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モーツァルト27歳・演奏会の成功とザルツブルク里帰り(ウィーン③1783年) [モーツァルト]

前年1782年8月4日にウィーンで結婚式を挙げたモーツァルトは妻のコンスタンツェを帯同して
極力早い機会に最愛の父レオポルトと姉ナンネルの住むザルツブルク一時帰郷を実現したいと
考えていた。当初1782年11月に帰郷の準備をしていたが、コンスタンツェの妊娠と体調もあり
1783年に持ち越したのである。

★モーツァルトは1782年10月19日付の書簡で父レオポルトの命名の祝日である11月15日までに一時帰郷をしたいが、
年末は音楽会の季節でもあり多忙となるので翌年春に行くつもりであると語っていた。その後、11月13日付の書簡では
明日(11月14日)発とうとしていたが、コンスタンツェのひどい頭痛のため延期せざると得なくなったと父レオポルトに
連絡しているのである。

1783年の活動は1月4日に宮中顧問官シュビールマン氏の音楽会に出席することから始まり、
1月15日には「ウィーン新聞」に3曲のクラヴィーア協奏曲(K.413/387a, K.414/385p, K.415/387b)
筆写譜販売広告を出したのである。
クラヴィーア協奏曲(第11番)へ長調K.413(387a)(第12番)イ長調K.414(385p)(第13番)ハ長調K.415(387b)
いずれも前年1782年秋から末にかけて書かれた。
★この販売(3曲で4ドゥカーテン)は予約者が集まらず失敗に終わっている。

レオポルトには1月4日付で年初の手紙を書き、コンスタンツェと結婚できた暁にはザルツブルクの
教会にミサ曲を捧げるとの誓約を心の中でたてたが、そのミサ曲の半分は完成していると語るのである。
★K.427(417a)ミサ曲 ハ短調(キリエ、グローリア、サンクトゥス、ベネディクトゥスのみ完成、その他は未完) 作曲時期82年末~
83年5月頃。1783年10月26日聖ペテロ大修道院付属教会で演奏されることになる。

3月23日には皇帝ヨーゼフ2世臨席のもと、ブルク劇場公開演奏会を主催し、異常なほど熱烈な
好評を博し、大成功をおさめたのであるがこの演奏会の模様につき父レオポルトに次の通り
報告している。(1783年3月29日付書簡)

≪ぼくの演奏会の成功について、あれこれ語るまでもないと思います。たぶん、もう評判をお聞きに
なったでしょう。要するに、劇場はもう立錐の余地がないほどで、どの桟敷席も満員でした。
なりよりもうれしかったのは、皇帝陛下もお見えになったことです。そして、どんなに楽しまれ、
どんなにぼくに対して拍手喝采してくださったことか。(中略)なにしろ、皇帝のご満足は際限が
なかったのですから。25ドゥカーテンを賜りました。≫

上述のモーツァルトの書簡でこの演奏会のプログラムが記載されている。次の通りであり、
まず交響曲「ハフナー」K.385の最初の楽章(第1楽章から第3楽章)が演奏され、プログラムの
最後に再度同じ交響曲「ハフナー」の終楽章(第4楽章)で締めくくられる構成となっている。
その間、協奏曲、声楽曲(アリア)、独奏曲(モーツァルト自身による即興演奏を含む)など
盛り沢山な内容となっており、皇帝ならずとも大満足し得るプログラムなのである。

①「ハフナー交響曲」(K.385) (第1/2/3楽章)
②アロイジア・ランゲ夫人(ソプラノ、旧姓ヴェーバー)の独唱によるオペラ「イドメネオ」(K.366)の第11曲イーリアのアリア 「今やあなたが私の父」
③モーツァルトの独奏による「クラヴィーア協奏曲(第13番)ハ長調」(K.415/387b)
④アダムベルガー(テノール)独唱によるシェーナ「哀れな私は,どこにいるの"Misera, dove son!"」(K.369)
⑤コンチェルタンテ楽章:「ポストホルン・セレナード」(K.320)の第三楽章コンチェルタンテ・アンダンテ・グラツィオーソ
⑥モーツァルト独奏による、ロンド・フィナーレ(K.382)付の「クラヴィーア協奏曲 ニ長調」(K.175)
⑦タイバー嬢独唱による「ルーチョ・シッラ」(K.135)のジューニアのアリア
⑧モーツァルトのクラヴィーア独奏で小フーガ(即興演奏)と変奏曲2曲(K.398/416eK.455
⑨アロイジア・ランゲ夫人独唱によるレチタティヴォとアリア「わが憧れの希望よ、ああ、おまえはしらないのだ、その苦しみがどんなものか」(K.416)
⑩「ハフナー交響曲」(K.385)の終楽章

