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モーツァルト35歳後半「魔笛」と「レクイエム」(ウィーン⑫1791年後半) [モーツァルト]

9月12日頃にコンスタンツェと共にプラハからウィーンに戻ったモーツァルトには「魔笛」の作曲の完成と上演、更には「レクイエム」の作曲という仕事が待っていた。

モーツァルトは最後となった今回のプラハでのレオポルト2世戴冠式祝典用オペラ・セリア「皇帝ティートの慈悲」K.621演奏指導の旅を含め35歳の生涯で大小あわせ17回、延べ約10年2ヶ月に渡る旅行をしたことになる。1762年5歳でのミュンヘン旅行に始まり実に生涯の約3分の1は旅行をしていたことになる。

9月28日「魔笛"Die Zauberflöte"(K. 620)第二幕第一場冒頭の「祭司たちの行進 "Marsch der Priester"」と、全曲が完成してから序曲を書くというモーツァルトの習慣からこの日に魔笛の序曲が完成し、これをもって魔笛全曲が完成した。その他の大部分の曲はプラハに出発する前に完成させていたので、シカネーダー一座の試演は行われていた。

9月30日、2幕のドイツ語オペラ「魔笛」がウィーン城壁外の郊外市のひとつヴィーデンにあるフライハウス劇場(ヴィーデン劇場)でモーツァルト自身の指揮により初演された。初演時の人気はそれほどではなかった様ではあるが回を重ねるごとにその人気・評判は高まり、モーツァルトの音楽はウィーンの大衆の心を捉えたのである。この上演の成功を通じ、モーツァルトはオペラ作曲家としてのこれからの方向性を見い出したに違いない。プラハ旅行より帰国後10月初めにコンスタンツェを、末子のフランツ・クサヴァーと義妹のゾーフィーと共に温泉保養地バーデンに湯治に出しているが、コンスタンツェに魔笛の評判を手紙で嬉しげに語るのである(後述)

更にモーツァルトは、レオポルト2世のプラハに於ける9月6日の戴冠式の祝典として同日夜初演され、その後継続上演されていた「皇帝ティートの慈悲」に言及し次の通り語るのである。
実に奇妙なことだが、ぼくのオペラ(注:「魔笛」を指す)あんなにも熱い拍手で迎えられた初演の晩、その同じ晩に、プラハでは「ティート」が異常な喝采を受けて最後の幕を降ろした。どの曲もそろって拍手を浴びたのだ。(1791年10月7日付書簡)

10月14日、モーツァルトはバーデンコンスタンツェに手紙で次の様に語っている。この手紙が現存するモーツァルトの最後の手紙なのである。

6時にぼくは、馬車でサリエーリとカヴァリエーリ夫人を迎えに行って、桟敷席に案内した。それから急いでホーファのところに、その間待たせていたママ(注:コンスタンツェの母親)とカール(注:息子のカール・トーマス)を迎えにいった。サリエーリたちがどんなに愛想がよかったか、きみには想像もつかないだろう。二人とも、ただぼくの音楽だけではなく台本も何もかもひっくるめていかに気に入ってくれたことか。かれらは口をそろえて言っていた。「これこそオペラ(オペローネ)だ。最大の祝祭で、最高の王侯君主を前に上演されて恥ずかしくないものだ。(中略)彼は序曲から最後の合唱まで、実に注意深く、観たり、聴いたりしていたが、「ブラヴォー」とか「ベッロ(美しい)」とか、およそ感嘆の言葉を吐かなかった曲はなかった。」
★サリエーリとカヴァリエーリ夫人:宮廷楽長のアントニオ・サリエーリとソプラノ歌手でサリエーリの愛人のカタリーナ・カヴァリエーリ

