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音楽が青少年を救い育てる! [音楽]

南米のベネズエラ出身で世界的に脚光を浴びている28歳の指揮者がいます。そして彼が音楽監督と
なっている青少年で編成されている素晴らしいオーケストラがベネズエラにあるのです。

快進撃を続ける青年指揮者とはグスタボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel)。 本年11月より
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任しています。

★グスタボ・ドゥダメル:1981年べネスエラのバルキシメト生まれ、2004年の第1回グスタフ・マーラー指揮者コンクール
(バンベルク響/バンベルク・フィル主催)に23歳で優勝し、世界の檜舞台に躍り出た。以降、マーラー・チェンバー・オケ、イスラエル・フィル、
カメラータ・ザルツブルク、ロイヤル・ストックホルム・フィル、フランス放送管、ロサンゼルス・フィル、バーミンガム市響、ドレスデン国立管、
ロイヤル・リヴァプール・フィル、フランクフルト放送響、スカラ・フィル、ボストン響、ベルリン国立歌劇場、スカラ座、ロス・フィル、
ナショナル・アーツ・センター管(カナダ)、バーミンガム市響、バンベルク響、チェコ・フィル、シカゴ響、ロッテルダム・フィル、
ウィーン響、ウィーン・フィル、ゲヴァントハウス管、ニューヨーク・フィル、他を指揮。
2007/8年シーズンからエーテボリ交響楽団(スエーデン)の首席指揮者に就任。
*Time誌の2009年度「世界で最も影響力のある100人」に選出された。ヒラリー・クリントン、ペネロペ・クルス、ヴェルナー・ヘルツォーク、
アンゲラ・メルケル、バラク・オバマ米大統領とミシェル夫人、ブラッド・ピット、テッド・ターナー、オプラ・ウィンフリー、ケイト・ウィンスレット、
タイガー・ウッズといった著名人たちの一群に名を連ねている。
*グスターボ・ドゥダメルがTime誌に選出されたことに関して、メトロポリタン歌劇場(MET)総裁のピーター・ゲルプは
ドゥダメルの指揮者としての「限りなき才能とカリスマ性」を言及し、レナード・バーンスタインと比較した上でのコメントを寄せている。

★ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団:Los Angeles Philharmonic 1919年創立。
本拠地はウォルト・ディズニー・コンサートホール。 LA Philのサイトはこちら

ベネズエラ所在の素晴らしいオーケストラとは;
①28歳以下の青少年で構成されているオーケストラでその名はシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ
②高校生だけで構成されているオーケストラ、テレサ・カレーニョ・ユース・オーケストラ

★The Simon Bolivar Youth Orchestra (西: Orquesta Sinfónica Simón Bolívar)
★The Teresa Carreño Youth Orchestra (西:Sinfónica Juvenil Teresa Carreño)

これらのオーケストラはベネズエラ政府出資財団である「ベネズエラ児童・青少年オーケストラ
国立システム財団、略称「エル・システマ」と呼ばれる組織に属しています。

★財団スペイン語名:Fundación del Estado para el Sistema Nacional de las Orquestas Juveniles e
Infantiles de Venezuela, (FESNOJIV)
英語名:State Foundation for the National System of Youth and Children's Orchestras of Venezuela

エル・システマ(El sistema/The system)は元政治家で経済学者のホセ・アントニオ・アブレオ氏
等の提唱により1975年から始まった、音楽教育を通じて貧困層の子供たちの健全な成長を図るため
放課後に子どもたちを音楽に従事させることで非行や犯罪から守る役割を果たしている。
この活動の重要性は米州開発銀行(IDB)にも認められ活動資金、音楽学校建設資金の提供を受けて
きている。

★ホセ・アントニオ・アブレオ: José Antonio Abreu、1939年5月7日ー、ミシガン大学(米)経済学部卒 下院議員、
シモン・ボリバル大学経済学部教授を経て1983年文部大臣等を歴任

エル・システマ=FESNOJIV(財団略称)の活動ぶりは早くから欧米に伝わり、ベルリン・フィルハーモニー
管弦楽団の首席指揮者や楽員の耳に入り、メンバーが無料指導したり、クラウディオ・アバド
サイモン・ラトルといった歴代首席指揮者が実際に客演で指揮もするほどになっている。

エル・システマ(FESNOJIV)はベネズエラ全国に125の少年オーケストラを持ち、30のシンフォニー
オーケストラ、そして付属の音楽教室(全国で186教室)で学ぶ児童・青少年は40万人に達そうとしている。
これらほとんど(90%)の生徒は経済的に恵まれない家庭の子供たちなのである。