★変奏曲2曲:K.398/416a=≪パイシェッロのオペラ「哲学者気取り、または星占いたち」の「主よ、幸いあれ」による
6つの変奏曲 へ長調≫とK.455 =≪グルックの「メッカの巡礼たち」のアリエッタ「愚民の思うは」による10の変奏曲 ト長調≫

≪親愛なお父さん!おめでとう、あなたはお爺ちゃんになりました!きのうの朝、17日の6時半に、
愛する妻が、大きくて、元気な、ボールのようにまるまるとした男の子を無事出産しました。≫
(モーツァルトよりザルツブルクの父レオポルトへの1783年6月18日付書簡)

6月17日無事長男が誕生し、名づけ親(教父)となった友人の男爵ライムント・ヴェツラル・フライヘル・
フォン・プランケンシュテルンの名から「ライムント」と父レオポルトの名をとって「ライムント・レオポルト」と
名づけられた。目鼻立ちがモーツァルトに瓜ふたつで妻コンスタンツェ共々大喜びなのである。

この生後1ヶ月程の赤ん坊を乳母に預け、モーツァルトは7月末コンスタンツェを連れ、ザルツブルク
里帰りを果たすのである。コンスタンツェを父レオポルトと姉ナンネルに紹介し、結婚に際して生じた
気まずさを修復しようとの意図もあったのであろう。

故郷ザルツブルクには約3ヶ月ほど滞在し、家族で教会に行ったり、友人たちと音楽をしたり、オペラや
演劇を観たりして旧交を温めるのである。

ザルツブルクを発つ1日前の10月26日、聖ペテロ教会で「ハ短調ミサ曲」(K.427/417a)を捧げ、
コンスタンツェソプラノ・パートを歌った。ザルツブルク宮廷楽団や宮廷歌手が友情出演してくれたのである。
★聖ペテロ教会(ザンクトペーター教会又は聖ペーター僧院教会、St.Petersstiftskirche)ザルツブルクの守護聖人である
聖ルーペルトスが696年に開いたベネディクト派の教会であり、ドイツ語圏のなかでは最も古いとされる男子修道院に付属する教会。

翌27日ザルツブルクを発ったモーツァルト夫妻はランバッハを経由し30日にリンツに到着、旧知のトゥーン・
ホーヘンシュタイン伯爵邸で1ヶ月程を過ごすのである。わずか4日間で「リンツ交響曲」(K.425)を
作曲しリンツの劇場(フライハウス)で初演した。その後、リンツ滞在中にウィーンで演奏するため
クラヴィーア・ソナタ変ロ長調 K.333の作曲を手がけるのである。

★ヨハン・ヨーゼフ・アントン・トゥーン・ホーヘンシュタイン伯爵:(1711-1788)。リンツのフリーメイスン分団≪七賢人≫の主席であった。
★リンツ関連については弊記事ピアノ・ソナタ(第13番)変ロ長調 と動物たちをご参照。
★今回のザルツブルク一時帰郷がモーツァルトにとっては最後の帰郷となり、又、5歳年長の姉ナンネルと会ったのも今回が
最後となり、その後二度と再会することはなかったのである。

12月初め4ヶ月ぶりにウィーンに戻ったモーツァルト夫妻は、息子ライムント・レオポルトが3ヶ月以上も
前の8月19日に腸閉塞で死んだことを知らされたのである。12月6日の父宛の手紙にも、
≪ぼくら二人とも、あの哀れな、まる肥りの可愛い坊やの死をいたく悲しんでいます。≫
付記するのである。
★12月6日以前にもウィーン無事到着と長男の死をザルツブルクの父レオポルトに書いていると思われるが、
この書簡は消失している。

12月22日ブルク劇場でウィーン音楽芸術家協会の演奏会が催され、モーツァルトの新作の
レチタティーボとアリアあわれな男よ!夢なのか?あたり吹くそよ風よ "Misero! O sogno...
Aura, che intorno spiri"」(K.431/425b)をアダムベルガー(テノール)が歌い、モーツァルト
協奏曲を1曲演奏したのである。

12月29日には「二台のクラヴィーアのためのフーガ ハ短調」(K.426)を作曲しており、
モーツァルトが「クラヴィーアの国」と呼んだウィーンにおいて演奏家・作曲家として更なる飛躍の年
1784年を迎えるのである。
★フーガ ハ短調K.426:「バッハ・ヘンデル体験」に刺激を受けたモーツァルトのフーガ作品の一つ。