オペラにつれていったので、カールは大いに喜んだ。彼は元気そうだ。(中略)カールは悪くはなっていないが、以前より髪の毛一本たりとも良くはなっていない。(中略)彼が自分で白状したところによると、午前中5時間、昼食後5時間、庭のなかをほっつきまわっているだけ。要するにまあ子供なんて、食って、飲んで、寝て、ぶらつくことしかしないもんだ。
★モーツァルトはこの手紙の前日13日カール・トーマス(当時7歳)をペルヒトルツドルフにある寄宿の教育施設に迎えに行きウィーンに連れて来ている。この手紙の末尾には明日15日(土)にカールを連れてバーデンに行くのでゆっくり話そうと書かれている。
★実際、モーツァルトは15日にカールを連れてバーデンに赴き、翌々日ウィーンに連れて帰っている。

レクイエム」の作曲はこの頃行われていたわけだが、依頼人の名前は依然として伏せられたままであった。
★この依頼人は後になって音楽愛好家貴族フランツ・フォン・ヴァルゼック=シュトゥバッハ伯爵であったことが判明する。同伯爵は匿名で名高い作曲家に作曲を委嘱し、それを自ら写譜して演奏させ、自分の作曲であると言わせるのを趣味としていた。モーツァルト没後ジュースマイヤーの補筆を含めた完成版(ジュースマイヤー筆の総譜)がコンスタンツェ経由伯爵の手に渡り、伯爵は当初の意図通り、1793年12月14日ノイクロスター教会に於いて捧げられた、若くして逝った愛妻アンナの追悼ミサで、伯爵自身の作曲であるとして伯爵の指揮により演奏されたのである。

バーデンより戻った10月17日頃よりモーツァルトは体調を崩し、主治医であるクロセット博士の検診と治療を受けているが、恐らく瀉血療法が開始されたものと思われる。
★瀉血療法:今日の医学では考えられないが、悪い血を抜き、造血作用を促すためにかなり大量の血液を抜くという治療法で当時はごく普通に行われる治療であった。モーツァルトの病名や死因についてはリューマチ性炎症熱や腎臓疾患など多種多様である。サリエーリやフリーメイソンによる毒殺説もあるが証拠があるわけでもなく、これらは「噂話」に過ぎないが、瀉血療法が、パリで亡くなった母親の時と同様致命的になったと思われる。尚、聖シュテファン大聖堂の死者名簿では検視結果は急性栗粒疹熱となっており、病名自体に疑問がある為、さまざまな推定や憶測或は論争が行われる原因となっている。

小康状態にあった11月18日にモーツァルトフリーメイソン結社の新会堂の献堂式に列席し、3日前の15日に完成したフリーメイソン小カンタータ「われらが喜びを高らかに告げよ"Laut verkünde unsre Freude"」K.623をモーツァルト自身の指揮で初演した(後述)
★ヨーゼフ2世が1785年12月に発布した「フリーメイソン勅令」によりロッジは1787年後半以降は「新・戴冠した希望」だけになっていた。皇帝レオポルト2世はフリーメイソン弾圧政策をとったことによりウィーンのフリーメイソンは次第にその活動を停止して行くのである。

モーツァルトは11月20日病状が悪化し病床についた。
それでも弟子のフランツ・クサヴァー・ジュスマイヤー(1766-1803)に手伝わせながら、レクイエム Requiem 二短調(K.626)の作曲を続け、第3曲セクエンツィアSequenz(続唱)の第6部ラクリモサLacrimosa(涙の日)二短調の第8小節で中断、12月4日の夜医師のクロセット博士がよばれ、高熱を発している頭を冷やしたところショック症状をおこし、昏睡状態となり、夫人のコンスタンツェとその妹のゾフィー、クロセット博士に看取られ1791年12月5日月曜日午前0時55分ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは35年と10ヶ月余りの短い生涯をウィーンで閉じ、永遠の旅に出たのである。

おまえが平々凡々たる音楽家として世間から忘れられてしまうか、それとも有名な楽長として、後世の人たちにまでも書物のなかで読んでもらえるようになるか。。。ひたすらおまえの理性と生き方にかかっているのです。
(ザルツブルクの父レオポルトよりマンハイムのモーツァルト宛1778年2月12日付書簡)

