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ザルツブルクのモーツァルト17-18歳(1773-74年) [モーツァルト]

1773年9月24日モーツァルト父子は第3回目の旅となったウィーンを発ち、故郷ザルツブルク
戻ったのである。

モーツァルト父子がウィーンを発つ約2週間程前の、1773年9月10日、オーストリアにおける
イエズス会解散が実行されている。これに先立つ同年7月21日ローマ教皇クレメンス14世
小勅令を発し、イエズス会教団の廃止を命じている。この状況についてレオポルトウィーンから、
妻のアンナ・マリアに1773年9月4日付の手紙で次の通り語っている。

≪もう貧しいイエズス会士たちは破滅です!私は彼らを貧しいって言ったが、つまり高い地位に
ついていたものたち、とりわけラビたち、それに宗団全体は金持ちだと言えたからです。それに
属する個人個人は無一文だったのです。
今月16日にアム・ホーフのイエズス会修道院は空になっていなければなりません。
ここの教会の建物、葡萄酒のつまった貯蔵室、要するに彼らの財産はもう差し押さえられ、教団は
解散させられたのです。彼らは教区付司祭として僧服をつけることは許されるし、それに噂では
それぞれ毎年300フロリーンもらえるとのこと。これはけっしてそう悪いものではありません!。。。≫

★1534年8月15日、イグナチオ・デ・ロヨラとパリ大学の学友だったスペイン出身のフランシスコ・ザビエル他6名の同志が
モンマルトルの丘(仏)の教会に集まり神への生涯忠誠を誓いイエズス会を創立した。フランシスコ・ザビエルは1549年に来日、 
二年滞在して困難な宣教活動に従事した。天正遣欧少年使節(1582~1590)を計画したのはイエズス会(耶穌会)の東洋管区の 
巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノであった。ローマ教皇に対する忠実という精神から発展したイエズス会であったが
そのあまりに過激な国境を無視した活動により特にスペイン、ポルトガルなどが内政干渉であると反発しローマ教皇に
イエズス会をとるか諸国との関係をとるかとの圧力をかけ、教皇をして解散を命じざるを得なくしたのである。
★その後1814年に教皇ピウス7世の小書簡『カトリケ・フィデイ』によってイエズス会の復興が許可され今日に至っている。

1773年晩秋には一家はゲトライデ街にあるハーゲナウアー家借家からハンニバル広場
(現在のマカルト広場)8番地のさらに部屋数の多い大きな借家タンツマイスターハウス」に引越している。

★「タンツマイスターハウス”Tanzmeisterhaus”」とは「舞踏教師の家」という意味でここにそうした人物が住んでいたことによる。 
一家は2階の8部屋を借り入れた。現存するこの建物は「モーツァルトの住居 Mozart Wohnhaus」と呼ばれモーツァルト博物館となっている。
他方、ハーゲナウアー家の借家は「モーツァルトの生家”Mozart Geburtshaus”」と呼ばれ「モーツァルトの記念館」となっている。 

1774年の夏、バイエルン選帝侯マクシミリアン3世からヴォルフガングに1775年の
謝肉祭用オペラの作曲依頼があり、これを受けて1774年12月6日、ミュンヘンに向けて旅立つ
のであるが、それまでの間ザルツブルクにおいて特に器楽曲でいくつかの名曲が生れている。

1770年頃に、ドイツの文学を軸とする芸術分野で≪シュトルム・ウント・ドランク(独:Sturm und Drang)
=疾風怒涛直訳は「嵐と衝動」≫の潮流が起こり、理性に対する感情優越を主張し、激しい
感情表現を目指そうとした。ゲーテシラーが中心となり、反理性的で極端に主観的判断
重点をおくことがその特徴である。音楽界にも強い影響を与え、中期のハイドンなどがその影響を
受けている。モーツァルトもこの疾風怒涛の影響を受けた作風を3回目のウィーン旅行中に吸収し、
交響曲第25番ト短調などに反映して行くのである。

★ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ((Johann Wolfgang von Goethe、1749年8月28日 - 1832年3月22日)は
1774年に『若きウェルテルの悩み”Die Leiden des jungen Werthers”』を刊行した。

ウィーン旅行より帰郷した1773年晩秋から年末にかけ、モーツァルトとして初の弦楽五重奏曲
変ロ長調(K174)を作曲し、更にクラヴィーア協奏曲二長調(K.175)と「16曲のメヌエット
(K.176)を作曲した。

交響曲では、第25番ト短調(K.183/173dB)と第29番イ長調(K.201/186a)という二大傑作
含む、計5曲の作品が生まれている。第25番はウィーンから帰郷後1ヶ月程後で第24番変ロ長調
(K.182/173dA)と殆ど同時期に作曲している。1774年1月27日モーツァルト18歳となったが、
この年の春頃、第29番イ長調を作曲しその後第30番ニ長調(K,202/186b)と第28番ハ長調
(K.200/189k)を作曲したのである。

この他、1774年春には二曲の協奏作品「二つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ ハ長調
(K.190/186e)と「ファゴット協奏曲変ロ長調」(K.191/K186e)が作曲されている。
また、「セレナード ニ長調」(K.203/189b)、「四手のためのクラヴィーア・ソナタ」ニ長調
(K.381/123a)と変ロ長調(K.358/186)や「ヨハン・クリスティアン・フィッシャーのメヌエットによる
クラヴィーアのための12の変奏曲 ハ長調」(K.179/189a)もこの時期に作曲された。

★「四手のためのクラヴィーア・ソナタ(ニ長調と変ロ長調)」はモーツァルトと5歳年上の姉ナンネルとの連弾のための
作品であろうと考えられている。

こうした器楽曲の多彩な創作活動に加え、大司教宮廷に仕える教会音楽家として、
教会音楽作品の作曲活動もこの頃活発に行われたのである。

★教会音楽作品:「聖母マリアのためのリタニア ニ長調」(K.195/186d)、「ミサ・プレヴィス へ長調」(K.192/186f)、
「ミサ・プレヴィス ニ長調」(K.194/186h)


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ザルツブルク(中央手前は大学教会、その右側向こうに大聖堂、右背後はホーエンザルツブルク城)


    
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          大聖堂                       中央祭壇

★大聖堂:現在の建物は、17世紀初めに「北のローマ」を目指して建設されたローマ風のバロック様式の壮大な
大聖堂。 ミラベル宮殿をつくらせた大司教ディートリヒが建築を命じ、14年後の1628年に完成した。正面を
ドーム広場に、北側側面をレジデンツ広場に向け、建築当時の大司教の権力を物語るように堂々とした大きさを
誇っている。 第二次世界大戦でアメリカの空襲を受け被害を受けたが、1959年に修復されている。
★中央祭壇:祭壇のテーマは、「キリストの昇天」で、1628年にアルセオ・マスカーニによって製作された。ドーム内の
フレスコ画やスタッコはすべてマスカーニの作。
★教会内には5つのパイプオルガンがあり、モーツァルトはいつも祭壇の右側の柱の上にあるパイプオルガンで
演奏をしていたという。


交響曲(第25番)ト短調K.183(173dB)         交響曲(第29番)イ長調(K.201/186a)
第一楽章アレグロ・コン・ブリオ                         第一楽章アレグロ・モデラート
Symphony No.25 K.183 1st.mov. Allegro con brio    Symphony No.29 K.201 1st.mov. Allegro moderato
                ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Wiener Philharmoniker
                        指揮:カール・ベーム Karl Bohm
     
モーツァルトの交響曲のうち、わずか2曲の短調作品の一つ。
あとの一つは32歳の時に作曲したト短調K.550(第40番)


弦楽五重奏曲変ロ長調 K.174
第一楽章アレグロ・モデラート
楽器構成:ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ              クラヴィーア協奏曲(第5番)ニ長調 K.175
Arthur Grumiaux, violin/Arpad Gérecz, violin        第一楽章 アレグロ
Georges Janzar, viola/Max Lesueur, viola          ピアノ:マルコム・フレージャー
Eva Czako, cello                          指揮:マルク・アンドレーエ
         
