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ドン・ジョヴァンニ(その4) [オペラ]

モーツァルトの音楽を敬愛する人たちは極めて多彩ですが、
特に「ドン・ジョヴァンニ」を称賛している音楽家・文豪などの言葉を
少し引用します。

まず、モーツァルトと同業の音楽家の賛辞から;

≪私は神とモーツァルト、そしてベートーヴェンを信じる。
彼の『ドン・ジョヴァンニ』をみたまえ!
いったいどこで音楽は、このように極めて豊かで、明確な個性をえたのだろうか。
リヒャルト・ワグナー

★ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー:Wilhelm Richard Wagner, 1813年5月22日 - 1883年2月13日、
 19世紀のドイツの作曲家であり、また理論家、文筆家としても知られる。

ドン・ジョヴァンニ」、この比類ない不滅の傑作、オペラの最高峰は、今や百年の生命を経て、
世界的な名声を博しています。「ドン・ジョヴァンニ」のスコアは、私の一生に天啓を与えてくれました。
それは私にとって劇的にも音楽的にも非の打ち所のない一種の化身として存在しましたし、今なお
それに変わりありません。
シャルル・グノー

★シャルル・フランソワ・グノー:Charles François Gounod,1818年6月17日 - 1893年10月18日、 フランスの作曲家。
 ゲーテの『ファウスト』第1部にもとづく同名のオペラで有名。バチカンの実質的な国歌である『賛歌と教皇の行進曲』を作曲した。

が作曲するつもりの題材に「ドン・ジュアンの青春」というのがあります。しかし、この名前だけが、
私の作品と、モーツァルトの不滅の名作との間にある唯一の類似点です。
ジャック・オッフェンバック

ジャック・オッフェンバック:Jacques Offenbach, 1819年6月20日-1880年10月4日:ドイツ生まれでフランスで活躍
  (後に帰化)した作曲家/チェロ演奏者/オペレッタ作曲家。オペレッタの原型を作ったともいわれ、オペレッタの父とも称されている。 
  音楽と喜劇との融合を果たした作曲家。ロッシーニは「シャンゼリゼのモーツァルト」と呼んだ。 
  

は「ドン・ジョヴァンニ」の音楽にすっかり惚れ込んでいるので、今あなたに書いている瞬間
でも興奮で胸がいっぱいになり、泣きたくなるくらいです。「ドン・ジョヴァンニ」の音楽こそ、私が
感動というものを覚えた最初の音楽です。イタリア・オペラしか知らなかった私が生涯を音楽に
捧げるようになったのも、モーツァルトのおかげです。。。
ピョートル・チャイコフスキー

★ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー:Peter Ilyich Tchaikovsky、1840年5月7日 - 1893年11月6日、ロシアの作曲家

音楽家以外では。。。

。。。「ドン・ジョヴァンニ」を聴きに行くためなら百里の泥道でも歩いていこう。。。
スタンダール

★スタンダール:Stendhal、1783年1月23日-1842年3月23日、グルノーブル出身のフランスの小説家。
  本名は、マリ=アンリ・ベール(Marie Henri Beyle)。

その他ヘルマン・ヘッセや哲学者キェルケゴールなども「ドン・ジョヴァンニ」を称賛しているのである。

★ヘルマン・ヘッセ:Hermann Hesse, 1877年7月2日 - 1962年8月9日、ドイツの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半の
  ドイツ文学を代表する文学者。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品でノーベル文学賞を受賞した。
★セーレン・オービエ・キェルケゴール:Søren Aabye Kierkegaard, 1813年5月5日 - 1855年11月11日、デンマークの哲学者であり、
  今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。


snapshotDonGiovanni.jpg
モーツァルトの生誕地ザルツブルグ(オーストリア)の大聖堂の鐘楼と円蓋。上方にホーエンザルツブルグ城を望む。

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ドン・ジョヴァンニ(その3@オペラの歴史) [オペラ]

