しえないものでした。≫
恐らく、ウィーン少年合唱団のボーイ・ソプラノの様に美しく歌ったのだと思われます☆
by アマデウス (2010-03-25 11:49) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは~☆
ご鄭重なコメントを頂き恐縮至極です☆ありがとうございます!
HN「塩」はSalzburgからでしたか!
さすがモーツァルティアン!ですね☆由来をお伺いして嬉しくなりました☆
こちらこそ、これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-03-25 12:01) 

Esther

きょうもレッスン行ってきました。K.333弾いてきました。
クラヴィーア小品集も好きでよく弾いています。
モーツァルトの歌声とピアノを実際,聴いてみたいものですね。
ところで、アマデウスさん、映画の「アマデウス」はどう思われますか?
by Esther (2010-03-25 19:13) 

アマデウス

Estherさん!こんにちは~☆
その後お元気そうなので安心しました☆K.333弾かれているんですね☆
ミロス・フォアマン監督作品「アマデウス」、感想を書き出すと記事になりそうですが。。。一番感心したのは音楽監修をした指揮者サー・ネビル・マリナーの選曲の良さです☆最初に鳴り響く「ジャーン♪」という不気味な和音(ドン・ジョヴァンニの序曲より)から始まりエンドロールに流れるピアノ協奏曲第20番ニ短調第二楽章。。。感動。。。☆
by アマデウス (2010-03-25 21:10) 

北のほたる

nice!
http://kitanohotaru.blog.so-net.ne.jp/
by 北のほたる (2010-03-26 00:25) 

アマデウス

北のほたる さん!こんにちは~☆
簡潔・明瞭なるコメントありがとうございます☆
by アマデウス (2010-03-26 07:18) 

Cecilia

ヴァーゲンザイルとアーベルという作曲家が気になりました。
J.C.Bachとのエピソード、ほほえましいですね。
「ロンドンスケッチ帳」は聴いたことがあるのですが、なかなか面白いと思いました。
by Cecilia (2010-03-26 09:14) 

モッズパンツ

初見でスラスラ弾けちゃうっていうのもスゴイですよねー。w (^ω^)b
モーツァルトはこの旅行で、音楽家として、また一回り大きくなったんですね。w (´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-03-27 02:25) 

アマデウス

Ceciliaさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ヴァーゲンザイルもアーベルもご承知の通り、当時はヨーロッパ中で売れっ子の作曲家・演奏家(前者はクラヴィーアとオルガン、後者はヴィオラ・ダ・ガンバ)だったわけですが。。。今後彼らの作品が演奏されることが多くなるかもわかりませんね☆
by アマデウス (2010-03-27 06:33) 

アマデウス

モッズパンツさん!こんにちは~☆
当時の高名な作曲家の作品を8歳で初見で見事に弾きとばすというのはすごい。。。まさに神童ですよね☆
コメントありがとうございます☆\(^ω^\)

by アマデウス (2010-03-27 06:39) 

pegasas

8歳の子供とは思えない進歩ぶりですね。頭の中は
どんなだったのでしょうね。ロンドンではバッハとの出会い
などあってモーツアルトにとっては良い勉強になったのですね。
by pegasas (2010-03-29 23:27) 

LittleMy

まさに神童ですね!
by LittleMy (2010-03-30 11:09) 

nekotaro

天才であるばかりか、
良い意味でシナリオが綴られていくというか、
これだけのサクセスストーリーは、
あまり読んだことも、聞いたこともありません(^o^)
by nekotaro (2010-03-30 18:59) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
『音楽が頭に浮かぶと、夜中でも起き上がってクラヴィーアに向かって
弾いて見る』というのが8歳のモーツァルトだったそうでです。西方大旅行は
神童にとって飛躍の旅だったのですね☆
by アマデウス (2010-03-31 22:49) 

アマデウス

LittleMyさん!こんにちは~☆
まさに神童ですよね☆コメントありがとうございます!
ところで5歳から作曲を始めたモーツァルトが35歳で亡くなるまでの30年間に作曲した小節数は最低でも約136万小節となりこれをベースに計算すると。。。
一日平均124小節の作曲をしたことになるそうです☆(◎ー◎;)

by アマデウス (2010-03-31 22:59) 

アマデウス

nekotaroさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
nekotaroさんも作曲をされるので「世が世であれば。。。」☆( /^ω^)/♪
by アマデウス (2010-03-31 23:03) 

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