リンツの市街馬車.jpg     
1840年のリンツ "Linz"。 ドナウ川沿いに位置し、約70キロ北西にドイツのパッサウ、150キロ東にウィーンが
位置している。ウィーンとザルツブルクの路線上のほぼ中間地点にある。商工業都市として栄え現在はウィーン、
グラーツに続くオーストリア第三の都市である。


ブルク劇場は1778年から皇帝ヨーゼフ2世の方針により、ドイツ語オペラ(ジングシュピール)
を上演してきたが、3月4日、1782年から83年にかけてのオペラ・シーズン終了と共に
ドイツ国民劇場としての役割を終了し、イタリア語オペラの上演を再開することとなリ、
ジングシュピール上演はケルントナートーア劇場に移された。モーツァルトのジングシュピール
後宮からの誘拐」はブルク劇場におけるドイツ語オペラ最後のヒット作となったのである。

イタリア語オペラ再開の動きを敏感に察知したモーツァルトはイタリア語オペラの台本をあれこれ物色し、その数は
軽く百を越す」ものであった(5月7日付書簡)。7月末から帰郷するザルツブルク滞在中と12月初めにウィーンに戻ってから
次の二つのイタリア語オペラの作曲に手をつけるのであるがいずれも上演の当てのないオペラであることより、未完に終わっている。
尚、「カイロの鵞鳥」の台本作成を依頼したザルツブルクのジャンバティスタ・ヴァレスコ師(「イドメネオ」の台本作者)とは
モーツァルトの一時帰郷中に打ち合わせも行っている。
①2幕のオペラ・ブッファ「カイロの鵞鳥 ”L'oca del Cairo"」(K.422) 第1幕のフィナーレ前まで作曲。
②2幕のオペラ・ブッファ「騙された花婿 "Lo sposo deluso"」(K.430/424a)序曲と4曲のみ作曲。 

この時期のモーツァルトの主たる作品は次の通りである。

①クラヴィーア・ソナタ (第10番~13番)K.330~333
第10番ハ長調K.330 についてアインシュタインは「かつてモーツァルトが書いた最も愛らしいものの一つ」であると述べている。
第11番イ長調K.331第3楽章アラ・トゥルカ 「トルコ行進曲付」が抜きん出て有名ではある。
第12番ヘ長調K.332は全ソナタ中でも最も魅力的かつ優れた作品の一つとして評価する人は多い。
第13番変ロ長調K.333は1783年にリンツで≪リンツ≫交響曲完成の直後に書かれた。第12番と並ぶ傑作である。

②セレナード変ロ長調「グラン・パルティータ」(13管楽器のためのセレナード)K.361(370a)
1781年から84年の間に作曲されたとされている。

③弦楽四重奏曲「ハイドン・セット」
第15番ニ短調 K.421(417b)「ハイドン四重奏曲 第2番)」
第16番変ホ長調 K.428(421b) 「ハイドン四重奏曲 第3番」(新全集では第4番)

ホルン協奏曲(第2番)変ホ長調 K.417
ザルツブルク宮廷楽団のホルン奏者でモーツァルトの親友のヨーゼフ・イグナーツ・ロイトゲープは夫人の実家の家業(チーズ商)を
相続しウィーンに移住していた。モーツァルトはウィーンでもホルン奏者としても活動していたロイドゲープと親しく付き合い
彼のために1783年5月27日ホルン協奏曲(第2番)変ホ長調/86年(第4番)変ホ長調/87年(第3番)変ホ長調/91年(第1番)
二長調と4曲のホルン協奏曲を作曲するのである。(モーツァルトの最後の年1791年の協奏曲はモーツァルトの死によって
ロンド楽章が未完に終わっている。)

⑤「ミサ曲 ハ短調」K.427/417a (キリエ、グローリア、サンクトゥスと2曲のみの未完楽章としてクレード)

⑥ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲
ト長調K.423と変ロ長調K.424
ザルツブルクに一時帰郷中、ミヒャエル・ハイドンのために作曲したとされている。ハイドンが病気に
なり、大司教から依頼されたヴァイオリンとヴィオラのための6曲の二重奏曲を完成できずにいると
聞いたモーツァルトが不足分の2曲を代作してやり、ハイドンは自作の4曲の二重奏曲(MH335~338)
と合わせることで対応し得たのである。


クラヴィーア・ソナタ(第11番)イ長調K.331           セレナード変ロ長調「グラン・パルティータ」K.361(370a)
第3楽章ロンド・アラ・トゥルカ 「トルコ行進曲付」            (13管楽器のためのセレナード)
ウラディミール・ホロヴィッツ Vladimir Horowitz            第3楽章 アダージョ 変ホ長調
     