オペラの初期の時代から「ドン・ジョヴァンニ」を含むモーツアルトのオペラの時代まで、
即ち誕生から18世紀末までのオペラの歴史を点描します。

オペラのルーツは古代ギリシャ文化の中の悲劇という形式をとった演劇に見出される。
ギリシャ悲劇の音楽というのは残存していないがアリストテレスは、音楽は悲劇を形成する重要な
見せ場を提示したと記述している。

最初のオペラは1598年フィレンツェ(イタリア)で作曲された「ダフネ」”Dafne"であるとされている。
「ダフネ」は古代ギリシャのダフネ神話を扱った作品でヤコポ・ペーリによって作曲され、コルシ宮で
上演された。

☆ダフネ神話:ニンフ、ダフネはアポロンに愛されて逃げおおせず,父に助けを求めたところ木〈月桂樹〉に変えられる。
☆ヤコポ・ペーリ:Jacopo Peri(1561年8月20日 - 1633年8月12日)イタリア・ルネサンス末期からバロック初期に
かけて活躍した音楽家。
☆コルシ宮はフィレンツェの裕福な貴族ヤコポ・コルシの宮殿(現在イタリア信用銀行Credito Italianoが入居)。
後述するバルディ伯爵が1592年ローマに転出した為、コルシはその後を受け音楽の支援を行った。

作曲の経緯は、16世紀末のフィレンツェ(トスカーナ大公国)で、ジョバンニ・デ・バルディ伯爵の後援を
得て、古代ギリシャの演劇を復興しようというカメラータ”Camerata"と呼ばれる研究サークルが出来、
想像で捉えるほかはなかったが、ギリシャ悲劇を模範として、歌うようなセリフを用いる劇が
考えられ「ダフネ」が作曲されたのである。

☆カメラータとは「同志」を意味するイタリア語
☆「ダフネ」の音楽は失われているが、劇の部分は残存している。

現存する最初のオペラ作品は、同じくペーリの作品である「エウリディーチェ」”Euridice”であり、
1600年に作曲されている。このオペラはトスカーナ大公の出身家であるメディチ家の令嬢マリアと
フランス国王アンリ4世との結婚祝賀の為に作曲、メディチ家のピッティ宮で上演された。

☆当時のトスカーナ大公はフェルディナンド1世(在位:1588年 - 1609年)。トスカーナ大公国の前身はフィレンツェ共和国で
1569年、メディチ家が支配する世襲制のトスカーナ公国となった。地中海貿易の衰退と共にメディチ家も衰退し、
1737年トスカーナ大公国はハプスブルグ家に継承された。

オペラ「エウリディーチェ」の聴衆の中にマントヴァ公国のゴンザーガ公の随員として当時すでに
マドリガーレの作曲家として名声を博していたモンテヴェルディがいた。

☆マドリガーレ:Madrigale 詩節が無くリフレインも無い自由詩を用い、テキストの抑揚に併せてメロディーが
作られる多声楽曲。
☆クラウディオ・ジョヴァンニ・アントニオ・モンテヴェルディ:Claudio Giovanni Antonio Monteverdi, 1567年5月15日洗礼 -
1643年11月29日、クレモナ(イタリア)生まれの作曲家、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者、歌手。マントヴァ公の宮廷楽長、
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の楽長を歴任し、ヴェネツィアでの音楽のもっとも華やかな一時代を作り上げた。
現存するオペラには「オルフェオ」の他「ウリッセ(ユリシーズ)の帰郷」(1641年)と「ポッペアの戴冠」(1642年)がある。

1607年モンテヴェルディは音楽性、劇性を高めたオペラ「オルフェオ」”L'Orfeo"を作曲、マントヴァにて
初演した。これは謝肉祭の祝祭としてマントヴァ公の命を受けての作曲であった。このオペラにより
モンテヴェルディはオペラの真の創始者との評価を得るのである。

