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モーツァルト28歳・演奏活動絶頂期(ウィーン④1784年) [モーツァルト]

モーツァルトは「クラヴィーアの国」ウィーンに定住して4年目となる1784年を迎えた。

演奏会や出版などで必要な都度直ちに取り出すことが出来る様、2月から「私の全作品目録」と題した
自作目録」の作成を開始した。まず最初に記入した作品は、クラヴィーア協奏曲(第14番)変ホ長調
(K.449)で日付は2月9日と記載されている。
★この作品と4月に作曲されたクラヴィーア協奏曲(第17番)ト長調K.453はこの年から弟子となったバルバラ・フォン・ブロイヤー嬢
(1765-1811)のために作曲された。

2月26日から4月11日までの45日間にモーツァルトが父レオポルトに報告しているだけで25回の
演奏会でクラヴィーアを弾くのである(1784年3月3日付書簡)。
①ブルク劇場での公開演奏会が2回(1回を主催)
②トラットナーホーフ(トラットナー館)での公開演奏会が6回(3回を主催)
③ガリツィン侯爵邸の私的音楽会が毎週木曜で計5回
④エステルハージ伯爵邸の私的音楽会が毎週月曜と金曜で計9回
⑤ツィヒー伯爵邸、パールフィ伯爵邸、カウニッツ=リートベルク侯爵邸での演奏が各1回

午前中は弟子にクラヴィーアを教え、夜は殆ど毎日演奏し、更に、公開演奏会用に新しい作品を
書くのである。まさに引っ張りだこ・超多忙の売れっ子ピアニスト、モーツァルトなのである。

3月20日付で父レオポルトには予約演奏会(3月17日)の予約者リストを送付しているが、予約者は
174名に及び概要は次の通りである。
1.会員の性別
①男性会員:144名(83%)
②女性会員: 30名(17%)
2.身分
①高位貴族(伯爵家、公爵家一族):88名(50%)
②下位貴族(爵位買収者):74名(42%)
③市民階級:13名(8%)
3.職業
①高位官職者、宮廷職員関係者:12名(8%)
②ウィーン派遣外交官および宮廷代理人:18名(12%)
③枢密顧問官、宮中顧問官、参事官:33名(23%)
④その他の公務員:15名(10%)
⑤軍人:17名(12%)
⑥商人、工業家、銀行家:13名(9%)
⑦その他:37名(25%)

予約者リストによれば圧倒的に男性予約者が多いのは当時の社会身分制度によるものであるが、
2割近くを占める女性予約者たちは、高位高官者の夫人という身分の富裕階級であり、その多くが
モーツァルトと音楽を通じて親しくなった女性たちであり、ほとんどすべてが声楽やクラヴィーアを
たしなむ人たちであった。

これら予約者のうちフリーメイソン結社員は約40名、22%ほどの割合を占めているのである。モーツァルトは
この年12月14日にウィーンの分団「善行」に加わったが、それ以前に多数のフリーメイソンと交友関係に
あったのである。

4月29日には有名なマントヴァ出身の女流ヴァイオリン奏者ストリナザッキ(Regina Strinasacchi
1761-1829)のケルントナートーア劇場皇帝ヨーゼフ2世の臨席のもとに開かれた演奏会で
直前に作曲したヴァイオリン・ソナタ変ロ長調(K.454)を協演した。

★自作作品目録の日付は4月21日となっているが、この時書き上げたのはヴァイオリン・パートだけであり、モーツァルトの
クラヴィーア・パートは簡単な草稿を用いて記憶で演奏したとされている。

超多忙であった四旬節シーズンが明け、ほっと一息ついた頃の5月27日、モーツァルトは一羽の
ムクドリを購入した。このムクドリは、購入に先立つ4月12日にモーツァルトが前述の弟子のブロイヤー嬢
ために作曲した「クラビーア協奏曲(第17番)ト長調」(K.453)第三楽章の主題を見事に歌うのである。
モーツァルトがつけていた出納帳には"Vogel Stahrl 34 Kr.(椋鳥 34クロイツァー) ...
Das war schön!(お見事!)と記されている。(詳細は弊記事「モーツァルトと小鳥たち」をご参照)