ぼくは断言しますが、旅をしないひとは(少なくとも芸術や学問にたずさわるひとたちでは) まったく哀れな人間です!。。。優れた才能のひとは(ぼく自身それを認めなければ、神を冒瀆するものです)いつも同じ場所にいれば、だめになります。
ザルツブルクの父宛 パリ、1778年9月11日付書簡 ) 

死は(厳密に言えば)ぼくらの人生の真の最終目標ですから、ぼくはこの数年来、この人間の真の最上の友とすっかり慣れ親しんでしまいました。その結果、死の姿はいつのまにかぼくには少しも恐ろしくなくなったばかりか、大いに心を安め、慰めてくれるものとなりました!そして、死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機会を与えてくれたことを(ぼくの言う意味はお分かりですね)神に感謝しています。
(ウィーンのモーツァルトから病床に伏した父レオポルト宛ての1787年4月4日付書簡)


Papageno.jpg       requiem.jpg
パパゲーノの扮装をしたシカネーダー         友人たちと「レクイエム」の完成部分を試奏するモーツァルト
初演時販売された台本に付された銅版画(1791年)     
2幕のドイツ語オペラ「魔笛 "Die Zauberflöte"」K.620
★大人も子供も楽しめるジングシュピール。フリーメイソンの思想が反映されているが、難しく考える必要もない。おとぎ話オペラと捉え、モーツァルトの音楽、素晴らしいアリアや重唱を楽しむべきであろう。
★1790年9月11日にシカネーダー一座が初演したジングシュピール「賢者の石」との類似性が興味深い。モーツァルトはこのジングシュピールのため1790年8月から9月にかけて喜劇的二重唱「さあ、愛しい僕の奥さん、僕と行こう”Nun liebes Weibchen, ziehst mit mir”」K.625/592aを作曲している。弊記事「猫とモーツァルト」ご参照。
★又、モーツァルトの1773年7月から9月にかけての3度目のウィーン旅行で、ゲブラー男爵の依頼により同男爵の作品である戯曲(英雄劇)「エジプトの王、ターモス ”Thamos König in Ägypten"」のための2つの合唱と5つの幕間音楽(K.345/336a)を作曲しているが、エジプトの神殿を舞台にしたこの戯曲も、「魔笛」の題材との共通性を持つものである。尚、当時枢密院顧問官であり同時にボヘミア宮廷宮内庁副長官の地位にあったトピアス・フィリップ・ゲブラー男爵もフリーメイソン結社員であった。

作詞者:ヨハン・エマヌエル・シカネーダー(Johann Emanuel Schickaneder 1751-1803)

舞台設定:台本にはいつの時代か、どこの国での物語か設定されていないが、第一幕第一場冒頭のト書きに「豪華な日本の狩の衣装を着たタミーノ(注:王子の名前)。。。蛇に追いかけられている。」とあり、このト書きだけを読むと日本の神話「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治」を思い起こさせる。又、エジプトの神殿やピラミッドを思わせるト書きがある。