☆アリア「アリアンナの嘆き」” Lamento d´Arianna” しか残存していないオペラ「アリアンナ」は翌年1608年5月29日上演された。

これに先立つ1585年には北イタリアのヴィチェンツァ Vichenzaに建築家アンドレア・パッラーディオの
最後の作品となる「オリンピコ劇場」が開場している。この劇場は現存する最古の劇場である。

☆ アンドレーア・パッラーディオ:Andrea Palladio, 1508年11月3日 - 1580年8月19日。イタリア・パドヴァ生まれの建築家。
本名はアンドレーア・ディ・ピエトロ・デッラ・ゴンドラ(Andrea di Pietro della Gondola)。
☆1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名により天正遣欧少年使節がローマに派遣され1590年に帰国したが
使節団は1585年、開場したばかりの「オリンピコ劇場」に立ち寄っている。

resize0036.jpg
現存する世界最古の劇場「オリンピコ劇場」内部@ヴィチェンツァ、イタリア


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ドン・ジョヴァンニ(その2) [オペラ]

ドン・ジョヴァンニ」がプラハで初演された1787年当時、ハプスブルグ家の支配領域
(ハプスブルグ君主国)における主要な都市の人口は次の通りであった。

注:『オーストリア』が正式な国名となるのは、ナポレオン戦争(1803年 - 1815年)開始後の1804年からです。
フランス革命を受けたナポレオン帝政の出現で、中世以来の神聖ローマ帝国は名実ともに消滅し、
ハプスブルク家は、事実上の国家を形成していた中東欧に広がる支配領域(ハプスブルク君主国)をもって
「オーストリア帝国」を形成するのです。

ウィーン(当時の郊外を含む):約30万人(現在の人口:約170万人)
プラハ:8万人(現在人口:120万人)
ブダペスト(ブダとペシュト合わせ):5万人(現在人口:170万人)

因みにモーツアルトの生誕地ザルツブルグは、当時はザルツブルグ大司教領の首都であり、
人口は1万6千人であった。モーツアルトは25歳の時にウィーンに転出している。
現在は首都ウィーン特別区を除いて合計で8州あるオーストリア共和国の州のひとつである、
ザルツブルグ州の州都。現在人口約16万人。

日本に目を向けると、当時の江戸の人口は100万人を超え、世界一ないしはそれに匹敵する規模で
あったと推定されている。

音楽・芸術に造詣が深い啓蒙専制君主であるヨーゼフ2世(神聖ローマ皇帝、オーストリア大公、
ハンガリー王、ボヘミア王)や僧侶、貴族の庇護を得て、多彩なオペラや音楽が、更には、
多様な芸術がウィーンの宮廷を中心として豊かに花咲き誇るのである。


ウィーン文化の特徴はゲルマン、ラテン、スラブの諸民族の混合文化であることがまず
挙げられ、こうした異文化の融合がウィーン文化の進歩と発展をもたらしたのである。

ウィーンは重厚なバロック的・貴族的なものから徐々に自由・軽快な市民的なものにその雰囲気を
変えつつある時代でもあった。又、啓蒙思想の浸透とそれに基ずく政府の諸改革は、文化生活にも
大きな変化を与えるが、この時代にはまだ文化の担い手は宮廷、聖職者、貴族、上級市民であった。

この年(1787年)初期産業革命がハプスブルグ家支配領域でも、まずは
ウィーンから始まるのである。(英国では1760年代に産業革命が始まっている。)

31歳のモーツアルトがこのオペラを初演した時代に生き、モーツアルトと直接・間接的に
関係のあった人物のこの年1787年時点での年齢は次の通りである。

ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・ペートーヴェン):17歳
ゲーテ(ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ):38歳
ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドン):55歳
C.P.E.バッハ(カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ):73歳
グルック(クリストフ・ヴィリバルト・グルック:73歳にてこの年(1787年)11月昇天
サリエリ(アントニオ・サリエリ):37歳
シカネーダ(エマヌエル・シカネーダ):37歳
ダ・ポンテ(ロレンツォ・ダ・ポンテ):38歳
ヨーゼフ2世(神聖ローマ皇帝/オーストリア大公、ハンガリー王、ボヘミア王) :46歳
マリーアントワネット(ヨーゼフ2世の妹。フランス国王ルイ16世の王妃):32歳

