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ザルツブルクのモーツァルト19歳(1775年) [モーツァルト]

1775年1月13日ミュンヘンの宮廷劇場において大好評を博した「偽の女庭師」の上演の
旅から同年3月7日ザルツブルクに帰郷した19歳のモーツァルトは、1777年8月に出発する
マンハイム・パリ旅行」までの約2年半を故郷で過ごすことになる。この2年半という期間が
5歳(6歳直前)で最初の旅(マンハイム)に出た1762年までの幼年期間を除けば、モーツァルトが
故郷ザルツブルクに連続して留まった最長期間である。

1775年4月23日、ウィーンの女帝マリア・テレジアの末子(第16子)マクシミリアン・フランツ大公
イタリアへの旅行の途上ザルツブルクを訪問した。これを祝しモーツァルトが作曲した2幕の
音楽劇(祝典劇=セレナータ)≪牧人の王≫(K.208)がレジデンツ(大司教宮廷)で
演奏会形式で初演された。

★「牧人の王」:邦題では「羊飼いの王」とか「羊飼いの王様」とか呼称されてもいる。

★マクシミリアン・フランツは1756年12月8日、マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世の間に第16子(末子)として
ウィーンに生まれた。聖職者としての道を歩み、1780年に叔父カール・アレクサンダーの後を嗣いでドイツ騎士団総長に、
1784年4月15日にはケルン大司教となリ、ボンに居住した。ボンで1770年に生まれたベートーヴェンを宮廷楽団で雇用し、
楽才を磨くべくなにかと便宜をはかるなどベートーヴェンを庇護した。「太っちょのマクシィ」と愛称された。
モーツァルトはマクシミリアン・フランツより2ヶ月程後で生まれており、最初のウィーン旅行でマリア・テレジアより贈られた
大礼服はこのマクシミリアン・フランツ用の大礼服であった。

6月から12月までの間に、4曲のヴァイオリン協奏曲(第2番K.211から第5番K.219)が作曲された。
モーツァルト自身がヴァイオリンを弾くために作曲されたと考えられている。

★ヴァイオリン協奏曲:(第2番)二長調K.211(6月14日作曲)、(第3番)ト長調K.216(9月12日作曲)、(第4番)二長調
K.218(10月)、(第5番)イ長調K.219「トルコ風」(12月20日作曲)

この年ザルツブルグ宮廷劇場が誕生した。大司教コロレド伯がハンニバルガルテン
(現マカルト広場)にあった舞踏会場を改築し、公開の宮廷劇場としたのである。
引越ししたモーツァルト一家のすぐ近くであったこともあり、一家はこの劇場によくかよっている。
この劇場はザルツブルクにおける演劇やオペラの拠点となったがその公演は旅回りの劇団
(シカネーダーやベーム一座など)に委ねられた為、モーツァルトなど地元の作曲家たちの
出番はなかった。

★シカネーダー・一座:エマヌエル・シカネーダー(Emanuel Schikaneder, 1751-1812)の率いる一座。詳細は
弊記事「猫とモーツァルト」ご参照。
★ベーム一座:ヨハン・ハインリヒ・べ一ム(1740/50-1792)を座長とする一座。1779年と1780年にザルツブルクに
来演した折、≪偽の女庭師≫が、この一座のためにジングシュピール版に改作された。ジングシュピール版は
ザルツブルクでは上演されず、べーム一座が1780年5月頃、父レオポルトの生まれ故郷アウクスブルクで初演した。

モーツァルトがパリからザルツブルクの友人のブリンガー師に1778年8月7日付で書いた
手紙に「ザルツブルクには劇場もなければオペラハウスもない」と語っているのは
「自分の活躍し得る劇場やオペラハウスがない」という意味なのであろう。

★この宮廷劇場が現在のSalzburger Landestheater (ザルツブルク州立劇場)で、1893年に大改築され
モーツァルトのオペラ・セリア「皇帝ティトの慈悲」(K.621)でこけら落としが行われた。

Salzburger_Landestheater.jpg
現在のSalzburger Landestheater (ザルツブルク州立劇場)


牧人の王(又は、羊飼の王)”Il rè pastore”(K.208)