あらすじ
第1幕
闇の国の夜の女王(S)は、娘パミーナ(S)を、対立する太陽の国の高僧ザラストロ(B)に奪われている。大蛇に追われた王子パミーノ(T)を夜の女王の3人の侍女たちが助けたのを契機に、王子に娘の救出を依頼する。侍女たちにパミーナの肖像を見せられ一目惚れした王子タミーノは、魔法の笛とグロッケンを渡され、鳥刺しパパゲーノ(Br)とザラストロの神殿(エジプト神話のオシリスとイシスを祀る)へと向かう。パパゲーノはパミーナを発見し、タミーノに引き合わせ様とするが、見張りのモノスタトスと奴隷が彼らの前に立ちはだかる。パパゲーノは魔法のグロッケンシュピールで難を避け、パミーナとそこに現れたザラストロの前にパミーノが連れられてくる。パミーナとパミーノはお互い夢にみた恋人であることに気づくが、ザラストロは二人に試練を命じ、二人を引き離し、タミーノはパパゲーノを連れて試練の途につく。
第2幕
ザラストロと神官たちはタミーノが試練に耐えて神に仕える資格を取得するために支援することを決議する。タミーノは僧侶たちから真の愛を手中に収めるには、3つの試練を乗り越えねばならないと告げられる。最初の試練は沈黙である。パミーナのもとに母である夜の女王が現れアリア「地獄の復讐にこの胸は燃える」を歌い、パミーナにザラストロを殺す様に命じる。ザラストロはパミーナに復讐よりも愛を説く。王子タミーノが吹く笛の音を目当てにパミーナは王子と再会するが沈黙の試練中のタミーノは一言もしゃべらない。失恋したと思いパミーナは悲しみ自殺せんとするが、3人の童子が現れパミーノはパミーナだけを愛していると死を思いとどまらせる。王子タミーノは第一の試練を突破し、残る2つの試練をパミーナと共に受けることになる。即ち、水と火の試練に2人は立ち向かい、苦しい試練を突破する。夜の女王たちと彼女の側についたモノスタトスは雷鳴と稲妻と嵐に追い払われ、燦然と輝く太陽の世界が出現する。3人の童子たちの励ましを受けてパパゲーノはパパゲーナと、タミーノはパミーナとザラストロに祝福されて結ばれ、神への讃歌が高らかに響く。

初演時の配役表(初演時のプログラムに記載):
ザラストロ:ゲルル氏/タミーノ:シャック氏/弁者:ヴィンター氏/祭司 第一:シカネーダー兄氏/第二:キストラー氏/第三:モル氏/夜の女王:ホーファ夫人/パミーナ:ゴットリープ嬢/侍女 第一:クレップフラー嬢/第二:ホーフマン嬢/第三:シャック夫人/パパゲーノ:シカネーダー弟氏/老婆(パパゲーナ):ゲルル夫人/モノスタートス:ヌーズール氏/その他司祭たち、奴隷たち、従者たち
夜の女王役のホーファ夫人とはモーツァルトの義姉(妻コンスタンツェの長姉)のヨゼーファ(1757年-1819年)のことでフランツ・デ・パウラ・ホーファ−(1755-96、宮廷楽団ヴァイオリン奏者)夫人。

モーツァルトはこのオペラの上演の様子をバーデンで湯治療法中の妻コンスタンツェに次の通り語るのである。(緑色の文字クリックで各場に移動)
金曜日10時半 夜
最愛、最上のかわいい奥さん!
たったいま、オペラから戻ったところ。いつものように超満員だった。第一幕の「男と女は」の二重唱グロッケンシュピールのところは、例の通りアンコールを求められた。それから第二幕の童子たちの三重唱も同様だった。でも、いちばんぼくがうれしいのは、静かな賛同だ!このオペラの評価が日ごとに高まっていくのがよく分かる。(1791年10月7日と8日付書簡)
*「男と女は」の二重唱:パミーナとパパゲーノの二重唱 「愛を感じる男なら"Bei Männern, welche Liebe Fühlen"」やさしい心をお持ちです。男も女も愛によって生きましょう。。。
グロッケンシュピールのところ:パパゲーノがグロッケンシュピールを鳴らすとモノスタトスとその一団が浮かれて踊り出す。「何て素敵な音色だろう。 "Das Klinget so Herrlich"」
童子たちの三重唱(第二幕):「ようこそ、またお目にかかりましたね"Seid uns zum zweitenmal willkommen"」「ザラストロの国へようこそ、預かっていた笛と鈴をお返しします。ゴールはまじか、沈黙を守って頑張れば、今度3度目にお会いした時はご褒美が貰えますよ。。。


                                  第1幕第7場第5番パパゲーノ、タミーノ、3人の侍女の
                                  五重唱「フム!フム!フム!フム!·······
序曲                                ”Hm! hm! hm! hm!·······"
     
