犬とモーツァルト [モーツァルト]
≪わが家のピンペス嬢はご機嫌いかがですか?≫
モーツァルトが最初に愛犬「ピンペス」を手紙に登場させたのは第3回目のウィーン旅行の時で、
姉のナンネルにこの様に問いかけている。(ウィーン、1773年8月21日付)
ザルツブルクのモーツァルト家では名前は「ビンペス」、愛称は「ピンペルル」という雌の
フォックステリアを飼っていた。「ビンペス嬢」とか「ビンペルル嬢」などと呼ばれて家族間の
手紙やナンネルの日記帳にしばしば登場するのである。
★フォックステリアであることはモーツァルトと共にミュンヘン滞在中の母アンナ・マリアがレオポルトに書いた手紙
(1777年10月2日付)で、≪ビンペルルが(私の望みどおりに)自分の義務を果たし、あなたに体をすりよせてきますように。
だって、良き忠実なフォックステリアなんですもの。≫と記していることから明らかとなっている。
注:上記の文中「自分の義務」とは、フォックステリアの元来の役割である害獣駆除(ネズミ捕獲など)のことであろうと思われる。
★犬の名前が家族それぞれ微妙に異なっているのであるが、モーツァルトと母親のアンナ・マリアは特に語源を気にすることなく、
スペリングも発音もしたのであろうと思われ、父レオポルトと長女のナンネルが使用している「ピンペス」”Pimpes”が名前で
「ピンペルル」”Pimperl”が愛称であると解釈すべきであろう。因みにモーツァルトは「ビンベス」”Bimbes"又は 「ビンベルル」
”Bimberl"と呼び(綴り)、母親は「ビンペス」”Bimpes”又は「ビンペルル」”Bimperl”と呼んで(綴って)いる。
「ピンペス」はモーツァルトと母アンナ・マリアが1777年9月23日「マンハイム・パリ旅行(求職の旅)」に
出発した後の家族間の手紙に頻繁に登場するのである。
まず、母子の出発時のナンネルとピンペスの様子についてレオポルトは次の通りミュンヘンの
モーツァルトに語るのである。
≪ナンネルはまったくびっくりするほど泣いたので、私はあの子を慰めてやるのにひどく苦労した。
あの子は頭痛がすると訴え、しかも胃がおかしくなって、とうとう吐き気を催し、どっと吐いてしまった。
頭を巻いて、ベッドに寝て、雨戸を閉めた。ピンペスも悲しそうにあの子のそばに寝そべっていたよ。≫
(ザルツブルク、1777年9月25日付)
それから3日後の手紙でナンネルはモーツァルトに次の通り語っている。(1777年9月28日付)
≪ピンペス嬢はなおずっと希望のうちに暮らしていて、半時間も門のところに立ったり座ったりして、
あんたがたが今にもやってくるものと思っています。それでも彼女は元気で食べもし、飲みもし、
眠りもし、ウ●チもし、またオシ●コもしています。≫
同年10月12日付の手紙でレオポルトが語るには。。。
≪お天気が良いときは、早いうちに、私たちの忠実なピンペルルといっしょに、毎日散歩に出かけ
ますが、この児はとても陽気で、私たちが二人とも家にいないときだけはとっても悲しげで、しかも
目に見えてものすごくおびえています。というのは、この児はおまえたちがいなくなってしまったので、
今度は私たちも失ってしまうのじゃないかと思っているからです。だから、私たちが舞踏会に出かけて
しまうと、あの児はミツェルルからもう離れようとはしないのです。私たちが仮面をつけているのを
見てしまったからなのです。そして私たちが戻ってくると、ものすごくうれしがるので、息でもつまりは
しないかと思うほどです。それにまた、私たちが外出していると、部屋の自分のベッドにいないで、
扉の傍の女中のところで、地面に坐ったまま眠ろうともしないのです。それどころか、私たちが
戻ってこないかと、ずっと見張っているのです。≫
この「ミュンヘンとパリ旅行」で最初にモーツァルトがザルツブルクの父レオポルトに書いた手紙