モーツァルト初の弦楽五重奏曲(1773年12月作曲)       モーツァルト初のクラヴィーア協奏曲(1773年12月作曲)

★クラヴィーア協奏曲二長調(K.175):第5番とされているが、これに先立つクラヴィーア協奏曲はすべて他の作曲家
(ラウバッハ、CPEバッハ、JCバッハなど)の作品を編曲したものなので(モーツァルト自身の作曲によるカデンツァが
含まれていたりはするが)、この作品第5番ニ長調が事実上、モーツァルト独自の最初のクラヴィーア協奏曲である。
モーツァルト自身、あるいは姉のナンネルの演奏用として作曲したものと思われる。モーツァルトはその後の
ミュンヘン旅行(1774年)、マンハイム・パリ旅行(1777~1779)にはこの協奏曲を携えて行きウィーン定住後にも
この協奏曲を演奏会(1782年3月3日と1783年3月23日)のプログラムに組み入れているのである。

第3回目のウィーン旅行中に作曲した楽曲も含め1773年と1774年においてモーツァルトイタリア旅行
ウィーン旅行で吸収した作曲様式をふんだんに取り入れ特に器楽曲で新たなジャンルを切り開いたのである。

バイエルン選帝侯宮廷から1775年の謝肉祭用のオペラ「偽の女庭師」(K.196)の台本は9月には
モーツァルトのもとに届き、この頃からこのオペラの作曲に取りかかっていたものと思われる。

★台本作者:ジュゼッペ・ペトロセッリーニ師。後になってジョヴァンニ・パイジェッロの《セビリアの理髪師》の
台本を書くことになる。

かくして、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(18歳)と父親レオポルト・モーツァルトは1774年
12月6日ミュンヘンに向けザルツブルクを馬車で旅立つのである。



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バロックが好き

おはようございます♪
クラヴィーア協奏曲明るくて、
のびやかでとても気持ちのいい明るい曲ですね♪
弾いていて楽しくなれそうな素敵な曲ですね♡
弦楽が途中で切れてしまいましたが・・・。
弦楽も良いし、イ長調も良かったです。
そして25番ト短調は、あのCMで認知度が高まりましたよね♪^^♪
by バロックが好き (2010-06-03 08:29) 

whitered

おはようございます。この頃のモーツァルトは、ゲーテやシラーの文学の影響を受けているのですね。『若きウェルテルの悩み』は、読みましたよ。たしか恋愛至上主義的な内容だったと思うのですが。この頃は、オペラを離れて、交響曲や協奏曲といった楽曲作りに励んでいるのですね。
by whitered (2010-06-03 09:23) 

塩

いつもありがとうございます。毎回の大作楽しく拝見させていただいています。久しぶりに25番、29番交響曲でベームの姿を拝見させていただき昔を思い出しました。モーツァルトの生家や住家を訪れた方も沢山いらしゃることでしょう.
お書きになられている住家は改装されて随分と立派になりました。
(改築時にほんの少しだけ寄付させていただいて感謝のメッセージをいたきましたが、これは私の宝ものです。日本の某銀行は莫大な寄付をされました。・・・何か自慢しているようで済みません)
by (2010-06-03 09:32) 

Esther

ソナタK333の第一楽章、お聴きくださいましてありがとうございました。
やっぱりMOZARTが好き。そんなわけで、このあと、19歳の頃の作曲のK.280にとりかかっています。ハイドンの影響を受けたといわれるバロック風味の残っているソナタです。200番台を中心に(初期のソナタ)少し練習したいと思っています。
by Esther (2010-06-03 15:42) 

kjisland

うわあ、ベームさんじゃあないですか?!感激。
あ、私、40番好きだなあ。思い出させてくれて
ありがとうございました。
by kjisland (2010-06-03 18:28) 