The Metropolitan Opera Orchestra
ジェイムズ・レバイン James Levine

★第1幕第7場第5番パパゲーノ、タミーノ、3人の侍女の五重唱「フム!フム!フム!フム!·······”Hm! hm! hm! hm!·······"」
マンフレッド・ヘム Manfred Hemm(パパゲーノ), フランシスコ・アライサ Francisco Araiza(タミーノ), ジュリアーナ・ゴンデク Juliana Gondek(第1の侍女), ミミ・ラーナーMimi Lerner (第2の侍女) ジュディス・クリスティンJudith Christin (第3の侍女)
★「大蛇を倒したのは自分である」と王子タミーノに嘘をつき、他人の手柄を自分の手柄として自慢したがために鳥刺しパパゲーノは夜の女王に罰として口に鍵をされてしまう。そしてフム!フム!フム!。。。となる。3人の侍女(Dame)が現れ、女王の命令であるとして罰を解き、パパゲーノに二度と繰り返さないことを誓わせる。女王からの贈り物として、タミーノには「魔法の笛”Die Zauberflöte"」が、パパゲーノには銀のグロッケンシュピール”Glockenspiel"が渡され、魔笛とグロッケンがこれからの身の安全を図ってくれること、ザラストロの城には3人の童子が道案内をすると伝える。


第2幕第8場第14番                        第2幕第29場 
夜の女王(Königin der Nacht) のアリア             パパゲーナ!パパゲーノ!Pa-Pagena! Pa-Pageno!
地獄の復讐」Der Hölle Rache                 マンフレッド・ヘム Manfred Hemm(Papageno)
ルチアーナ・セッラ Luciana Serra                 バルバラ・キルドゥフ Barbara Kilduff(Papagena)
     

★第2幕第8場第14番 夜の女王(Königin der Nacht) のアリア「地獄の復讐」Der Hölle Rache
夜の女王に娘のパミーナはザラストロは高潔な方であると説明するが、夜の女王は「おだまり!(Kein wort!)」と叱りつけ、アリアを歌う。
地獄の復讐にこの胸は燃える。死と絶望の炎が我が身を焼き尽くす。お前がザラストロに死の苦しみを与えなければもう親でも子でもない。お前とは永遠に縁は切れ、お前は見捨てられるのだ。。。復讐の神々よ、聞かれ給え、この母の誓いを!」

★第2幕第29場 パパゲーナ!パパゲーノ!Pa-Pagena! Pa-Pageno!
パパゲーナがどこかに消えてしまい、意気消沈しているパパゲーノに3人の童子が「グロッケンシュピールを鳴らせばパパゲーナが現れるとアドバイスする。グロッケンを鳴らすと。。。
パ、パ、パ、パ、パパゲーナ!パ、パ、パ、パ、パパゲーノ!。。。うれしい神のおぼしめし、二人の愛のご褒美に可愛い子供をさずかれば嬉し。はじめは小さいパパゲーノ。それから小さいパパゲーナ。もひとり小さいパパゲーノ。またまた小さいパパゲーナ。パパゲーナ、パパゲーノ、パパゲーナ、パパゲーノ!ふたりはたちまち子だくさん!。。。


魔笛」はウィーンで大ヒットし、翌年1792年11月3日に上演回数100回を迎え、更に記録を更新しながら、ドイツ各地で上演されて行くのである。
かくしてモーツァルトは一般大衆のドイツ語による歌芝居であった「ジングシュビール」を「後宮からの誘拐K.384と「魔笛K.620を通じて芸術の域に高め、ウェーバーで確立されるドイツ国民オペラの礎を築くという偉業を残すのである。
★カール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ヴェーバー Carl Maria Friedrich Ernst von Weber, ドイツ生まれ1786年11月18日-1826年6月5日、ロマン派初期の作曲家、指揮者、ピアニスト。モーツァルトの妻コンスタンツェは父方の従姉にあたる。代表作:「魔弾の射手 Der Freischütz」 1821年初演。