あらすじ
時代は紀元前4世紀頃。シドン(フェニキアの都市国家)の正当な王位継承者だが、そうとは知らず羊飼となって
シドンの近郊の村に住むアミンタ(S)はフェニキアの貴族の娘のエリーザ(S)と恋仲である。
アレキサンダー(アレッサンドロ)大王(T)はシドンの暴君を追放し、王位を正当な後継者に与えようとしている。
ただ一人アミンタが後継者であることを知る貴族のアジェノーレからそのことを教えられる。
アレッサンドロ大王(T)は、アミンタに王位を与え、さらにシドンの前王の娘タミーリ(S)と結婚させようとするが、アミンタは
王権を捨ててでも恋人のエリーザ(S)を選ぶとし、その愛にうたれた大王はアミンタとエリーザ、タミーリと彼女の
恋人であるアジェーノレ(T)との結婚を許し、さらに別々の王国をそれぞれに与えることを約束し、一同は大王を讃え、
喜びのうちに幕となる。

作詞者:ピエトロ・メタスタージョの原作を編作しているが、編作者は不明。


牧人の王 Il rè pastore(K.208)より
エリーザ(Elisa)のアリア                         アミンタ(Aminta)のアリア
「森に、草原に、泉に」                          「穏やかな空気と晴れた日々」
"Alla selva, al prato, al fonte"                   "Aer tranquillo e dì sereni"
シルヴィア・マクネアー Sylvia Mcnair (エリーザ)             アンジェラ・マリア・ブラーシ Angela Maria Blasi
アカデミー室内管弦楽団 Academy of St. Martin in the Field
指揮:サー・ネヴィル・マリナー Sir Neville Marriner
        
森に、草原に、泉に/愛しいひつじたちと行かなくちゃ           穏やかな空気と晴れた日々
森や、草原や、泉が/わたしの理想の姿なの               美しい泉と緑の牧場
せまい素朴な屋根が/住まいになるわ                  この願いがかなえれば幸せなのだ
喜びと幸せで/純真さを宿らせてくれるわ。                羊の群れと羊飼いは。。。


ヴァイオリン協奏曲(第3番)ト長調 K.216      ヴァイオリン協奏曲(第5番)イ長調 K.219
第一楽章 アレグロ                          「トルコ風」 第3楽章 テンポ・ディ・メヌエット
Violin Concerto No.3 K.216 1st mov.
アルテュール・グリュミオー Arthur Grumiaux            アンネ=ゾフィ・ムター Anne Sophie Mutter
指揮:サー・コリン・デイヴィスSir Colin Davis            カメラータ・ザルツブルク Camerata Salzburg     
ロンドン交響楽団 London Symphony Orchestra
        
★ヴァイオリン協奏曲(第3番)ト長調 K.216第一楽章の第一主題は、
「牧人の王」第3曲アミンタのアリア「穏やかな空気と晴れた日々」の
冒頭旋律と良く似ており、牧歌的な気分にさせられる。



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バロックが好き

おはようございます♪
ラテン語の訳どうもありがとうございます☆
11回も繰り返してると、何回繰り返したのか忘れそうですよね!@@。
自分の故郷に活躍する場が無いなんて
気の毒ですよね。。。時代に恵まれなかったんですね。
オペラって良く女の人が男性役をやるんですね。
でも、宝塚の男性役とは違うんですね。
ヴァイオリン協奏曲はK.219の方が、楽しんで聴くことが出来そうです。
K.216は、気持ちよく聴いているうちに寝てしまいそうです^^w。
by バロックが好き (2010-06-17 08:53) 

塩

いつも大変立派にまとめあげられてご苦労さまです。敬服いたします。
グルミオとムターで気分よく仕事ができそうです。いずれもCDは持っていますが、仕事場のPCで聴くのも良いものです。ありがとうございます。
by (2010-06-17 09:46) 

アマデウス

バロックが好き さん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
オペラに関してですが、ご承知の通り、17世紀~18世紀初頭までローマでは女性が舞台に立つことが禁じられていたこともあり、カストラート全盛の時代であったわけです★モーツァルトのオペラでは例えば「偽の女庭師」に登場する騎士ラミーロと「牧人の王」アミンタは当時のカストラート・ソプラノであるトマソ・コンソーリが歌いました★現在はカストラートはいませんからソプラノかカウンターテナーが歌うことになるわけです★

by アマデウス (2010-06-17 11:56) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは~☆
身に余るお言葉恐縮至極です☆
こちらこそいつもご訪問とコメントを頂きありがとうございます☆

by アマデウス (2010-06-17 12:00) 

whitered

こんにちは。モーツァルトはようやく故郷のザルツブルグに帰ってきましたね。ザルツブルグに地元の音楽家が活躍する劇場がなかったので、他の国の劇場や宮殿を訪れることが多かったのですね。宮廷の楽士だから、自国の宮殿では演奏ができたのでしょうけれど、モーツアルトの名声はまだ確立していなかったのでしょうか。
by whitered (2010-06-17 12:23) 

