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モーツァルトの第1回イタリア旅行(その2) [モーツァルト]

1770年7月10日にローマを駅馬車で発ったモーツァルト(14歳)と父レオポルトは往路とは
異なるルートをとり、ロレート経由アドリア海沿岸を北上し、一路ボローニャを目指した。

悪路の為に馬車の揺れが非常に激しく、レオポルトの足の傷口が開いてしまうといった
過酷な旅の末、7月20日に無事ボローニャに到着した。

ボローニャではモーツァルトが変声期となり、父レオポルトは次の様にザルツブルクの妻
アンナ・マリアに語っている。

≪今、あの子は声を出して歌えません。歌う声がまったく出なくなり、低い音と高い音も
出ず、きれいな音は五つとありません。これはあの子をたいへんいらだたせていることです。
自分でしょっちゅう歌いたがっている自分の曲が歌えないのですから。≫
レオポルトよりザルツブルクの妻に  ボローニャ、1770年8月25日           モーツァルト書簡全集

前回のボローニャ滞在時にも世話になった伯爵が郊外の別荘を提供してくれたおかげで親子は
8月10日から9月末までこの別荘で過ごし、レオポルトは足の治療にじっくり取り組むことができた。

別荘からボローニャの町に戻ったあと、前回と同様マルティーニ神父に伝統的な古様式を集中的に
学んだ。勉強を終えたヴォルフガングは、同神父の計らいで名誉あるボローニャの音楽協会
アカデミア・フィラルモニカ入会試験を受け、入会を認められたのである。

★入会試験で作曲した曲:≪まず神の御国を求めよ”Quarite primum regnum Dei”≫K.86/73w
試験は閉じ込められた室内でその場で選ばれたグレゴリオ聖歌旋律ー曲題のアンティフォナをバス声部におき
厳格な対位法様式による4声体に仕立てることであった。

ボローニャ滞在中の7月27日、ミラノからオペラの台本と配役表を受け取っている。
オペラの題名は≪ポントの王ミトリダーテ≫。

★≪ポントの王ミトリダーテ≫:台本はヴィットーリオ・アメデオ・チーニャーサンティ作。すでに三年前にトリノで
クィリーノ・ガスパーニ(1721-1778)によって作曲・上演され大成功をおさめていた。モーツァルトに渡されたのは
その台本に改定を加えたものであった。

親子はボローニャを10月13日頃に発ち、パルマ、ビアチェンツァを経て18日にミラノに到着した。
モーツァルトは早速レチタティーヴォの作曲にとりかかった。当時のオペラはプリマ・ドンナ、プリモ・
ウォーモ、そしてテノール歌手(主要三役)の声の特性を最大限引き出せる様に歌手の注文も
聞きながら作曲しなければならなかった。

歌手のミラノ到着が遅れたり、厳しい要求があったりして紆余曲折もあったが、12月17日には
60名強のフル編成のオーケストラの練習、19日から2回の劇場での練習と1回のレチタティーヴォ
の練習が行われ、23日には劇場での通し稽古(prova generale)となった。
そして。。。



Teatro Regio Ducale.jpg
ミラノの大公家宮廷劇場(Teatro Regio Ducale)
1747年当時の同劇場での仮面舞踏会の銅版画(マルカントニオ・ダル・レ作)の一部
★ポント王ミトリダテ Mitridate, re di Ponto K.87(74a) が1770年12月26日初演された。
その後「アルバのアスカーニョ」(1771年10月15日)と「ルッチョ・シッラ」(1772年12月26日)も初演されている。
★1776年2月25日、謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失し、女帝マリア・テレジアの承認を得て新劇場は以前
サンタ・マリア・アラ・スカラ教会のあった場所に建設され、これが劇場の名称となった。教会は取り壊され、
ピエトロ・マルリアーニ、ピエトロ・ノゼッテイ、アントニオおよびジュゼッペ・フェが2年を費やして新劇場を完成した。
新劇場は「公国立スカラ新劇場(Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala)」の名で1778年 8月3日に落成し、
アントニオ・サリエリ作の 「見出されたエウローパ Europa Riconosciuta (エウロパ・リコノシウータ」で
こけら落しを行った。今日の『スカラ座』の誕生である。