                                   楽器構成:オーボエ2、クラリネット2、バセット・ホルン2、
                                   ホルン4、ファゴット2、コントラバス

聖ペーター教会-1.JPG     
聖ペテロ大修道院付属教会で10月26日「ミサ曲 ハ短調      ミサ曲 ハ短調 K.427(417a) I.キリエ アンダンテ・モデラート
K.427/417aを初演                        指揮:ジョン・エリオット・ガーディナーJohn Eliot Gardiner 
(St.Petersstiftskircheザンクトペーター教会、           イギリス・バロック管弦楽団/モンテヴェルディ合唱団         
聖ペーター僧院教会とも呼ばれる。)               The English Baroque Soloists and the Monteverdi Choir  
★ザルツブルクの発祥の地ともいえる場所に立っており、
内部は18世紀にロココ様式に改修され、祭壇や天井・壁面などは
華麗な装飾が施されている。「聖ペテロの生涯」「十字架を背負うイエス」など、
キリストに関する多くの絵画が飾られており、華やかな中にも厳かな雰囲気をかもし出している。


弦楽四重奏曲(第15番)ニ短調 K.421 (ハイドン・セット第2番)     交響曲(第36番)ハ長調 K.425 「リンツ」
第一楽章 アレグロ・モデラート                       第4楽章プレスト         
フロンザレイ弦楽四重奏団 The Flonzaley String Quartet      ヘルベルト・フォン・カラヤンHerbert von Karajan
                                   ベルリン・フィルDie Berliner Philharmoniker
     
妻コンスタンツェの証言によればこの作品は彼女の初産の頃に
書かれ、そのうち第3楽章は83年6月17日の出産当日に作曲された。


リンツ関連記事
リンツで作曲された交響曲(第36番)ハ長調K.425 「リンツ」とピアノ・ソナタ(第13番)変ロ長調 K333について
ピアノ・ソナタ(第13番)変ロ長調 と動物たち 


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LittleMy

ミサ曲 ハ短調 K.427(417a)好きです。ジョン・エリオット・ガーディナー指揮の演奏も好きで、CDよく買っていました。
by LittleMy (2010-09-09 09:16) 

塩

いつもお心のこもったコメントをありがとうございます。
長男ライムント・レオポルトは生後2カ月と2日で亡なりますね。当時としては仕方なかったかも知れませんが、モーツァルトの子ども6人のうち成人したのは2人ですから、今の私たちには残念でならないことの1つです。
ひきつづいてお書きになられる記事を楽しみにしています。
by (2010-09-09 10:17) 

mikoto

こんにちは
モーツアルトの第一子は数か月で亡くなられたとは痛ましいですね。
今でも男の子は難しいと言われますので、この時代だと大変だったのでしょうね。

セレナード、とても気の休まるいい感じの曲ですね~
ミサ曲も>華やかな中にも厳かな雰囲気 と言うのがピッタリの
綺麗な曲ですね~
歌声も素敵でした^^
by mikoto (2010-09-09 14:35) 

アマデウス

LittleMyさん!こんにちは~☆
モーツァルトの教会音楽には素晴らしい曲が多々ありますよね☆
コメントありがとうございます☆

by アマデウス (2010-09-10 06:46) 

アマデウス

Dr.塩!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
当時、乳児は乳母や里子にだされるのが常識となっていた様ですね☆捨て子も非常に多かったとのことで、乳幼児死亡率は全国平均では25%以上はあったのでしょうね☆こちらこそDr.塩のブログ引き続き楽しみにしております☆

by アマデウス (2010-09-10 06:52) 

アマデウス

mikotoさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
当時の都会では母乳で乳児を育てるという考えはなく、95%の乳児は乳母に預けられ、乳母への支払いが捻出出来ない家庭はやむなく自分の母乳で育てるという時代であった様です★勿論、乳幼児の専門医学も存在しておらず、現代医学からみれば信じられない様な育て方をしており、幼児死亡率も極端に高かったわけですね★現代から見ると赤ちゃんや幼児が可愛そう!。。。ということになりますよね★
by アマデウス (2010-09-10 07:01) 

バロックが好き

こんにちは♪
いつも、丁寧な記事に感心しています☆
生後1っか月で乳母に預けて出かけちゃうんですね。。。
母乳で育てていたら・・・モーツアルトジュニアの
活躍が見られたかも…ですね。

かなわないことですが、
私も、3月23日の演奏会を
聴いてみたかったです。
あ、着ていく服がありません。。。
by バロックが好き (2010-09-10 11:32) 

トラの父

ハフナー交響曲の最終楽章をプログラムの最後にもってくるとは,今では思いつかないことでしょう.このプログラム自体,さすがに皇帝陛下の御前に供するためか,なかなかお目にかかれないフルコースですね.