(1777年9月23日付ヴァッサーブルク発)で姉ナンネルのことを愛情込めて「わがカナリア姉さん」と
呼び、他方ナンネルはモーツァルトのことを「道化者」そして「ピンペルル」と愛犬名で呼んでいるのである。
≪ママと道化者が陽気で元気だって聞いて満足しています。。。ところでビンペルルは短い
前奏曲を1曲すぐにも送って下さいね。≫ (1777年9月28日ミュンヘンのモーツァルト宛)
★姉ナンネルを「カナリア姉さん」と呼んでいるのは、ナンネルはモーツァルトに言わせると「いちいちつまらないことに
すぐめそめそした」ことからこう呼んだのである。この手紙に限らず、モーツァルトとナンネルはお互いの健康を
気使いながら姉弟愛溢れる手紙の交換をしている。尚、ザルツブルクの家ではカナリアも飼っていた。
レオポルトは1778年4月13日付のパリに宛てた手紙の末尾で、次の通り愛情込めて語っている。
≪ピンペルルはとても元気です。彼はテーブルの上にあがると、一本の前足でまことにお利口さんに
センメルをひっかいて、一つもらうようにし、またナイフをひっかいて、切ってくれるようにするのです。
それにテーブルの上に嗅ぎ煙草いれが四、五個あると、スペイン煙草が入っているのをひっかき、
一本取り出してもらい、その上で彼に指をなめさせるようにさせるのです。≫
★センメル:オーストリアでは定番のパン。外はカラカラで中は柔らかいパン。
モーツァルトはウィーンに移った後もこの犬を気にかけていて、1782年5月8日の父レオポルト宛の
手紙の末尾に、≪ビンペルルにスペインの嗅ぎ煙草を一服ね≫と書き添えている。
★モーツァルトは犬を題材にした楽曲は遺していないが、1782年にピンペルルとコンスタンツェをとりあげたカノンの
スケッチを書いている。コンスタンツェ(モーツァルトの妻、1782年8月挙式)をピンペルルに見立てその愛らしさを
称えようと考えたのであろうか。
フォックス・テリアには現在、スムースヘアーとワイヤーヘアーの二種類が存在しているが、
モーツァルトがザルツブルク時代に両親と姉ナンネルと共に非常に可愛がっていたフォックス・テリア(雌)の
「ビンベルル」はスムース・フォックス・テリアに近い当時の犬種であろうと思われる。
★ワイヤー・フォックス・テリアではないと思われる。この犬種は異種間交配により19世紀に誕生しており、モーツァルトの時代には
誕生していなかった。勿論、交配に使用された剛毛を持った犬はいたわけで、英国では狐を追う犬種をすべて、フォックステリアと
呼んでいた時期もあり、特定することは困難である。
★他方、愛犬はジャーマン・スピッツの中で最も小さい犬種で、ジャーマン・ツヴェルク・スピッツ(German Zwergspitz)
即ち、ポメラニアン(体高20cm前後、体重1.8〜5kg)のことだとする説もあるが特に根拠があるわけでもなさそうである。
スムース・フォックス・テリア フォックス・ハウンド
★スムース・フォックス・テリア=原産地:英国、起源:18世紀、元来の役割:害獣駆除、キツネ狩、体高(雌):40cm、
体重(雌):16~23kg, 寿命:10~13歳。フォックス・ハウンドたちと一緒に貴族のスポーツとしてのキツネ狩に
使われた(穴の中に隠れているキツネを外に追い出す役割。
★フォックス・ハウンド=原産地:英国、起源:18世紀、元来の役割:キツネ狩、体高(雌):58~69cm、体重(雌);25~34kg
ワイヤー・フォックス・テリア
原産地:英国、起源:19世紀、異種間交配により育成。
モーツァルトは結婚後のウィーン時代の約10年間にも「ガウケルル」という犬を飼っていた。その犬の
あだ名を「シャマヌツキー」と名ずけたと、1787年1月15日付でプラハから彼がウィーンの友人フォン・ジャカンに
送った手紙で語っているが、この犬の種類とかウィーンで何匹犬をかったのかなど詳細はわかっていない。
U^ェ^U U^ェ^U U^ェ^U U^ェ^U U^ェ^U U^ェ^U