         ★☆★☆★     ☆★☆★☆     ★☆★☆★

魔笛以外に、この年後半には次の名曲が生まれている。

ホルン協奏曲(第1番)ニ長調 K.412/514(386b)
1月から10月の間。1777年までザルツブルク宮廷楽団のホルン奏者を務め、その後ウィーンに移住し、妻の実家のチーズ商をやりながらホルン演奏活動もしていた、モーツァルトの24歳年上の友人イグナーツ・ロイドゲープの為に作曲した4曲のホルン協奏曲の最後の曲。

クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
10月初め完成。ウィーン宮廷楽団のクラリネットの名手で友人且つフリーメイソンの同志(結社員)でもあるアントン・シュタドラー(Anton Stadler 1753-1812)のために作曲。モーツァルトの唯一のクラリネットのための協奏曲であり、昇天する2ヶ月前に書いた最後の協奏曲でもある。モーツァルトの澄み切った心情が見事に反映されている。楽譜は完成後直ちに当時プラハに滞在中のシュタドラーに送付され、10月16日同地で行われたシュタドラーの慈善演奏会(ノスティツ劇場)で初演された。
★ノスティツ劇場は現在エステート劇場或はスタヴォフスケ劇場と呼称されている。

フリーメイソン小カンタータわれらが喜びを高らかに告げよ"Laut verkünde unsre Freude"」K.623
11月15日作曲。モーツァルトの完成した最後の作品(自作品目録に記載された最後の作品)。歌詞はシカネーダーが書き、アダムベルガーがテノールを歌ったとされている。フリーメイソンの絆にあるものの喜びやメイソンを讃え、メイソンへの忠誠を歌いあげるカンタータで、新たな息吹を感じさせる傑作である。尚、モーツァルトの最初のカンタータは11歳の時(1767年)にザルツブルクで作曲した「聖墓の音楽 Grabmusik」K.42(35a)であり、それに伴うエピソードが思い出される。
     
「レクイエム」ニ短調 K.626(未完成)
イントロィトゥス(入祭唱)ニ短調 アダージョ以外については弊記事「レクイエム」ご参照。未完成で終わったが、モーツァルト亡き後、弟子のジュスマイヤーがモーツァルトより受けた指示に基づき完成させた。


ホルン協奏曲(第1番)ニ長調 K.412/514              クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
第一楽章アレグロ、第二楽章ロンド アレグロ               第二楽章 アダージョ ニ長調
     
ラデク・バボラク Redek Baborák(ホルン)
ベルリン・フィル Berliner Philharmoniker
ダニエル・バレンボイム(指揮)

★クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
デイヴィッド・シフリン David Shifrin(Bassett Clarinet in A)モーストリー・モーツアルト祝祭管弦楽団 Mostly Mozart Festival Orchestra, 指揮:ジェラード・シュワルツ Gerard Schwarz


フリーメイソン小カンタータ「 われらが喜びを高らかに告げよ      レクイエム 二短調 K.626
"Laut verkünde unsre Freude" K.623              l. イントロィトゥス(入祭唱)ニ短調 アダージョ
     

「レクイエム」ニ短調 K.626(未完成)イントロィトゥス(入祭唱)ニ短調 アダージョ
グンドゥラ・ヤノヴィッツ Gundula Janowitz (ソプラノ)
ウィーン国立歌劇場合唱団 Chor der Wiener Staatsoperウィーン交響楽団 Wiener Symphoniker 
指揮:カール・ベーム Karl Böhm
Requiem æternam dona eis, Domine, 主よ、永遠の安息を彼らに与え、
et lux perpetua luceat eis. 絶えざる光でお照らしください。
Te decet hymnus, Deus, in Sion, 神よ、シオンではあなたに賛歌が捧げられ、
et tibi reddetur votum in Jerusalem. エルサレムでは誓いが果たされます。
Exaudi orationem meam, 私の祈りをお聞き届けください
ad te omnis caro veniet. すべての肉体はあなたの元に返ることでしょう。