尚、モーツアルトと個人的関係はないが、ナポレオン・ボナパルト(後にフランス皇帝)は当時18歳であった。
1789年に勃発するフランス革命は、1799年ナポレオンがクーデターを起こし終結させ、ナポレオンの時代が始まるのである。
ナポレオンはゲーテの「若きウェルテルの悩み」(”Die Leiden des jungen Werthers” 1774年刊行)を
生涯に7度も読んだとのこと。


1787年におけるハプスブルグ家所領は次の地図の濃い灰色
部分です。(クリック拡大)
Political_Europe_1800s2.gif
注:当時、ミラノ(ロンバルディア、イタリア)も神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の支配下に
おかれていた。又、ハプスブルグ家に属するレオポルド1世がトスカーナ大公として
君臨していた(在位1765年~1790年)。


では、このオペラの主な登場人物を確認しておきましょう;
尚、場所はスペインのとある街。

① ドン・ジョヴァンニDon Giovanni: 好色な貴族(バリトン)。仏語では「ドン・ジュアン」(モリエールの戯曲)。
                       スペイン語ではドン・ファンDon Juan
② 騎士長Il Commendatore: ドン・ジョヴァンニに殺害される(バス)
③ ドンナ・アンナDonna Anna:騎士長の娘(ソプラノ)
④ ドンナ・エルヴィラDonna Elvira:ドン・ジョヴァンニに捨てられた貴婦人(ソプラノ)
⑤ ドン・オッターヴィオDon Ottavio:ドンナ・アンナの婚約者(テノール)
⑥ レポレッロLeporello:ドン・ジョヴァンニの従者(バス)
⑦ マゼットMasetto: 農夫。ツェルリーナの花婿(バス)
⑧ ツェルリーナZerlina:マゼットの花嫁(ソプラノ)



第一幕第5景:
騎士長邸より逃れたドン・ジョヴァンニとその従者レポレッロは夜が明ける頃一人の貴婦人を
街角で見かける。

ドンナ・エルヴィラが自分を捨てて去っていったドン・ジョヴァンニを恨んでアリア
「あァ、誰が教えてくれるの」"Ah, Chi mi dice mai" を歌う:
 
ドン・ジョヴァンニとレポレッロはこの様子を覗っている。ドンナ・エルヴィラであるとは
気がついておらず、どこかの貴婦人が嘆いているものと思っている。

聴きましょう。。。

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ドン・ジョヴァンニ(その1) [オペラ]

「フィガロの結婚」が1786年12月、プラハ(チェコ)で上演され大好評を博したことより
翌年1月8日から1ヶ月程モーツアルトは劇場関係者よりプラハに招聘され、自ら指揮をとったり、
チェンバロの演奏会を催したりした。劇場演奏会では新作のニ長調の交響曲第38番K504
通称「プラハ」が演奏されたのである。。。

1月27日はモーツアルトの31歳の誕生日であり、彼にとってこのプラハ滞在(招待)は
忘れることの出来ない最高の誕生プレゼントと感じたのではなかろうか。。。

プラハには台本作者のダ・ポンテも同行していたが、プラハ滞在中のモーツアルトにプラハの
民族劇場(スタヴォフスケ劇場=Stavovské divadlo/英語ではエステート劇場=Estates' Theatre)より
新曲の委嘱がなされたのである。


そしてこの新曲こそが「ドン・ジョヴァンニ」”Don Giovanni"K.527なのである。
台本は「フィガロの結婚」と同様ダ・ポンテが担当した。
尚、プラハ初演時の台本のタイトルは「罰せられた放蕩者、即ちドン・ジョヴァンニ
”Il dissoluto punito, ossia il Don Giovanni”となっている。