オーケストラのメンバーと同様の教育を受けた新進気鋭の指揮者グスタボ・ドゥダメルが、
1999年に17歳でシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの音楽監督に就任。
近年ヨーロッパの各種コンサート(2007年BBCプロムス、2008年ザルツブルク音楽祭など)に招かれ、
大きな話題となっている。

ドゥダメルシモン・ボリバル・ユース・オーケストラは2008年12月初来日公演を行い、その躍動感
溢れる演奏は聴衆を大いに魅了した。

シモン・ボリバル・ユース・オーケストラのDiscographyとしては、ドイツの
グラモフォン・レーベルと専属契約を結んだドゥダメルの指揮で、ベートーヴェンの交響曲
第5番・7番とマーラーの交響曲第5番がある。
第三弾として、お家芸である南米作品集を出した。リズミックで疾走感あふれる
『センセマヤ(Sensemayá)』、官能的な『舞曲第2番(Danzon No.2)』、活気あふれる
『エスタンシア(Estancia)』!若きパワー溢れる彼らが熱狂と躍動感を力一杯表現する、
感動と興奮の傑作なのである。

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ドゥダメルは2008年6月15日ベルリン・フィルのグァルトビューネ野外音楽堂でのピクニック・
コンサートでバーンスタイン作曲「ウェスト・サイド・ストリー」の「シンフォニック・ダンス」から
マンボ」をアンコール曲として指揮し、絶賛を博した。

★マンボはキューバの音楽とジャズの融合。指揮が南米・ベネズエラ出身、曲はアメリカ音楽を作り上げた、
バーンスタイン(米)の作品、演奏はベルリン・フィルという組み合わせ。ベルリン・フィルの演奏は、 クラシック音楽の伝統に
裏打ちされた佳麗さを保ちつつラテンの音楽を端正に表現しており、「新しい音楽は融合から始まる」ということを
再認識させられます。


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天正遣欧少年使節と音楽 [音楽]

1543年(天文12年)、数人のポルトガル人を乗せた中国船が九州南方の種子島に漂着した。
ヨーロッパ人の最初の来日であり、ポルトガルにとっては日本の発見なのである。

島主の種子島時堯(ときたか、1528-1579)はポルトガル人がもっていた鉄砲(火縄銃)を
買い求め、家臣にその使用法と製造法を学ばせた。これを契機としてポルトガル人は毎年
九州の諸都市に来航し、日本との貿易を行った。

またスペイン人も1584年(天正12年)肥前の平戸に来航し、日本との貿易を開始した。
スペイン人・ポルトガル人のことを南蛮人と呼び、その船を南蛮船、商取引を南蛮貿易と呼んだ。

ポルトガル船は、イエズス会(キリスト教の一会派)の布教を認めた大名領の港に入港したため、
大名は貿易を望んで宣教師を保護するとともに布教に協力し、なかには洗礼を受ける大名も
あった(キリシタン大名)。

そのうち、大友義鎮(宗麟、洗礼名フランシスコ、1530-1587)有馬晴信(洗礼名プロタジオ、のちジョアン、1567-1612)
大村純忠(ドン=バルトロメオ、1533-1587)3大名は、イエズス会宣教師ヴァリニャーノ(1539-1606)
勧めにより、1582年(天正10年)、セミナリオ(イエズス会の中等教育機関、長崎県南島原市有馬町に当時所在)
卒業生から選んだ次の4名の少年(12~14歳)を使節として数名の随員と共にローマ教皇のもとに派遣した。
★アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano、1539年2月15日 - 1606年1月20日)は、キリシタン時代の
日本を訪れたイエズス会員、カトリック教会の司祭。イエズス会東インド管区の巡察師として活躍した。

①正使:伊東マンショ(1569?-1612)大友宗麟の名代として。
②正使:千々石(ちじわ)ミゲル(1570- ? )有馬晴信・大村純忠の名代として。
③副使:中浦ジュリアン(1570 ?- 1633)
④副使:原マルチノ(1568 ?- 1629)

4名の少年使節は1582年2月20日 長崎を出帆、マカオ、ゴア(インド西海岸)を経て、
リスボン(ポルトガル)に到着、その後マドリード(スペイン)、アリカンテ(スペインの港)-
リヴォルノ(イタリアの港)、フィレンツェを経て1585年3月22日夜ローマに到着するのである。