ザルツブルクの姉ナンネル(当時33歳)が8月23日ザンクト・ギルゲンの地方管理官ベルヒトルト・
ツゥ・ゾンネンブルク(1736-1801)と結婚することになったが、これに先立つ8月18日モーツァルトは
5歳年上のナンネルにお祝いを述べると共に結婚の先輩として詩的アドバイスを書き送るのである。
≪。。。彼氏が不機嫌で、心あたりは何もないのに、渋面ばかりするならば、あなたは思えば
いいのです、あれは男の気まぐれと。そして彼氏に言うのです、「ご主人様、昼間はあなたの
お好きなように。けれども夜は、わたしのものよ。」≫ あなたの誠実な弟 W:A:モーツァルト

★ナンネルが結婚しザルツブルク市内の「モーツアルトの住家」いわゆる「タンツマイスターハウス」からザンクト・ギルゲン
(母マリア・アンナの生まれ故郷であった)に移り住んだので、父親レオポルトと娘ナンネルの間に文通が始められる。
このうちレオポルトの手紙が残されており、さまざまな情報を提供してくれることとなる。モーツァルトの手紙が
1784年夏頃から1787年5月まで現存しているのが非常に少ないことより、ナンネル宛のレオポルトの手紙で
モーツァルトのウィーンでの動向を多少なりとも知ることができるのである。(モーツァルトがレオポルト宛に出した手紙は
写しをとらずにナンネルに転送され、レオポルトにより保管されなかったことにもよる。)

9月21日には次男カール・トーマスが誕生した。
★次男は代父となったトラットナーホーフ(トラットナー館)の持ち主のヨハン・トーマス・フォン・トラットナーの名をとって
カール・トーマスと名づけられた。
★カール・トーマスは無事成長し、当初音楽家の道を歩んだが断念し、1810年ミラノのナポリ副王に仕える役人となり、
1858年10月31日に73歳の生涯をミラノで閉じた。

多忙さに比例して収入も飛躍的に増加し、29日にはグローセ・シューラー通り(現在のドームガッセ5番地、
ウィーンの中心地シュテファン大聖堂のすぐ裏)の豪華な家具付の借家(いわゆる「フィガロハウス」に
引っ越すのである。家賃は半年で230グルテンで、これまで住んでいた借家「トラットナー館」の家賃が
半年で75グルデンであったので3.5倍の家賃となったが、フィガロハウスは4つの部屋と2つの小部屋
及び台所がついており、4部屋を寝室、客間、仕事部屋と居間兼音楽室とし、さらに2つの小部屋も
ある立派なものであった。
この年にはアントン・ヴァルター製作のフォルテ・ピアノ(ヴァルター・フリューゲル)を購入し、その他、
ビリヤード台なども購入したのである。
★この頃、自家用馬車と乗馬用の馬も購入している。
★フィガロハウス:1784年9月29日(28歳)より1787年4月24日(31歳)まで住んだ借家で、ここで1986年(30歳)「フィガロの結婚」
(K.492)の作曲を完成したのでフィガロハウスと呼ばれている。モーツァルト夫妻が住んだ借家で唯一現存している建物で現在は
モーツァルトハウス・ウィーン”Mozarthaus Vienna"と呼ばれモーツァルト記念館となっている。
★アントン・ヴァルター製作のフォルテ・ピアノはモーツァルトの死後、コンスタンツェよりミラノに住む息子のカール・トーマスに
送られた。 1856年にカール・トーマスはそれをモーツァルテウム(国際モーツァルテウム財団)に寄贈し、現在は
「モーツァルトの生家」(ザルツブルク)に展示されている。

前述の通りモーツァルトは12月14日 フリーメイソンのロッジ(分団)の「善行」に入会した。
当時は皇帝ヨーゼフ2世の啓蒙主義的治世下にあってフリーメイソン全盛の時代でもあった。
フリーメイソンには貴族・学者・医師・富裕市民がこぞって入会したのである。
フリーメイソンの掲げる宗教ドグマを超越した態度、自己鍛錬による精神的な修業と向上、さらに、
「自由、博愛、平等」といった啓蒙主義、愛と理性による救済など思想的にモーツァルトは
強く惹きつけられたのである。

★フリーメイソンはもともとは中世の石工の組合を起源にした団体であることより、その位階は石工の徒弟制度に由来し、
第一位階が「徒弟」、第二位階が「職人」、第三位階が「親方(マスター)」と呼称される。モーツァルトは1784年12月14日に
入会後、1ヶ月未満の1785年1月7日に第二位階に昇進し、更に1週間で第三位階(マスター)に昇進したとされている。



DSC03640.JPG
フリーメイソンの集会(油彩画、前列右端の剣を左に置いているのがモーツァルトであるとされている。)