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kontenten

映画『アマデウス』の後半を思い出します。
 先日、師匠(会社の部長)と歌劇、楽劇の話しになりまして・・・
私が、ニュルンベルグのマイスタージンガーのDVDが欲しいと云ったところ
「ワグナーは、観るのは一回で十分・・・それに引き替え、モーツァルト
それも『魔笛』は何回観ても楽しい」と言っておりました。
私は『ドンジョヴァンニ』が好きで、DVDも3種類持っていますが(w)
そこが、モーツァルトのすごいところですね(^^)
 そうそう、レクイエムと云えば・・・修行中の私は、夜・・・レクイエムを
聴きながら死んだように眠っておりました(爆)
ちなみに、その時聴いたレクイエムもベームの指揮でした^^;Aアセアセ
by kontenten (2010-11-11 09:37) 

whitered

おはようございます。いよいよ『魔笛』が上演されましたね。ユーモアあり、物語性ありのこのオペラは、だれにとっても親しみが持てますね。夜の女王の発声というか歌い方はなんというのでしょうか。ピチカートの連続のようで難しいだろうなと思います。コンスタンツェのお姉さんが歌っていたのですね。パパゲーノの扮装をしたシカネーダーの版画もとっても面白いですね。
by whitered (2010-11-11 10:20) 

月光14th

死が最終目標ですか・・・。
それを聞いた親は複雑ですね。
by 月光14th (2010-11-11 10:23) 

mikoto

こんにちはアマデウスさん
モーツアルト、ついに36年足らずの短い生涯を閉じるのですね。
この後の家族の事は記事に続くのでしょうか、ちよっと気になります。

アリア「地獄の復讐」有名ですね、鳥の声の様な見事な発声が感動的です^^
フリーメイソン小カンタータ「 われらが喜びを高らかに告げよ」
が最後の完成曲なのですね、誇らしげで晴れやかですね~
作曲途中で亡くなったレクイエムこれはあまり聞いた覚えがありません。
葬送曲を書きながら亡くなるなんて運命なのでしょうか。
仕事を極める方にはその中で死にたいと言う人が多いようですが
多少の無念はあれ、好きな作曲の中で亡くなったモーツアルトも
ある意味幸せだったのでしょうか・・
by mikoto (2010-11-11 10:34) 

塩

ヴオルフガングの死のところまでお書きになられて、ご苦労さまでした。
と言いつつもきっとこの後も補遺的といえば失礼ですが、お書きになられることも沢山おありのことと思います。楽しみにしております。
ザルツプルくで最初「魔笛」を聞いた夜はホテルで全く眠れなかったことを思い出しています。モーツァルトはすごいですね。
by (2010-11-11 15:17) 

アマデウス

kontentenさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
会社の上司と音楽について話せるという環境は素晴らしいことですね☆
ご指摘の通り、いつ聴いても楽しめるモーツァルトのオペラとなると「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」「コシ・ファン・トゥッテ」いずれかということになるのでしょうね☆公私共にご活躍中のkontentenさん、ストレス解消のためにもこれからもモーツァルトを含めた音楽で大いに癒されて下さいね☆これまで種々おつきあい頂きありがとうございます☆これからも宜しくお願い致します☆


by アマデウス (2010-11-12 06:38) 

アマデウス

whiteredさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
夜の女王のアリアは超絶技巧を要するコロラトゥーラで歌われていますね☆コンスタンツェの長姉はプロのソプラノとして常に歌っていたわけではなく、依頼があると歌うというスタンスであった様ですが、夜の女王の至難なアリアを歌えたということは卓越したコロラトゥーラ・ソプラノであったということになりますよね☆ これまで種々おつきあい頂きありがとうございます☆これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-11-12 06:56) 

アマデウス

月光14thさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
ご指摘の通り、モーツァルトの死生観をいきなり語られた親は複雑な気持ちになりますよね☆このモーツァルトの死生観はフリーメイソンの思想から来ており、モーツァルトの父親もフリーメイソンの会員(結社員)になっているので括弧書きで「ぼくの言う意味はお分かりですね」と記述しているわけです☆ これまでおつきあい頂き感謝致します☆これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-11-12 07:06) 