12月26日にミラノ大公家宮廷劇場(Teatro Regio Ducal)で14歳のモーツァルト自身の
指揮により初演が行われた。

初演大成功で、レオポルトはザルツブルクの妻アンナ・マリアに次の通り語っている。
≪おかげさまでオペラの初演は26日に行われ、ひろく喝采を博しました。しかもミラノでは
かって起こったことのない二つのことが起こったのです。つまり、(初演の晩の慣例に反して)
プリマ・ドンナのアリアが一曲アンコールされたこと。初演ではいつもはけっしてアンコールは
しないものだからです。それに第二点は、最後の幕の二、三のアリアをのぞいて、ほとんど
すべてのアリアで、アリアが終わると、びっくりするような拍手喝采と『マエストロ万歳』、
『マエストリーノ万歳』という叫び声が続いたことです。≫
(レオポルトよりザルツブルクの妻宛書簡 ミラノ、1770年12月29日付         モーツァルト書簡全集


ポントの王ミトリダーテ Mitridate, re di Ponto K.87(74a)
★このオペラの登場人物であるミトリダーテは、プルタルコスの『対比列伝』(英雄伝)の中のマリウスやスッラの
伝記にも登場する、アナトリア半島のポントスの王ミトリダテス6世(紀元前120年 - 紀元前63年)のことである。
ミトリダテス6世はローマ内部の抗争に乗じて近隣諸国やローマの属州アジアを侵略し、ローマの居住民を
劫掠した人物であった。

主たる登場人物
ミトリダーテ、ポントの王(テノール)
アスパージア、ミトリダーテの婚約者(ソプラノ)
シーファレ、ミトリダーテの息子(ソプラノ)*
ファルナーチェ、ミトリダーテの長男(アルト)*
イズメーネ、パルティア王の娘、(ソプラノ)
マルツィオ、ローマの護民官(テノール)
アルバーテ、ニンフェアの領主(ソプラノ)*
注:*印はカストラート歌手(去勢した歌手)が歌った。

あらすじ;
黒海南岸のポント王国の国王ミトリダーテはローマとの戦いに出陣中で、若い許嫁アスパージアを二人の息子に
託していた。アスパージアに思いを寄せているミトリダーテの長男ファルナーチェは彼女に結婚を迫っている。
アスパージアは、次男のシーファレに密かに思いを寄せているのである。
ポントの王ミトリダーテは長男の許嫁としてバルティア王の娘イズメーネを伴って帰ってくる。
彼女はファルナーチェの心変わりを察して苦しむ。他方、ミトリダーテ王は彼が出陣中のファルナーチェの行動を
知って怒る。
ミトリダーテ王はローマ軍の攻撃に対抗するために再度出陣する。シーファレは、父ミトリダーテ王を助けるために
出陣していく。父に反発する長男のファルナーチェは密かに敵側ローマと手を握る。
負傷したミトリダーテ王はシーファレの忠誠を知り、彼に王位とアスパージアを与える。そこにイズメーネが現れ、
ファルナーチェが後悔してローマ軍の船に火を放ったと告げる。ミトリダーテ王は長男ファルナーチェも許して静かに
息を引きとる。残された者たちはローマヘの抗戦を誓う。

ミトリダーテのカヴァータ「髪に月桂冠を飾っても
Mitridate, rè di Ponto:Cavata "Se di lauri il crine adorno"
ブルース・フォード(T) Bruce Ford(Mitridate)
コヴェント ガーデン王立歌劇場管弦楽団
The Orchestra of The Royal Opera House
指揮:ポール・ダニエル Paul Daniel;

敗れて帰ってきても恥ずるところはないと、浜辺に語りかける。


上演は翌年1771年の1月中も続き、劇場満員で、上演回数は20回以上に及んだ。

他方、ヴェローナの音楽協会アカデミア・フィラルモニカは1月5日付でモーツァルト名誉楽長
選出している。

一月半ばから末にかけてはトリーノ(当時はサルディニア王国の首都)を訪問し、著名な音楽家
との交流をもっている。その後ミラノに戻り、2月4日には同地を発ち、11日に謝肉祭の最中である
ヴェネツィアに到着した。同地では町の有力者と交流したり、オペラ仮面舞踏会を楽しんだり
している。

ポントの王ミトリダーテ≫の成功により2年後ミラノ謝肉祭用オペラ作曲と演奏指導の
依頼を受け、ヴェネツィア滞在中の3月4日付で契約を締結している。
★このオペラが第三回イタリア旅行で初演される≪ルッチョ・シッラ≫K.135である。

3月12日にヴェネツィアを発ち、途中パドヴァに立ち寄り、ここでオラトリオの作曲依頼をうけている。

★オラトリオ(宗教劇):ザルツブルクに帰郷後完成される≪救われたベトゥーリア”La Betulia liberata"≫K.118/74cである。
作詞者はピエトロ・メタスタージョ Pietro Metastasio (1698 - 1782,イタリア生れ。ウィーンの宮廷詩人)