この2幕のオペラは台本を指して「音楽のためのおどけたドラマ」ドランマ・ジョコソdramma giocoso per musicaと
されているが、モーツアルト自身は「ドン・ジョヴァンニ」を「フィガロの結婚」や「コジ・ファン・トゥッテ」(1790年)
と同様オペラ・ブッファ(喜歌劇)として自分の作品一覧に記載している。


新曲「ドン・ジョヴァンニ」の準備は順調なものではなかった。特に1787年5月28日にモーツアルトの
父レオポルド・モーツアルトLeopold Mozart(1719年11月14日生まれ)がザルツブルグで
亡くなった(享年67歳)影響は大きかった。

素晴らしい「ドン・ジョヴァンニ」の序曲の作曲が完成したのは、初演(1787年10月29日、
スタヴォフスケ劇場)の二日前であったとのこと。。。

スタヴォフスケ劇場は1781年に建設され、18世紀後半の中央ヨーロッパでは非常に 重要な劇場とされていた。
この劇場では1783年モーツアルトのドイツ語オペラ 「後宮からの誘拐」"Die Entführung aus dem Serail, K384”が
上演された経緯もある。

尚、ドン・ジョヴァンニが上演された当時のプラハはボヘミア国の首都であり、ハプスブルグ君主国の領邦の一部として
オーストリア大公(神聖ローマ帝国皇帝、ハンガリー国王)のヨーゼフ2世が ボヘミア国王の座に就いていた。


1984年チェコ人の映画監督ミロス・フォアマンが映画「アマデウス」の撮影にこの劇場を使用している。
この劇場を選んだのは劇場自体更には劇場近隣の風景が18世紀のモーツアルトの時代を最も良く
保存しているからであった。


DSC02038.JPG
画像はプラハのスタヴォフスケ劇場=Stavovské divadlo/Estates' Theatre)



では、序曲を聴きましょう。。。


ウィーン・フィルハモニー楽団Wiener Philharmoniker
指揮ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert Von Karajan

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フィガロの結婚(その5) [オペラ]

第4幕(終幕)の場所設定は、夜の帳に包まれた伯爵邸の庭園。

暗闇の中、バルバリーナが何かを探しながら歌う。。。

バルバリーナはスザンナの従妹である。
伯爵により兵役に就けと命じられているケルビーノ(伯爵の小姓)との結婚を伯爵に願い出ている。
ケルビーノは本来であれば伯爵邸を出立し、兵役に就いているべきだが、なんとか
兵役を逃れようと画策している。。。伯爵夫人に恋焦がれ更には伯爵邸の女性という
女性に恋心を抱く思春期の若者である。

バルバリーナが探しているのは伯爵がスザンナに返すように命じた
「ピン」なのである。この「ピン」はスザンナから伯爵に宛てた手紙に
止めてあったものであり、伯爵からは誰にも内緒でそっとスザンナに
返す様にと言いつかったものである。

バルバリーナのカヴァティーナ”L'ho perduta...me meschina"
「失くしてしまった...困ったわ」36小節、ヘ短調が始まる。

この曲を初めて聴いて感動しないということはないのでは。。。
モーツァルトはバルバリーナを当初は無邪気なおしゃべりのこましゃくれた小娘として登場させ、
この曲によってすっかり美しい乙女に変化させてしまうのである。

では、聴きましょう~☆
Barbarina: Constanze Backes



BARBARINA.................................................. バルバリーナ

L'ho perduta... me meschina,,,.....................あれをなくして。。。こまったわ。。。
ah, chi sa dove sarà?....................................どこにあるのかしら

Non la trovo,,,........................................... みつからないわ。。。
L'ho perduta、 me meschinella, ....................あれをなくして、惨めになってしまう、
ah, chi sa dove sarà? .................................. あァ、一体どこなのかしら