モーツァルトは犬を題材にした楽曲は遺していないので、つぎの2曲を聴きましょう。
1.「わがカナリア姉さん」(ナンネル)の霊命の祝日(7月26日)のために20歳の弟「ピンペルル」が
1776年7月にザルツブルクで作曲し7月25日夜に演奏されたと推測されるディヴェルティメント
ニ長調 K.251から第5楽章 ロンドーアレグロ・アッサイ:
★『ハフナー・セレナード』と同時期に作曲されている。
2.モーツァルトと愛犬「ピンペルル」が、じゃれあっているかのような、多くのスタッカートを伴い、明るく、優美で、
軽やかなクラヴィーア・ソナタ(第9番)ニ長調、K.311(284c)第一楽章、アレグロ・コン・スピーリト:
この第9番(新全集では第8番)は1777年10月~11月頃マンハイムで作曲されているが、作曲の
経緯はほとんど判明していない。ミュンヘンのフライジンガー(Freysinger)という家の二人の娘
(Juliana当時22歳)と(Josepha17歳)の為に作曲したものではないかとされている。モーツァルト
がアウクスブルクの従妹ベーズレに手紙で次の通り語っていることを根拠としている。
≪。。。つまりヨゼファ嬢にちゃんとおわびをしたいのです。。。彼女に約束したソナタをまだ送って
いないので。。。≫ 1777年11月5日付マンハイムよりアウクスブルクのマリア・アンナ・テークラ・モーツァルト(ベーズレ)宛
≪。。。きみのフライジンガー嬢姉妹からの挨拶を伝えてくれて、わがいとこ嬢に大いに感謝します。
姉さんのユリアーナ嬢はとても親切なことずてを送ってくれました。(中略)例のソナタについては
少し忍耐で武装しなくてはなりません。。。なるべく早く書き上げ、それに手紙を書き添えましょう。≫
1777年12月3日マンハイムのモーツァルトよりマリア・アンナ・テークラ・モーツァルト(ベーズレ)宛
ディヴェルティメント ニ長調 K.251 クラヴィーア・ソナタ(第9番)(新全集第8番)ニ長調
第5楽章 ロンドーアレグロ・アッサイ K.311(284c) 第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト
U^ェ^U U^ェ^U U^ェ^U U^ェ^U U^ェ^U U^ェ^U
モーツァルトは犬に捧げる詩を遺している(作詞時期は不明)。
雌イヌ(特に名前は記されず)に託した乙女(16歳)が始めて異性を受け入れるという内容の
詩文である。尚、この詩文は遺稿の中から見つかっている。
★ かなり長いので要所のみ。中略箇所一部にエロチックな表現あり。書簡全集の紹介文ではポルノ詩であるとしている。
芸術的な犬
犬呈詩
おおミューズの女神よ!ぼくはきみたちに感謝の贈りものを捧げたい。
ぼくを助けてくれたまえ、犬のほまれ大チビコロ君を 詩で称えたいのだ。
名犬物語は数多くあるが、これはまた世に類のない犬物語。。。。(中略)
さてそれで、犬の王様チビコロ君は ウィーンのうまれ。たがぼくには分からない、
ママのゼミールが彼を世に産み落とした月日も時間も。
慈父については、身分も名前も皆目分からない。ただオーストリアの由緒ある血統を引くとの噂。
母親ゼミールはこの世に誕生した、コロンブスが初めて発見した大陸で。
彼女は年の頃およそ16歳で すでに世界を一周していた。
水よりも爽やかで 雪よりも清らかな生粋の生娘。。。(中略)
とそこへ突然、年も頃合、中肉中背、見目うるわしく礼儀正しい雄犬一匹 彼女に向かってやってきた。
彼女は震えおののき 逃げたが ああ 神様 釘づけになった。。。(中略)
こうして彼女は寛大にも彼に敬意を表したのだ、そして堪えることで自分を鍛えることを彼に
教えたのだ。。。(中略)
そこで、美しいひとよ、あなたはあなた自身を責めなくてはいけない。
こんな魅力に出遭えば、誰だって思いきった行為にでるだろうさ!