ローマへの往路で特筆すべきイベントは次の通りである。

①1584年8月10日 (天正12年旧暦7月5日)ポルトガルの港であり首都であるリスボンに到着。
  サン・ロッケ教会が宿舎となる。リスボン近郊にあるシントラ宮殿に招かれ、ポルトガル副王
  アルベルト・アウストリアに謁見。
  ★アルベルト副王:Albrecht VII. von Österreichはスペイン・ポルトガル国王フェリペ2世の妹マリアとのちの神聖ローマ皇帝
  マクシミリアン2世の五男で、伯父のフェリーぺ2世よりポルトガルの統轄を委託されていた。
  のちになってスペイン領ネーデルラントの総督を務めた。
  ★サン・ロッケ教会:Igreja de São Roque イエズス会が建設した教会。現存する。
  ★シントラ宮殿(:Palácio Nacional de Sintra) - 14世紀に国王ジョアン1世によって建てられた夏の離宮。現存する。
  
②1584年11月25日(天正12年旧暦10月23日) スペインの首都マドリードでスペイン・ポルトガル国王
  フェリペ2世に歓待される。
  ★フェリペ2世別号:シチリア王、ポルトガル王(1580年 - 1598年)、ナポリ王、スペイン領ネーデルラント統治者、ミラノ公
  
③1585年3月2日 リヴォルノ港着・ピサにあるトスカーナ大公宮殿に宿泊。
  宮殿ではこの日の夜、歓迎舞踏会が催された。伊東マンショはトスカーナ大公妃ビアンカ・
  カッペッロ(1548-87)と踊ったとの記録がある。
  ★トスカーナ大公:フランチェスコ1世(在位:1574年 - 1587年)、メディチ家

④1585年3月7日(天正13年旧暦2月6日) フィレンツェに到着。メディチ家による歓迎舞踏会に出席。

少年使節の歓迎舞踏会では当時の宮廷舞踊として流行っていた①アルマンド(仏:Allemande),
②パヴァーヌ(仏:Pavane)、③サラバンダ(伊:Sarabanda)などが踊られたものと思われる。

少年使節はローマに到着した翌日、1585年の翌日3月23日教皇グレゴリオ(グレゴリウス)13世
謁見した。
★グレゴリウス13世:Gregorius XIII,1502年1月7日 - 1585年4月10日、ローマ教皇(在位,1572年 - 1585年)。
ずれが累積していたユリウス暦を廃し、グレゴリオ暦とよばれる新暦を採用したことでも有名。

ところが謁見した教皇グレゴリオ13世が4月10日薨去し同月25日シスト(シクストゥス)5世
教皇に選出され、少年使節は選出の翌日26日新教皇に謁見し、5月1日の新教皇の戴冠式に参列した。
★シクストゥス5世:Sixtus V,1520年12月13日 - 1590年8月27日、(在位,1585年 - 1590年)。

新教皇が選出された翌日に謁見出来たのはバチカンとしていかに使節を重要視し、
歓待していたかが伺えるのである。



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画像左上:中浦ジュリアン、左下:原マルチノ、上段中央:メスキータ神父 右上:伊東マンショ、右下:千々石ミゲル
★メスキータ神父:Padre Diego de Mesquita(随員の一人、通訳)
天正遣欧少年使節の来訪を伝える印刷物、           (京都大学図書館蔵)      (クリック拡大)

この印刷物はゴシック体の古典ドイツ語で書かれており判読困難ながら、
中央下段にある本文の冒頭から次が読み取れる。

『諸王を代理・代表し、1585年3月23日、Mancius(マンショ), Julianus(ジュリアン)、
Marrinus(マルチノ)、Michael(ミゲル)と称する日本より派遣された4名の少年を歓迎』

かくして少年使節はローマには1585年3月22日より同年6月3日まで約70日間滞在し、
帰国の途につくのである。復路は次の通りである。

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さとうきび畑(鎮魂と平和を祈る歌) [音楽]

歌:イリス松尾香世子
作詞・作曲: 寺島尚彦

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歌の主人公は終戦の日に誕生した少女。
少女の父親は沖縄での米軍との激戦で戦死している。

成長した少女は、夢に見た父親に会いたくてさとうきび畑にでかけ、
さとうきびの間を風が通り抜ける「ざわわ、ざわわ」という音を聞きながら,

ひとり寂しく風に悲しみを訴えるのです。


2009年8月15日は64回目の終戦記念日でした。戦没者に対し黙祷。



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