Non la trovo...e mia cugina,,,....................... 見つからないわ, あたしの従姉は。。。
E il padron... cosa dirà? .............................. それにご主人さまは。。。なんて言うかしら

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ポーギーとべス [オペラ]

米国のポピュラー音楽とクラッシック音楽両面で活躍し、「アメリカ音楽」を
作り上げた作曲家と評価されているジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin、1898-1937)が
1934年から1935年にかけて作曲したオペラ「ポーギーとべス
”Porgy and Bess”(全3幕・9場)についてです。。。

ガーシュウィンは1924年、25歳の時にジャズとクラシックを融合させた
「ラプソディ・イン・ブルー」”Rhapsody in Blue”を発表し、この曲が世界的に
ヒットし、作曲家として不動の地位を築きました。
Rhapsody_in_Blue Clarinet opening.png
       ラプソディ・イン・ブルーの クラリネット オープニング

オペラ「ポーギーとべス」はデュボーズ・ヘイワードDuBose Heywardが
1925年に書いたベストセラー小説『ポーギー』をベースにしたもので、構想から
約10年を経て作曲され、黒人だけが出演する(但し、白人警官役だけは白人)
異色のオペラとして1935年にボストンで初演されました。

台本はデューボーズ・ヘイワード(原作者)とその妻で脚本家のドロシー夫人
Dorothy Heywardそしてアイラ・ガーシュインIra Gershwin(ガ-シュインの兄で詩人)の
3人の共同作成によるものです。



ガーシュインは、特に人種差別の激しかったアメリカ南部の黒人スラム街の貧困と喧騒、
麻薬と殺人、宗教と習慣、そうした生活の中で育まれる人間愛を題材として、
黒人霊歌より派生したゴスペルやジャズの要素をふんだんに導入し、このオペラを作曲しました。
尚、ガーシュイン自身は米国籍の白人です(父親はロシア系ユダヤ人で米国への移住者)。

しかし「ポーギーとベス」の初演は、評価はわかれたものの興行的には
成功とは言えませんでした。

初演の2年後にガーシュインは38歳の若さで亡くなりましたが、彼の死後、
第二次世界大戦を経て、このオペラが高く評価される様になったのです。

DSC01543.JPG



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フィガロの結婚(その4) [オペラ]

第3幕は次から次へと巻き起こる不可思議な事態と
自分の面目が潰されたことを嘆く伯爵のレチタティーヴォから始まる。

他方、伯爵夫人はスザンナに伯爵よりの逢瀬の誘いを受ける様に言いつけている。
逢瀬の場には夫人がスザンナに変装して行き、伯爵の浮気心を潰そう
との新たな策によるものである。。。
スザンナは夫人の策に従い、うまく伯爵を誘導し逢瀬の約束をする。

その後伯爵は女中頭のマルチェリーナから訴えのあったフィガロとの婚姻
についての裁判を開始するが、裁判の途中でマルチェリーナはフイガロが
自分と医師のバルトロとの不義の子であることを認める。

結局、マルチェリーナとバルトロは結婚することに決め、二組の結婚式が
挙げられることになる。

こうなると面白くないのは伯爵であり、一人苦虫を噛み潰している。。。


この裁判時の六重唱を含む声のアンサンブルも素晴らしく、ダ・ポンテの「台本と詩」とモーツァルトの音楽が
お互いを引き立てあっている。。。
ダ・ポンテは、「私が言葉を書いてゆくにしたがって彼(モーツァルト)が音楽を付けてゆくのだった。」
と非常に息の合ったコンビであったことを回顧している。


他方、スザンナを待つ夫人は夫である伯爵の浮気心をなげきアリア
”Dove sono i bei momenti"「どこにあるの美しい時は」を歌う;
聴きましょう。。。