(引用:モーツァルト書簡全集)
動物・小鳥特集記事
猫とモーツァルト
モーツァルトと小鳥たち
ピアノ・ソナタ(第13番)変ロ長調 と動物たち
犬といっしょ
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モーツァルトの西方大旅行②(ロンドン①)
モーツァルトの西方大旅行③(ロンドン②)
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ザルツブルクのモーツァルト17-18歳(1773-74年)
モーツァルトのミュンヘン旅行≪「偽の女庭師」作曲・上演の旅≫
ザルツブルクのモーツァルト19歳(1775年)
ザルツブルクのモーツァルト20歳(1776年)
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ザルツブルクのモーツァルト23歳(1779年)
モーツァルト24歳・ザルツブルク在住最後の年(1780年)
モーツァルトのミュンヘン旅行(「イドメネオ」作曲と上演の旅)
モーツァルト25歳の独立とウィーン時代の幕開け(1781年)
モーツァルト26歳の結婚と「後宮からの誘拐」(ウィーン②1782年)
モーツァルト27歳・演奏会の成功とザルツブルク里帰り(ウィーン③1783年)
ピアノ・ソナタ(第13番)変ロ長調 と動物たち(1783年ザルツブルクの帰途立ち寄ったリンツ関連)
モーツァルト28歳・演奏活動絶頂期(ウィーン④1784年)
モーツァルトと小鳥たち (クラビーア協奏曲(第17番)ト長調(K.453)第三楽章の主題を歌うムクドリとモーツァルト)
父レオポルト、絶頂期のモーツァルト29歳を訪問(ウィーン⑤1785年)
モーツァルト30歳・「劇場支配人」と「フィガロの結婚」(ウィーン⑥1786年)
フィガロの結婚(その1)序曲+第一幕第一景第一曲
モーツァルト31歳・父レオポルトの死と「ドン・ジョヴァンニ」(ウィーン⑦1787年)
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フォックステリアを飼っていた。「ビンペス嬢」とか「ビンペルル嬢」などと呼ばれて家族間の
手紙やナンネルの日記帳にしばしば登場するのである。
★フォックステリアであることはモーツァルトと共にミュンヘン滞在中の母アンナ・マリアがレオポルトに書いた手紙
(1777年10月2日付)で、≪ビンペルルが(私の望みどおりに)自分の義務を果たし、あなたに体をすりよせてきますように。
だって、良き忠実なフォックステリアなんですもの。≫と記していることから明らかとなっている。
注:上記の文中「自分の義務」とは、フォックステリアの元来の役割である害獣駆除(ネズミ捕獲など)のことであろうと思われる。
★犬の名前が家族それぞれ微妙に異なっているのであるが、モーツァルトと母親のアンナ・マリアは特に語源を気にすることなく、
スペリングも発音もしたのであろうと思われ、父レオポルトと長女のナンネルが使用している「ピンペス」”Pimpes”が名前で
「ピンペルル」”Pimperl”が愛称であると解釈すべきであろう。因みにモーツァルトは「ビンベス」”Bimbes"又は 「ビンベルル」
”Bimberl"と呼び(綴り)、母親は「ビンペス」”Bimpes”又は「ビンペルル」”Bimperl”と呼んで(綴って)いる。
「ピンペス」はモーツァルトと母アンナ・マリアが1777年9月23日「マンハイム・パリ旅行(求職の旅)」に
出発した後の家族間の手紙に頻繁に登場するのである。
まず、母子の出発時のナンネルとピンペスの様子についてレオポルトは次の通りミュンヘンの
モーツァルトに語るのである。
≪ナンネルはまったくびっくりするほど泣いたので、私はあの子を慰めてやるのにひどく苦労した。
あの子は頭痛がすると訴え、しかも胃がおかしくなって、とうとう吐き気を催し、どっと吐いてしまった。
頭を巻いて、ベッドに寝て、雨戸を閉めた。ピンペスも悲しそうにあの子のそばに寝そべっていたよ。≫
(ザルツブルク、1777年9月25日付)
それから3日後の手紙でナンネルはモーツァルトに次の通り語っている。(1777年9月28日付)
≪ピンペス嬢はなおずっと希望のうちに暮らしていて、半時間も門のところに立ったり座ったりして、
あんたがたが今にもやってくるものと思っています。それでも彼女は元気で食べもし、飲みもし、
眠りもし、ウ●チもし、またオシ●コもしています。≫