今やウィーンの社交界の寵児となったモーツァルトは上述の様に多忙な演奏活動
繰り広げるのであるが、モーツァルトの演奏会の呼び物は自作自演のクラヴィーア協奏曲なのである。

自ら主催したトラットナーホーフの計3回の予約演奏会で、2月から3月に完成したクラヴィーア協奏曲
第14番変ホ長調K.449第15番変ロ長調K.450第16番ニ長調K.451を披露し、4月12日には第17番 ト長調K.453
作曲した。
★トラットナーホーフ(トラットナー館):ウィーンの出版業者ヨハン・トーマス・フォン・トラットナーがグラーベンに建てた
巨大な建物の中にある会場。トラットナーの夫人はモーツァルトのクラヴィーアの弟子。

4月1日ブルク劇場で演奏会を主催、新作の「クラヴィーア五重奏曲」変ホ長調K.452ほかを
演奏して、好評を博した。この模様を父レオポルトに報告している。(1784年4月10日付書簡)

≪。。。三つの予約演奏会で、ぼくは大変な名声を得ました。劇場でのコンサート(注:4月1日ブルク劇場)
も非常に好評でした。二つの大きな協奏曲(注:K.450とK.451)を作曲しました。それから五重奏曲
(注:K.452)を一曲書いたのですが、これは異常に受けました。ぼく自身いまでも、これまで書いた
もののうちで最高だと思っています。それはオーボエ1、クラリネット1、ホルン1、ファゴット1、それに
ピアノ・フォルテという編成です。(中略)ぼく、弾きっ放しだったんで、最後には疲れましたよ。そして、
聴衆が決して疲れなかったことが、ぼくにとって少なからぬ名誉です。≫


クラヴィーアと木管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 K.452     ヴァイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.454
第一楽章 ラルゴ-アレグレット・モデラート                 第一楽章 ラルゴ・アレグロ
ヴァルター・ギーゼキング Walter Gieseking(P)           ピンカス・ズーカーマン Pinchas Zukerman(V)
フィルハーモニア管楽四重奏団 Philharmonia Wind Quartet    マーク・ナイクルグ Marc Neikrug(P)
     
1955年録音版                           ヴァイオリン奏者ストリナザッキと皇帝ヨーゼフ2世臨席の
                                   演奏会で共演した。

10月14日にはクラヴィーア・ソナタ(第14番b)ハ短調 K.457を作曲し、11月9日には「ハイドン・セット」
第4番となる弦楽四重奏曲(第17番)変ロ長調K.458を完成した。尚、この第4番は後世「」の愛称で
親しまれることになる。
★ソナタ(第14番b)ハ短調K.457は翌年1785年5月20日に作曲される幻想曲(ソナタ第14番a)ハ短調K.475と合わせて
1785年12月アルタリアから出版された。初版はモーツァルトの家主夫人でクラヴィーアの弟子でもあったマリア・テレジア・
フォン・トラットナーに捧げられた。
                                     弦楽四重奏曲(第17番)変ロ長調 K.458
クラヴィーア・ソナタ ハ短調 K.457                  「ハイドン・セット第4番」「狩」
第一楽章 モルト・アレグロ                        第一楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ
ルドヴィグ・セメルジアン Ludwig Semerjian              アマデウス弦楽四重奏団 Amadeus Quartet
     
モーツァルトが1784年に購入したアントン・ヴァルター製の         1956年4月パリでの録画版     
フォルテ・ピアノとほぼ同じヴァルター製のピアノ(1789年製)で
演奏されている。

クラヴィーア協奏曲が最も実り豊かであったこの年後半には次の作品を完成させているのである。
クラヴィーア協奏曲(第18番)変ロ長調 K.456
  9月30日に完成。前年ザルツブルクに一時帰郷した際に知り合った優れた盲目の女性ピアニストのマリア・テレージア・フォン・
  パラディス(1759-1824)のために作曲され、翌年1785年2月16日に皇帝ヨーゼフ2世臨席の女性歌手ラスキの演奏会で
  モーツァルトにより演奏され、皇帝より「ブラボォー・モーツァルト」の賞賛の声がかけられた。
クラヴィーア協奏曲(第19番)へ長調 K.459 「第二戴冠式
  12月11日成立。1784年最後の作品であり、1790年10月15日、レオポルト2世のフランクフルト・アム・マインでの「戴冠式」を
  祝してモーツアルト自身が催した音楽会で演奏された可能性があるため「第2戴冠式協奏曲と呼ばれている。
  第1はまさにそのために作曲されたクラヴィーア協奏曲(第26番)K.537 「戴冠式」である。