アマデウス

whiteredさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
当時のザルツブルク大司教コロレド伯が大聖堂での宗教儀式や宮廷内での儀式の簡素化を進めていたこと、大司教はイタリア人音楽家偏重であったこと、モーツァルトのオペラ作曲家としての才能をそれ程認めようとしなかったことなどがあげられます(詳細は次回弊記事本文にて)★
更に当時の人口は大体次の通りですからなんといってもザルツブルクは小さな町で音楽愛好家の数も限られていたことなどにもよると思います★
ザルツブルク:約1万6千人/ウィーン:20万人/ブダペスト:5万人
プラハ:8万人/パリ:60万人/ロンドン:86万人
by アマデウス (2010-06-18 06:11) 

Esther

ソプラノかカウンターテナー。ちょっと違う声質ですよね〜。わたしはカウンタテナーが好きで〜す。フィリップ・ジャルスキーのような。カストラート(最後の)録音も持っていますが、このお耽美な魅力、捨てがたいですね〜。「偽の女庭師」あまり上演されてないのでしょう?

by Esther (2010-06-18 07:16) 

アマデウス

Estherさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
カストラートで思い出すのは15年程前に映画にもなり(邦題:カストラート/伊語タイトル:Farinelli, il Castrato)、モーツァルトも第一回イタリア旅行(ボローニャ)の際、表敬訪問(1770)している、ファリネッリの名前でヨーロッパ中にその名を轟かせたカルロ・ブロスキ(1705-1782)のことです★彼は軽く3オクターヴ半の声域で歌ったそうです★
「偽の女庭師」は1991年日本初演ですね★本年2月に東京室内歌劇場公演が四谷の紀尾井ホールで行われています★今後の上演予定についての情報は未入手です(頻繁に上演されるオペラではありません)★

by アマデウス (2010-06-19 06:39) 

アヨアン・イゴカー

このバイオリン協奏曲どちらもいいですね。特に第三番は大好きです。
by アヨアン・イゴカー (2010-06-20 00:38) 

アマデウス

アヨアン・イゴカーさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ご承知の通りモーツァルトはヴァイオリン協奏曲は1773年(17歳)の時に作曲しました変ロ長調(第1番)とこの記事の4曲、計5曲しか遺しておりませんが、いずれの曲も心地よく、よく聴いております☆
by アマデウス (2010-06-20 07:09) 

モッズパンツ

ザルツブルクというと、オーストリア・ブンデスリーガの強豪レッドブル・ザルツブルクがありますよね。元日本代表の宮本恒靖(2007~2009)と三都主アレサンドロ(2007)も在籍しておりましたね。ワールドカップの番組に宮本さんが出演しているのを見る度にザルツブルクを思い出します。モーツァルトはスポーツ関係はどうだったのかな?w (´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-06-22 00:18) 

アマデウス

モッズパンツさん!こんにちは~☆
確か宮本さんが移籍した後、レッドブル・ザルツブルグがブンデスリーグ優勝を遂げたのではなかったでしょうか★調べてみます★アドバイス頂きありがとうございます☆モーツァルトの時代にはサッカーはまだスポーツ化していませんでしたので、乗馬やケーゲルシュタット(九柱戯。当時のボーリングの様な遊び)を楽しんでいました☆
by アマデウス (2010-06-22 06:38) 

pegasas

こんにちわ。いつもながらのモーツアルトのお話と
オペラを楽しませて頂きました。コンチェルトの3番は
とても明るくてゆったりとしていて大好きでした。
もうモーツアルトも19歳ですね。故郷でゆっくりとした幸せの
時間を過ごす事が出来てこんなに優しい曲が出来たのですね。

by pegasas (2010-06-22 12:48) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
お楽しみ頂いた由、嬉しいです☆V協奏曲第3番お気に入りだったのですね☆
故郷で家族一緒にのんびり暮らせる反面、モーツァルトにとっては音楽的にはまったく刺激のない、単調な毎日だったのです☆詳細は次回に。。。

by アマデウス (2010-06-23 06:44) 

Cecilia

レオポルトは優れたヴァイオリン教師だったようですし、モーツァルトもヴァイオリンの腕はすごかったのでしょうね。

by Cecilia (2010-06-30 11:12) 

アマデウス

Ceciliaさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
幼少の頃からヴァイオリンも学んでおり、7歳で「西方への大旅行(パリ・ロンドン)に出かけた際もモーツァルトはヴァイオリンの演奏も披瀝していること、ザルツブルク宮廷楽団では楽師長兼第一ヴァイオリン奏者であったことなどよりもヴァイオリンの腕もすごかったと思われますね☆

by アマデウス (2010-07-01 07:59) 

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