同年10月12日付の手紙でレオポルトが語るには。。。
≪お天気が良いときは、早いうちに、私たちの忠実なピンペルルといっしょに、毎日散歩に出かけ
ますが、この児はとても陽気で、私たちが二人とも家にいないときだけはとっても悲しげで、しかも
目に見えてものすごくおびえています。というのは、この児はおまえたちがいなくなってしまったので、
今度は私たちも失ってしまうのじゃないかと思っているからです。だから、私たちが舞踏会に出かけて
しまうと、あの児はミツェルルからもう離れようとはしないのです。私たちが仮面をつけているのを
見てしまったからなのです。そして私たちが戻ってくると、ものすごくうれしがるので、息でもつまりは
しないかと思うほどです。それにまた、私たちが外出していると、部屋の自分のベッドにいないで、
扉の傍の女中のところで、地面に坐ったまま眠ろうともしないのです。それどころか、私たちが
戻ってこないかと、ずっと見張っているのです。≫
この「ミュンヘンとパリ旅行」で最初にモーツァルトがザルツブルクの父レオポルトに書いた手紙
(1777年9月23日付ヴァッサーブルク発)で姉ナンネルのことを愛情込めて「わがカナリア姉さん」と
呼び、他方ナンネルはモーツァルトのことを「道化者」そして「ピンペルル」と愛犬名で呼んでいるのである。
≪ママと道化者が陽気で元気だって聞いて満足しています。。。ところでビンペルルは短い
前奏曲を1曲すぐにも送って下さいね。≫ (1777年9月28日ミュンヘンのモーツァルト宛)
★姉ナンネルを「カナリア姉さん」と呼んでいるのは、ナンネルはモーツァルトに言わせると「いちいちつまらないことに
すぐめそめそした」ことからこう呼んだのである。この手紙に限らず、モーツァルトとナンネルはお互いの健康を
気使いながら姉弟愛溢れる手紙の交換をしている。尚、ザルツブルクの家ではカナリアも飼っていた。
レオポルトは1778年4月13日付のパリに宛てた手紙の末尾で、次の通り愛情込めて語っている。
≪ピンペルルはとても元気です。彼はテーブルの上にあがると、一本の前足でまことにお利口さんに
センメルをひっかいて、一つもらうようにし、またナイフをひっかいて、切ってくれるようにするのです。
それにテーブルの上に嗅ぎ煙草いれが四、五個あると、スペイン煙草が入っているのをひっかき、
一本取り出してもらい、その上で彼に指をなめさせるようにさせるのです。≫
★センメル:オーストリアでは定番のパン。外はカラカラで中は柔らかいパン。
モーツァルトはウィーンに移った後もこの犬を気にかけていて、1782年5月8日の父レオポルト宛の
手紙の末尾に、≪ビンペルルにスペインの嗅ぎ煙草を一服ね≫と書き添えている。
★モーツァルトは犬を題材にした楽曲は遺していないが、1782年にピンペルルとコンスタンツェをとりあげたカノンの
スケッチを書いている。コンスタンツェ(モーツァルトの妻、1782年8月挙式)をピンペルルに見立てその愛らしさを
称えようと考えたのであろうか。
フォックス・テリアには現在、スムースヘアーとワイヤーヘアーの二種類が存在しているが、
モーツァルトがザルツブルク時代に両親と姉ナンネルと共に非常に可愛がっていたフォックス・テリア(雌)の
「ビンベルル」はスムース・フォックス・テリアに近い当時の犬種であろうと思われる。
★ワイヤー・フォックス・テリアではないと思われる。この犬種は異種間交配により19世紀に誕生しており、モーツァルトの時代には
誕生していなかった。勿論、交配に使用された剛毛を持った犬はいたわけで、英国では狐を追う犬種をすべて、フォックステリアと
呼んでいた時期もあり、特定することは困難である。
★他方、愛犬はジャーマン・スピッツの中で最も小さい犬種で、ジャーマン・ツヴェルク・スピッツ(German Zwergspitz)
即ち、ポメラニアン(体高20cm前後、体重1.8〜5kg)のことだとする説もあるが特に根拠があるわけでもなさそうである。
スムース・フォックス・テリア フォックス・ハウンド
★スムース・フォックス・テリア=原産地:英国、起源:18世紀、元来の役割:害獣駆除、キツネ狩、体高(雌):40cm、
体重(雌):16~23kg, 寿命:10~13歳。フォックス・ハウンドたちと一緒に貴族のスポーツとしてのキツネ狩に
使われた(穴の中に隠れているキツネを外に追い出す役割。
★フォックス・ハウンド=原産地:英国、起源:18世紀、元来の役割:キツネ狩、体高(雌):58~69cm、体重(雌);25~34kg