クラヴィーア協奏曲(第18番)変ロ長調 K.456
第2楽章 アンダンテ・ウン・ポコ・ソステヌート ト短調
スヴャトスラフ・リヒテル Svastaslov Richter

第2楽章ト短調の変奏曲は、主題が2年後に完成する「フィガロの結婚」の
第4幕冒頭のバルバリーナのアリア「失くしてしまった”L'ho perduta”」に
良く似ている。


この年ウィーンのトッリチェッラ(Torricella)から次の3曲が組み合わされ出版されている。
クラヴィーア・ソナタ(第13番)変ロ長調 K.333(前年ザルツブルクに里帰りの帰路立ち寄ったリンツにて作曲に着手。)
クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K.454(1784年4月作曲と初演。本記事に音源。)
クラヴィーア・ソナタ(第6番)二長調 K.284(ミュンヘンにて1775年2月か3月頃作曲。「デュルニッツ・ソナタ」とも呼ばれる。
 K.284についてはモーツァルトのミュンヘン旅行≪「偽の女庭師」作曲・上演の旅≫ご参照。


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クラヴィーア協奏曲(第17番)ト長調(K.453)第三楽章の主題を見事に歌うムクドリモーツァルト
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whitered

おはようございます。28歳のモーツァルトは、様々な分野で成熟の時を迎えていますね。次男が産まれたり、フィガロ・ハウスに移り住んだり、多くの協奏曲やソナタを作曲したり、あのフリーメイソンに入団したりと。ムクドリのお話しは面白かったです。前のブログも見せていただきましたが、ムクドリって歌を覚える習性があったんですね。驚きです。それと、先日テレビでモーツァルトのウィーン時代、ハイドンを崇敬して書簡を送っていた、ハイドンはいち早くフリーとしての立場を手にしたモーツァルトを羨ましく思っていたなどの説明をしていましたが、『ハイドン・セット』というような、作品を結実したのですね。アマデウスさんのブログを読んでいたので、興味深く観ていました。ありがとうございました。
by whitered (2010-09-16 09:56) 

mikoto

こんにちは~
この時代が最高の時期だったのでしょうか、目覚ましい活躍ですね!
二男は長生きだったのですね、お父さんの2倍も。
たぐいまれな才能を持っていると精神的にも肉体的にも大変なので
長生きはできないのでしょうねー

クラヴィーアの響きはいいですね~軽やかで若々しい
”若さ”どこかに置いてきた・・イヤイヤいつまでも持ち続けたいです^^;

最近やっと涼しくなって夜も寝安くなりましたねー
反面急に涼しくなって体調を崩す方も多いようです、お気を付けて。
また次回お邪魔します^^
by mikoto (2010-09-16 10:12) 

バロックが好き

お姉さんの何寝る走っていましたが
28歳違い?の弟の事は知らなかったです。

モーツアルトまさにこれから
意気揚々と人生を謳歌し
進んで行く感じですね。

モーツアルトのピアノ聴いてみたいですね♪
(タイムマシンがあれば聴きに行きたいです^^w)
by バロックが好き (2010-09-16 12:41) 

塩

いつもご丁寧なコメントを頂戴して感激しております。ありがとうございます。
i Pod に大分曲を入れて持ち込みますが、アマデウス様の本欄も続けて拝見させていただきます。画像の入った曲でいろいろの方の(懐かしい人を含めて) 演奏が楽しみです。いずれまた書かせていただきます。
by (2010-09-16 15:28) 

pegasas

いよいよ絶頂期ですね。お姉さんも結婚して明るいニュースが
続きますね。ほんとに良かったですね。クラヴィーアソナタや協奏曲を
何回も聞かせて頂いています。クラヴィーアの柔らかい音色がとても
良いですね。いつもいいもの聞かせて頂いて有難うございます。
by pegasas (2010-09-16 19:22) 

トラの父

この時期に書かれたピアノコンチェルトは,20番以降とはまた違った魅力を具えた曲が多いですね.

Narrくん(ちゃん?)も,17番の第3楽章が気に入ったのでしょう.
そういえばEinsteinだったかが,あの曲を虹に喩えていたように思いますが,最近,暫くぶりに聴いた内田光子さんの17番も色彩感に溢れていました.