伯爵夫人:Hillevi Martinpelto


CONTESSA...................................................伯爵夫人

Dove sono i bei momenti................................どこにあるのあの美しい時は
di dolcezza e di piacer,..................................甘くて楽しいあの時は
dove andaro i giuramenti.................................どこへ行ってしまったの、あの誓いは
di quel labbro menzogner?..............................いつわりの唇がなしたあの誓いは?
Perché mai se in pianti e in pene.....................一体なぜ涙と苦しみで
per me tutto si cangiò,....................................私のすべてが変わってしまったというのに、
la memoria di quel bene..................................あの楽しかった想い出が
dal mio sen non trapassò?..............................私から消えなかったのかしら?
Ah! Se almen la mia costanza.........................あァ!せめて私のまごころが
nel languire amando ognor,..............................愛し続けながらの苦しみの中で
mi portasse una speranza...............................希望をもたらせてくれるなら
di cangiar l'ingrato cor.....................................あの無情な心が変わるという希望を

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カルメン [オペラ]

前回闘牛を話題にしましたので今回は闘牛士が登場するフランスの
オペラ・コミーク「カルメン」をとりあげます。。。

IMG_2787.JPG


フランスのジョルジュ・ビゼー”Georges Bizet”の最高傑作である「カルメン」は
プロスペル・メリメの同名の小説を原作として、台本はリュドヴィック・アレヴィと
アンリ・メイヤックの二人が担当し、ビゼーによって1873年から1874年にかけて
作曲され、1875年3月3日パリの「オペラ・コミーク座」にて初演されました。
そして初演の約3ヶ月後にビゼーは弱冠37歳の生涯を閉じたのでした。。。
このオペラに命を懸けたわけですね。。。

舞台は19世紀初頭のスペインのセビーリャ。。。
タバコ工場で働くデモーニッシュで奔放なジプシー女性の
カルメンがタバコ工場の前の広場で「ハバネラ」
”L'amour est un oiseou rebelle”「恋は野の鳥」を歌う。。。

カルメンはメゾソプラノにとって最高の役柄のひとつでしょうね。カルメンの性格を
どの様に表現するか。非常に高度な演技力も要求されますね。。。
では聴きましょう。。。

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フィガロの結婚(その3) [オペラ]

第二幕は伯爵夫人が、夫であるアルマヴィヴァ伯爵の愛が冷めたことを嘆き
カヴァティーナ(Cavatina) 「愛の神よ、安らぎを与えたまえ」
”Porgi amor qualche ristoro"を歌う場面より始まる。。。

侍女のスザンナは伯爵が言い寄っていることを伯爵夫人に話している。
フィガロは伯爵夫人とスザンナに、伯爵から兵役に就けとの命令を受けた
小姓のケルビーノをスザンナに変装させ伯爵が言い寄っている現場を
夫人が押さえ懲らしめよう、さらに夫人には愛人がいるとの密告書を
伯爵に届け動揺させようとの作戦を立てフィガロは退場する。。。

ケルビーノが軍服姿で夫人にお別れの挨拶をするため居間を訪れる。
スザンナから伯爵夫人に歌を捧げる様に促されたケルビーノは
照れながら歌い出すが次第に燃えてくる。。。
伯爵夫人も聞惚れてくる様子がうかがえる。。。
第二幕第二景第12曲ケルビーノのアリエッタ「恋とはどんなものかしら」
”Voi che sapete che cosa è amor" がその歌です。(このアリエッタは
この記事の最後に。。。)

Marriage of Figaro.png

ケルビーノが歌い終わると伯爵夫人とケルビーノとの間にはなにやら怪しげな
雰囲気が漂う。。。スザンナはケルビーノを急かし伯爵夫人と共に女装を
開始する。 (ケルビーノ役は女性歌手が務めているわけで少年衣装の女性歌手に
女装を行うというややこしくも面白い展開になる)
スザンナは衣裳部屋に行くため居間を出る。。。