ワイヤー・フォックス・テリア
原産地:英国、起源:19世紀、異種間交配により育成。
モーツァルトは結婚後のウィーン時代の約10年間にも「ガウケルル」という犬を飼っていた。その犬の
あだ名を「シャマヌツキー」と名ずけたと、1787年1月15日付でプラハから彼がウィーンの友人フォン・ジャカンに
送った手紙で語っているが、この犬の種類とかウィーンで何匹犬をかったのかなど詳細はわかっていない。
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モーツァルトは犬を題材にした楽曲は遺していないので、つぎの2曲を聴きましょう。
1.「わがカナリア姉さん」(ナンネル)の霊命の祝日(7月26日)のために20歳の弟「ピンペルル」が
1776年7月にザルツブルクで作曲し7月25日夜に演奏されたと推測されるディヴェルティメント
ニ長調 K.251から第5楽章 ロンドーアレグロ・アッサイ:
★『ハフナー・セレナード』と同時期に作曲されている。
2.モーツァルトと愛犬「ピンペルル」が、じゃれあっているかのような、多くのスタッカートを伴い、明るく、優美で、
軽やかなクラヴィーア・ソナタ(第9番)ニ長調、K.311(284c)第一楽章、アレグロ・コン・スピーリト:
この第9番(新全集では第8番)は1777年10月~11月頃マンハイムで作曲されているが、作曲の
経緯はほとんど判明していない。ミュンヘンのフライジンガー(Freysinger)という家の二人の娘
(Juliana当時22歳)と(Josepha17歳)の為に作曲したものではないかとされている。モーツァルト
がアウクスブルクの従妹ベーズレに手紙で次の通り語っていることを根拠としている。
≪。。。つまりヨゼファ嬢にちゃんとおわびをしたいのです。。。彼女に約束したソナタをまだ送って
いないので。。。≫ 1777年11月5日付マンハイムよりアウクスブルクのマリア・アンナ・テークラ・モーツァルト(ベーズレ)宛
≪。。。きみのフライジンガー嬢姉妹からの挨拶を伝えてくれて、わがいとこ嬢に大いに感謝します。
姉さんのユリアーナ嬢はとても親切なことずてを送ってくれました。(中略)例のソナタについては
少し忍耐で武装しなくてはなりません。。。なるべく早く書き上げ、それに手紙を書き添えましょう。≫
1777年12月3日マンハイムのモーツァルトよりマリア・アンナ・テークラ・モーツァルト(ベーズレ)宛
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第5楽章 ロンドーアレグロ・アッサイ K.311(284c) 第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト
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モーツァルトは犬に捧げる詩を遺している(作詞時期は不明)。
雌イヌ(特に名前は記されず)に託した乙女(16歳)が始めて異性を受け入れるという内容の
詩文である。尚、この詩文は遺稿の中から見つかっている。
★ かなり長いので要所のみ。中略箇所一部にエロチックな表現あり。書簡全集の紹介文ではポルノ詩であるとしている。
芸術的な犬
犬呈詩
おおミューズの女神よ!ぼくはきみたちに感謝の贈りものを捧げたい。
ぼくを助けてくれたまえ、犬のほまれ大チビコロ君を 詩で称えたいのだ。
名犬物語は数多くあるが、これはまた世に類のない犬物語。。。。(中略)
さてそれで、犬の王様チビコロ君は ウィーンのうまれ。たがぼくには分からない、
ママのゼミールが彼を世に産み落とした月日も時間も。
慈父については、身分も名前も皆目分からない。ただオーストリアの由緒ある血統を引くとの噂。
母親ゼミールはこの世に誕生した、コロンブスが初めて発見した大陸で。
彼女は年の頃およそ16歳で すでに世界を一周していた。
水よりも爽やかで 雪よりも清らかな生粋の生娘。。。(中略)
とそこへ突然、年も頃合、中肉中背、見目うるわしく礼儀正しい雄犬一匹 彼女に向かってやってきた。
彼女は震えおののき 逃げたが ああ 神様 釘づけになった。。。(中略)
こうして彼女は寛大にも彼に敬意を表したのだ、そして堪えることで自分を鍛えることを彼に
教えたのだ。。。(中略)
そこで、美しいひとよ、あなたはあなた自身を責めなくてはいけない。
こんな魅力に出遭えば、誰だって思いきった行為にでるだろうさ!