アマデウス

mikotoさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
モーツァルトの永遠の旅以降のことは次回(といっても数週間以内ということになると思いますが)に取り纏めたいと考えていますので、その節はまた宜しくお願いします☆
モーツァルトは人生を疾走して行った感がありますよね☆1791年に作曲された作品から、新たな音楽活動の方向性を見いだし、明るく、幸せな将来に向かって歩みだしたところで息絶えたという無念さもありますが、モーツァルトは幸せであったと結論出来ると思います☆
これまでおつきあい頂きありがとうございます☆これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-11-12 07:24) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
おかげさまでモーツァルトの永遠の旅まで到達致しました☆これまで種々おつきあい、激励を頂き改めて感謝致します☆
ザルツブルクでの「魔笛」は感激もひとしおであったと思います☆Dr.塩はさすが素晴らしいモーツァルティアンですね☆記事のupがさらにゆっくりになると思いますが、これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-11-12 07:38) 

pegasas

もうそろそろ映画「アマデウス」の最後に近づいてきましたね。
魔笛は好評で良かったですね。レクイエムの注文者は映画でも
不明でしたが、サリエリーを匂わしていましたね。
モーツアルトの未完のレクイエムの入祭唱は余り聴かないようですが
とても好きな曲です。私は映画の時のレクイエムは良く聴きますね。
モーツアルトの曲は何回聴いても飽きないですね。
by pegasas (2010-11-12 22:23) 

トラの父

初めてモーツアルトを聴いた10代の頃を思い出しながら,今回の「モーツアルト」のシリーズを(途中からでしたが)毎回心待ちにしながら拝見させていただきました.

大学浪人の頃,受験勉強や先の見えない浪人生活に倦むと,故郷の山を見ながら「クラリネット協奏曲 イ長調 K.622」のディスクに耳を傾けたものです.すると頭の中の様々な思いが瞬時に消え去り,山の頂のその上の青空の中に引き上げられるような気持ちになりました.
彼の音楽が私を過去から切り離し,現在や将来に向けて背中を後押ししてくれたのだと思います.


各回の詳細な記事と,また当方へのご懇切なコメントの数々に感謝申し上げます.

ありがとうございました.

by トラの父 (2010-11-13 11:39) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
「魔笛」が大好評を博したことより、モーツァルトが存命であればシカネーダーと組んで、「魔笛、続編」を作曲したのではとも思われますよね☆ これまで種々おつきあい頂き有り難うございます☆これからも宜しくお願い致します☆
by アマデウス (2010-11-16 06:22) 

アマデウス

トラの父さん!こんにちは☆
青春時代の「クラリネット協奏曲」を通じてのモーツァルトとの素晴らしい出会いと経緯、感動致しました☆こちらこそこれまで種々おつきあいならびにご丁重なコメントの数々を頂戴し、ありがたく改めて厚く御礼申し上げます☆
by アマデウス (2010-11-16 06:34) 

モッズパンツ

モーツァルトは人生の約三分の一も旅に出ていたのですね。遠くはロンドンへも行っておりますし、大変な旅費がかかっているはずで、当時としては本当にすごいことですよねー。w (^ω^)b
それ以上に、音楽家として素晴らしい作品を多数残し、本当に偉大な人物だと思います。モーツァルトの音楽は永遠ですね。w (´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-11-21 21:48) 

みど

あぁ。。reginaにはserraよりもDiana Damrauがお勧めです♪
by みど (2010-11-24 08:30) 

Cecilia

あけましておめでとうございます!
お久しぶりです。
「魔笛」の童子の3重唱を多重録音したいと目論んでいます。
パパゲーノの格好のシカネーダー、おもしろいですよね。
by Cecilia (2011-01-02 14:09) 

デザイン屋

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
by デザイン屋 (2011-01-05 12:12) 

バロックが好き

今さらですが・・・
あけましておめでとうございます♫
本年もよろしくお願いします<m(__)m>
ブログは、まだもう少しお休み中ですが・・・。


by バロックが好き (2011-01-09 21:14) 

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