映画『アマデウス』でも,モーツアルトがビリヤード台で球をもてあそぶシーンがありましたね.
あれは,この頃買ったのか...と,記事を拝見しながら思い出しました.
by トラの父 (2010-09-17 00:14) 

アマデウス

whiteredさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ハイドンとの関係についての興味深い番組をTVでご覧になったのですね★モーツァルトは24歳年上の先輩作曲家ハイドンを、音楽上の師として、また友人とて尊敬し、1786年に「ハイドン・セット(弦楽四重奏曲6曲)」を全文イタリア語の献辞をつけて出版していますね☆

by アマデウス (2010-09-17 07:29) 

アマデウス

mikotoさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
この時期がモーツァルトにとっては最高の時期であったと言えますね☆
1786年にはオペラ「フィガロの結婚」1787年には「ドン・ジョバンニ」を作曲することになりますが、当時の政治情勢もあり、演奏会の開催回数は減少して行きます。この時期は演奏会が頻繁に開催され、将来への夢も膨らむ、最高の時期であったでしょうね☆

by アマデウス (2010-09-17 07:41) 

アマデウス

バロックが好きさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
説明不足で誤解を与えてしまい申し訳けありませんが、次男カール・トーマスというのはモーツァルト夫婦に生まれた次男のことです(長男は生まれて数ヶ月で死亡)★モーツァルトにとってはこの時期が将来の夢も膨らむ最高の時期であったでしょうね★モーツァルト本人の演奏が今聴くことが出来れば最高ですよね★

by アマデウス (2010-09-17 07:47) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは~☆
ご多忙中にも拘わらずコメントを頂き恐縮です☆ありがとうございます!
ipodを大いにご活用頂き、音楽三昧で活力と英気を養って頂きます様
祈念しております☆こちらこそDr.塩の記事を楽しみにしております☆

by アマデウス (2010-09-17 07:51) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
5月26日付父レオポルト宛の手紙でモーツァルトは「夜は12時に寝て、朝は5時から5時半には起床する」と語っていますが、とにかくこの時期は超多忙でやりがいのある毎日を過ごしていたのですね☆
by アマデウス (2010-09-17 09:15) 

アマデウス

トラの父さん!こんにちは~☆
ムクドリの記事≪クラヴィーア協奏曲(第17番)ト長調(K.453)≫の記事もご覧頂いてのコメントありがとうございます!
「虹の色調の変化」にたとえるとは素晴らしい感性ですよね★
モーツァルトの遺品リストには①ビリヤード台②ビリヤード用キュー12本③ボール5個が記載されており、この時期に買ったビリヤード台を最後まで維持していたことがわかります★ビリヤードや乗馬・散歩などでストレス解消をしていたのですね★

by アマデウス (2010-09-17 09:31) 

モッズパンツ

モーツァルトとフリーメイソンって、なんと、密接な関係があったのですね。ここで、フリーメイソンが出てくると思いませんでした。w (^ω^)b
フリーメイソンの集会の絵、カコイイですね。世界を支配する方法の相談をしているのでしょうか。w (´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-09-18 01:23) 

アマデウス

モッズパンツさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
皇帝ヨーゼフ2世がフリーメイソンが革命分子の隠れ蓑になっていることを危惧し、1785年12月に抑制令を発布するまで、当時の貴族、文化人などの間ではフリーメイソンに入会することがステータス・シンボル、時代の先端を行くとの認識もあった様です★モーツァルトは非常に熱心な会員であり、フリーメイソン用の楽曲も多数作曲しています。(特に1785年とこの世に別れを告げた1791年。)

by アマデウス (2010-09-19 07:11) 

LittleMy

「フリーメイソンの集会」の絵は、見たことがありました!
by LittleMy (2010-09-21 13:44) 

アマデウス

LittleMyさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
この絵は1790年に描かれ、前列右端、剣を横に置いているのがモーツァルトで其の横にいる赤い服の会員がエマヌエル・シカネーダーだとされています★前列中央で目隠しをして中腰で、座っている会員と握手をしているのが入会が許された新人会員で、要するに「フリーメイソンの入会の儀式」を描いているとされています★なぜ目隠しをして挨拶をしているか。。。「暗黒」から「光明」へという意味があるとのことです☆
by アマデウス (2010-09-22 06:57) 

アヨアン・イゴカー

>クラヴィーア・ソナタ ハ短調 K.457                  
ピアノとハープシコードとの間のような微妙な音ですね。
by アヨアン・イゴカー (2010-09-23 15:02) 

アマデウス

アヨアン・イゴカーさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
ご指摘の通り、モダン・ピアノの響きとは異なりますが、当時の作曲家はこういった響きを念頭において作曲をしたのでしょうね☆


by アマデウス (2010-09-24 07:24) 

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