(引用:モーツァルト書簡全集)
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フィガロの結婚(その1)序曲+第一幕第一景第一曲
モーツァルト31歳・父レオポルトの死と「ドン・ジョヴァンニ」(ウィーン⑦1787年)
家の猫キングがまだ1匹だけの時
朝から夜まで留守にすることがありました。
その時キングは、まだ8カ月くらいだったんですが、
ストレスで禿が出来、血便の下痢をして、
血の混じった嘔吐をしました。。。。
淋しくて、そんな風になったようなのです。
で、サクラを飼うことにしたんですが。。。
「ピンぺス」も不安だったんでしょうね。
ワイヤーフォックステリアと
スムースフォックステリア全然見た目が違いますね。
K311は、内田光子さんのピアノなんですね♪
by バロックが好き (2010-07-08 08:30)
おはようございます。モーツァルトの家族の絆が強いのは、愛犬のピンベルルの役割も大きいようですね。姉や弟が互いにピンベルルにたとえることで、愛らしさや愉快さを幅広く表現することができたのですね。クラヴィーアソナタ「9番」は、可愛らしく躍動的な曲ですね。
by whitered (2010-07-08 08:33)
いつもありがとうございます。
従来のものの寄せ集めでなく、新しくアマデウス様ご自身のご企画とご視点でのご記録、大変興味深く拝見させていただいます。
既存のものとは違って興味深いものがありますので、失礼ですがぜひいつか1冊にでもお纏めになられることをお薦めさせていただきます。
(細かいことですが、ピンペルルが愛称であることは私もそう思っております。)
by 塩 (2010-07-08 09:49)
バロックが好きさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
K311は内田光子さんの演奏です☆
キングちゃんのお話で思い出しましたが、友人が中米から成田に愛犬を2匹(大型犬と小型犬)を帰国に際し、飛行機でつれて帰ったところ、成田の検疫(確か2週間位観察所に留め置かれる)で大型犬は食事を絶対に受け付けず死亡、小型犬(スピッツ)はほぼ全身の毛が抜けてしまいましたが、無事生き延びました☆恐怖とストレスで大型犬は食事を受け付けなかったのです☆
キングちゃんにサクラちゃんという仲間が出来てよかったですね☆
by アマデウス (2010-07-09 06:02)
whiteredさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
ご指摘の通り、ピンペルルはモーツァルトの家族に共通の話題を提供し、家族間の絆の役割を果たしてくれたのですね☆
by アマデウス (2010-07-09 06:10)
Dr.塩!こんにちは~☆
コメントとアドバイスありがとうございます!