その後ヴィチェンツァヴェローナインスブルックを経て1771年3月28日、約1年と4ヶ月
及ぶ実り多きイタリアの旅より、ザルツブルクに帰郷したのである。

オペラの本場イタリアで成功した15歳の天才少年ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
自信に満ちた姿があった。


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コメント 16

塩

いつもご訪問いただきコメントありがとうございます。
ポントの王ミトリダテの画面拝見しました。
昔はこのレコードやCDを手に入れるのに苦労したことを思い出しました。
それにしてもモーツァルト時代、馬車での長距離の旅は本当に大変だったでしょうね。
ご存じのとおりモーツァルトの身長があまり伸びなかったのは、子ども時代のこの馬車の旅のせいだとよく言われていますね。(私自身はこの説には少し首をかしげてはいるのですが)
引き続いて拝見させていただきます。私は最近不勉強になってしまいましたが、アマデウス様のような方が身近にいるということは嬉しい限りです。
by (2010-05-06 09:50) 

LittleMy

いつもながら、本当に勉強になります。
ありがとうございます♪
by LittleMy (2010-05-06 15:04) 

Cecilia

変声期のところ、とても親しみを感じますね。
歌手の注文に応えて作曲するというのは大変だったでしょうね。
父親の助けもあったから何とかなったのでしょうけれど。
by Cecilia (2010-05-06 20:28) 

バロックが好き

こんばんは☆
前回の所では4っつも答えを考えて下さり
ありがとうございました♪
4っつ全てを叶えそうですね^^v。
モーツアルトはピアノを弾く時も
グールドのように歌いながら弾いていたんでしょうか?
ちょっと気になっちゃいました^^。
私もピアノを暗譜したい時歌ってみるんですが、
声が・・・でないし音が外れるし・・・歌えません^^;。
by バロックが好き (2010-05-06 22:47) 

モッズパンツ

ミラノの大公家宮廷劇場、5階建てですね。すごいなー。w
          ♪
     ∧_∧  /
     ( ´∀`)≠)n=ョ
     |   _う ノ    ♪
     〉  〉 〉
     (__)_)
by モッズパンツ (2010-05-06 22:49) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは~☆
コメントありがとうございます☆
聴きたい曲がいつでも手に入る時代になりましたね☆
これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-05-07 06:02) 

アマデウス

LittleMyさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます☆
これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-05-07 06:03) 

アマデウス

Ceciliaさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
当時の主要歌手は作曲家に対し、すごい権力をもっていたのですよね☆
歌手の特徴を最大限生かす様にアリアを作曲する必要あり、相当モーツァルト
も苦労(勉強)をした様です☆
by アマデウス (2010-05-07 06:06) 

アマデウス

バロックが好き さん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
グレン・グールドの様に常にメロディーや主題の一部を歌いながら(鼻歌)演奏するということはなかったと思われます☆
モーツァルトは自分の作曲した声楽曲を歌ったのです☆
by アマデウス (2010-05-07 06:15) 

アマデウス

モッズパンツさん!こんにちは~☆
今回も楽しいAAコメントありがとうございます☆♪ヽ(∩。∩゛ヽ)

by アマデウス (2010-05-07 06:27) 

pegasas

ポンドの王ミトリダーテのオペラは始めて聴かせて頂きました。
モーツアルトの旅もほんとに大変ですがお父さんは怪我などで
大変だったでしょうね。親がここまでするかしら?天才の子供を
もったらこうなるのでしょうね。
by pegasas (2010-05-07 22:06) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます☆
父親のレオポルトは優秀な音楽(ヴァイオリン)指導者であると同時に敬虔なカトリック信者でもあったので次の様に考えていたのですね☆
①息子ヴォルフガングの学才は神から授かったものでありこれを最大限磨くことが天命である★
②上記①を通じ、自分の夢の実現を息子に託し、息子と共に大きく羽ばたき得る★

by アマデウス (2010-05-08 06:29) 

nekotaro

まだ、15歳なんですね。。。
いつもながらですが、
読み進めると、その天才度数が、
普通の天才のさらに上を行っていることが、
良くわかります(^o^)
by nekotaro (2010-05-11 08:58) 

アマデウス

nekotaroさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
天与の楽才を早期に発見し、これに磨きをかけた父親レオポルトも
立派ですよね☆
by アマデウス (2010-05-13 08:44) 

Orthotic Insoles

Very good written post. It will be useful to everyone who employess it, including me. Keep up the good work – i will definitely read more posts.
by Orthotic Insoles (2013-05-02 20:31) 

レイバン メガネ

匿名なのに、私には誰だか分かる・・・(^_^;)ありがとう。。。
by レイバン メガネ (2013-07-28 19:55) 

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