突然、伯爵が部屋をノックする。伯爵夫人は驚きケルビーノを化粧室に隠れさせ部屋の
ドアを開けたところ伯爵が血相かえて飛び込み何をしていたか詰問する。伯爵は夫人が
浮気をしているとのフィガロが影で手配した密告書を手にしている。。。


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フィガロの結婚(その2) [オペラ]

第一幕第一景より第八景

アルマビバ伯爵がスザンナを狙っていることに気がついたフィガロは
早急に伯爵より婚姻承諾をとりつけるべく策略をめぐらせる。

女中頭のマルチェリーナは、フィガロより以前取り付けた
金銭借用書を利用してフィガロとの結婚を策略している。
これに加担するのがセビリアの医師バルトロである。
バルトロはフィガロの策略でバルトロの養女であった
ロジーナをまんまと誘拐されアルマビバ伯爵夫人にされてしまった
こと(「セビリアの理髪師」の経緯)よりフィガロに一矢を報いたいという思いがある。

他方、アルマビバ伯爵の小姓ケルビーノが登場する
(この役は常に女性歌手=メゾソプラノ=が務める)。
ケルビーノは、伯爵夫人を筆頭に
城内の女性という女性に惚れ込む異性に目覚めたばかりの
思春期の少年である。この多感な思いをアリア第6番
「自分で自分がわからない"Non so più cosa son, cosa faccio"」で歌う。


ケルビーノはスザンナの従姉妹のバルバリーナの部屋に
潜んでいるところを伯爵に見つかったばかりだが今度は
スザンナの部屋で隠れているところをまたもや
伯爵に見つかってしまう。
スザンナにもバルバリーナにもどちらにも
気がある伯爵は怒り心頭に達し、
ケルビーノに直ちに軍役につけとの命令を下す。

フィガロはケルビーノに軍役につく際の心構えを
アリアで歌う。では、第一幕第八景第10曲より、
「もう飛ぶまいぞ、この蝶々(Non più andrai, farfallone amoroso)」です~☆

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フィガロの結婚(その1) [オペラ]

フィガロの結婚(Le Nozze di Figaro)K.492 はモーツァルトウィーン定住後
作曲・上演した最初のイタリア語台本によるオペラである。
★因みに、このオペラ以前にウィーンでイタリア語台本をもとに作曲を試みてはいるが、未完成に終わっている。

初演は1786年5月1日ウイーンのブルク劇場でモーツァルト自身の指揮で
行われ大好評を博している。

原作はフランス人の劇作家ボーマルシェBeaumarchaisにより、フィガロ三部作中
「セビリアの理髪師」の続編として、貴族の放蕩、無為、堕落を
テーマとした風刺劇として書かれ、長年の専制政治から
脱却せんとする庶民の気持ちを代弁した作品として
一般庶民に幅広く受け入れられた。

換言すれば、アンシャンレジームを維持せんとする
堕落した貴族、不公平な制度、不正な政治に反抗し、
思想、言論、著作の自由を擁護した作品であり、
こういった風潮と運動が後のフランス革命に
繋がって行くのである。

オペラブッファ化の困難な題材にも拘らずモーツァルトは
作曲家としてアンサンブルを駆使しこれを見事に成し遂げた。
尚、台本はイタリア人のロレンツォ・ダ・ポンテが担当した。

あらすじ;
舞台はスペインのアルマビバ伯爵邸。セビリアの理髪師であった
フィガロは現在は伯爵の従僕として働いている。
フィガロは伯爵夫人の腰元のスザンナと結婚の準備をしているが、
伯爵はスザンナに対し一度は放棄している「初夜権」
(領主が領民の花婿より先に花嫁と初夜を共に出来る権利)
の行使を目論んでいる。伯爵夫人とスザンナそしてフィガロは
協力しあって伯爵の企みを覆し、無事結婚にこぎつけるという4幕の
オペラブッファである。 では、序曲から~☆

Opening Credits: The English Baroque Soloists conducted by John Eliot Gardiner



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