一冊に纏める価値のある記事を書きたいものだと思います☆
いつもご支援頂きありがとうございます!これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-07-09 06:13)
コメントをありがとう。モーツアルトは、ウィーン郊外の温泉地、バーデンに滞在したのでしょうか?興味があります。10年間もいたのだから、たぶん行ったのでしょうね。
by hide-m (2010-07-09 08:14)
hide-mさん!こんにちは~☆
モーツァルトは1789年より亡くなる5ヶ月程前まで頻繁にバーデンを訪問しています☆これは彼の妻コンスタンツェを湯治させていた為です☆バーデン関連での主な出来事は次の通りです☆
①モーツァルトはバーデンの教区教会の聖歌隊指揮者A.シュトルが妻の湯治滞在に際し種々世話をしてくれたお礼に美しいモテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618を贈呈しており、これを感謝する旨の銘板が同教会に掲げられている☆
②バーデンの教会では「ミサ ハ長調「戴冠式ミサ」K.317や「ミサ・プレヴィス」変ロ長調 K.275/272bなども演奏されている☆
③モーツァルトが書いた生涯最後の手紙はバーデンで療養中の妻宛の1791年10月14日付の手紙で、「魔笛」上演中のエピソードを語っている☆
④上記手紙の数日後にバーデンを訪れ、妻と次男のカール・トーマスをウィーンの自宅に連れ帰ったのがモーツァルトの最後のバーデン訪問となった☆
(モーツァルト昇天:1791年12月5日)
by アマデウス (2010-07-10 07:16)
動物好きっていうところ、愛情を注ぐMOZARTらしいですね。わたしも再び犬を飼うようになって、幸せな日々を送っています。MOZARTを聴きながらお散歩も楽しんでいます。緑色の景色によく合いますね。BGMとしても欠かせません。
今ではもう、MOZARTを弾くことしか考えていません。ですから、何度でもやり直しを先生から命じられても苦になりません。どんなフレーズも練習するのが楽しみです。
他の作曲家には換えがたいことです。たぶん、恋に似た感情を抱いてしまっているのかもしれません。
by Esther (2010-07-10 12:44)
手紙の中にワンワンおが登場する頻度が高かったようですね。それだけ家族の一員であったということですね。w (U^ω^)ワンワンお
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-07-10 14:59)
ご多忙中ご訪問頂きありがとうございます。
by mwainfo (2010-07-10 15:01)
Estherさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
モーツァルトと愛犬と猫と歩む日々、素晴らしいことですね☆
やり直しをすればするだけモーツァルトとのコンタクトが深まるわけですから、楽しいですよね☆引き続きモーツァルトお楽しみ下さいね☆
by アマデウス (2010-07-11 07:21)
モッズパンツさん!こんにちは~☆
家族のまさに一員だったのですね☆U^ェ^U
ところでウルグアイvsドイツ3位決定戦楽しめましたね☆\(^ ^)/
コメントありがとうございます!
by アマデウス (2010-07-11 07:27)
mwainfo さん!こんにちは~☆
こちらこそご訪問ありがとうございます!
これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-07-11 07:28)
ワンちゃんは家族の絆を深めるのですね。淋しがりやの
ワンちゃんはストレスで人間と同じような病気にもなるし
いたずらもするらしいですね。うちでは飼えないのですが、
妹の所の犬が大変とか。いつも云っています。いつも良い
曲を有難うございます。楽しみにしています。
by pegasas (2010-07-12 00:23)
アマデウス さん モーツアルトのバーデン滞在情報をありがとうございます。社交場としての温泉場と同時に、当時の療養の主な分野として、温泉湯治が位置づけられていたのでしょうね。
by hide-m (2010-07-12 06:17)
pegasasさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
私もいろんな動物を飼ってきましたが、獣医さんに往診に来てもらったり、手術をしたり、入院させたりで、ある面大変です☆現在は一休みの状況です☆
こちらこそいつもご訪問、コメントを頂きありがとうございます☆これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-07-12 07:12)
hide-mさん!こんにちは~☆
再コメありがとうございます!
ご指摘の通りバーデン・バイ・ウィーンは当時、貴族や富裕層の「社交の場」と「湯治の場」と位置づけられていました☆尚、1789年から1791年まで通算4回モーツァルトは妻コンスタンツェを湯治に行かせています☆ご承知の通り、当時バーデンにはカジノがありました。カジノでは、カードやビリヤードといった賭博設備もありましたが、各種舞踏会や演奏会なども催され、「娯楽の殿堂」でもありました★
by アマデウス (2010-07-12 07:39)