アマデウス

バロックが好き さん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
全曲お聴き頂いたのですね☆モーツァルトの個性が非常に良く反映されている弦楽五重奏曲、途中で切れてしまったのですか☆恐らくYouTubeか回線に問題が生じたのでしょうね☆またお時間のある時にでもお聴き下さいね☆
クラヴィーア協奏曲二長調K.175にはモーツァルト自身も「誇りと愛着」をもっていたのですね☆展開部の最後の方にチラっと≪魔笛≫の「夜の女王のアリア」の一節が顔を覗かせるのも面白いですね☆
by アマデウス (2010-06-04 06:08) 

アマデウス

whiteredさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
この時期は、オペラ作曲の依頼はなく(3回目のウィーン旅行で宮廷からオペラの作曲依頼があるかと期待していたと思われますが)、器楽曲や教会音楽に専念していた時期でした☆そして1774年夏頃ミュンヘンからオペラ「偽の女庭師」の作曲依頼があったわけです★ところでモーツァルトがこの時期にしか作曲していないジャンルがあります☆それは。。。
ヴァイオリン協奏曲です★ザルツブルクで1773年4月にヴァイオリン協奏曲第1番を作曲し、1775年の6月から12月にかけて第2~5番を作曲しています★詳しくは次回に。。。

by アマデウス (2010-06-04 06:36) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
こちらこそいつもありがとうございます☆
Mozart Wohnhaus改装に際し、素晴らしい「宝物」をお持ちなのですね☆
さすが、モーツアルティアンですね☆
by アマデウス (2010-06-04 06:46) 

アマデウス

Esther さん!こんにちは~☆
こちらこそ聴かせて頂きありがとうございます!
ピアノ・ソナタ ヘ長調 K.280は、とりわけ第二楽章へ短調が素晴らしいですね☆ミュンヘンで作曲したソナタ6曲中唯一の短調でバロック風の美しさの中に哀愁を湛えていますね☆引き続きモーツァルトお楽しみ下さい☆
by アマデウス (2010-06-04 06:56) 

アマデウス

kjislandさん!こんにちは~☆
こちらこそコメントありがとうございます!
モーツァルトが交響曲(第40番)ト短調K.550を作曲した時の
記事には「ベームさん」に再登場頂きましょうね☆(´∀`)
by アマデウス (2010-06-04 07:09) 

pegasas

モーツアルトの曲に短調は二つだけなのですね。
それでモーツアルトの曲はいつも明るいのですね。
25番は悲劇的で哀し気ですが、とても好きな曲です。
短調は哀愁があっていいですね。いつも良い曲を聴かせて
頂き有難うございます。楽しみにしています。
by pegasas (2010-06-05 21:55) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは~☆
こちらこそいつもコメントありがとうございます!
1.モーツァルトの短調作品は数少ないですね★主たるところでは。。。
①40曲以上の交響曲で2つ★②40曲程の協奏曲で2つ★
③23曲の弦楽四重奏曲で2つ★④18曲のクラヴィーア・ソナタで2つ★
2.調性別作曲数ベスト3は次の通りです;
長調:①ハ長調:111曲★②二長調:98曲★③へ長調:87曲
短調:①ハ短調:13曲、②二短調:12曲、③ト短調:10曲
by アマデウス (2010-06-06 06:29) 

モッズパンツ

オーストリアで活動しているイエズス会は、廃止されちゃったのですね。イエズス会はフランシスコ・ザビエルでもおなじみですが、よく日本史にも登場しますよね。w (´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-06-06 15:45) 

アマデウス

モッズパンツさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
イエズス会は、オーストリアに先駆けローマでも解散を余儀なくされていますが、1814年復興が許され今日では世界最大の教育機関運営組織(在学生は全世界で約300万人)でもありますね☆日本では上智大学を設立していますよね☆
by アマデウス (2010-06-07 08:11) 

ray ban outlet

I’d have to say the Eilen Jewell concert here in Fort Wayne, IN – really a special night of music from an extraordinary band.? jsrip(at)juno(dot)com
by ray ban outlet (2013-05-10 22:35) 

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