ライブで聴くことはまず無理なので,CDかLPでいつかお正月にでも再現してみたいと思います.

クラヴィーアソナタ13番K.333と動物たちの情景についての記事も,拝見しました.
なるほど,第1楽章では鳥たちが跳ね回っているところが思い浮かびますね.
第2楽章では,みんな遊び疲れてお休みでしょうか.
by トラの父 (2010-09-10 22:23) 

whitered

こんばんは。長男のライムント・レオポルトが二ヶ月あまりで亡くなってしまうなんてあんまりです。幼い子を残して、旅に出るのは、この頃の貴族の常識なんでしょうか。ブルク劇場でのプログラムは、オールモーツァルトなんですね。アロイジアさんとか、聞き覚えのある歌手の名前が出てきますね。ミサ曲、美しい調べでした。ありがとうございました。
by whitered (2010-09-10 22:45) 

アマデウス

バロックが好きさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
演奏会用の特別仕立てのロング・ドレスをもって馬車でお迎えに行きたいところですが。。。とりあえずPCでYouTubeにアクセス出来る様になったら、本文中の音楽会プログラムの緑色で記載している楽曲名、オペラ名などをクリックして下さい★各楽曲がYouTubeでお聴き頂けますよ★演奏会に行ったつもりでお楽しみ下さいね★


by アマデウス (2010-09-11 06:12) 

アマデウス

トラの父さん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
音楽会のプログラムとして交響曲の最初の楽章から始め、各種楽曲を演奏後、最後は同じ交響曲の終楽章でしめるという「交響曲サンドイッチ方式」は当時は良く採用されたプログラム編成方式であった様です★本文中のプログラムに緑色で記載している楽曲名、オペラ名などをクリック頂くと各曲のYouTubeにアクセスしますので、よろしければお時間のある時にでも皇帝臨席の演奏会にお出かけになった気分でお聴き下さい★
クラヴィーアソナタ(第13番)変ロ長調K.333の第二楽章アンダンテ・カンタービレはご指摘の通り、ウシ・ヤギ・ヒツジといった反芻動物たちは木陰でゆったり、もぐもぐと反芻し、ガチョウ、アヒルなどの鳥たちは池のほとりで
の~んびり目を閉じているといったところですよね★
by アマデウス (2010-09-11 06:26) 

アマデウス

whiteredさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
当時は乳児は母乳で育てず、生まれたらすぐ乳母あるいは里子にだすのが常識でした★モーツァルトの両親にも7人の子供が生まれましたが、5人は生まれてすぐに死んでしまい結局残ったのはナンネルとモーツァルトの二人だけでした★モーツァルトとコンスタンツェ夫婦にも6人の子供が生まれましたが次の二人を除いて4名は生まれてから数時間から数ヶ月で死亡しています★
①次男:カール・トーマス(1784年生まれ。73歳でミラノで死亡)
②四男:フランツ・クサヴァー・ヴォルフガング(1791年生まれ。53歳で死亡)
尚、四男は音楽家(クラヴィーア奏者、作曲家)となり、後年「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト2世」を名乗り、クラヴィーア曲、声楽曲のジャンルで作品番号付の曲を約30曲ほど遺しています。次男・四男は生涯独身で子供もいなかったのでこの二人でモーツァルト直系の血統は途絶えたのです★
by アマデウス (2010-09-11 06:45) 

Hidekiyo.F.Metastasio

いつも有難うございます
このたび新たにブログを立ち上げました
よろしければ ご覧ください

久しぶりに アマデウスさんのブログに寄りましたが
緻密で洗練された文章
それでいて 読み手の配慮がいっぱいあって…
素晴らしいです アマデウス作品のように

by Hidekiyo.F.Metastasio (2010-09-12 12:02) 

アマデウス

Hidekiyo.F.Metastasioさん!こんにちは~☆
お久しぶりです☆こちらこそご無沙汰しております☆
Pietro Metastasioのプロフィール画像で、ご訪問頂き、嬉しいコメントありがとうございます!ご承知の通り、モーツァルトはメタスタージョのオペラ台本をもとに複数のオペラ(シピオーネ夢K.126、皇帝ティートの慈悲K.621)や多数のコンサート・アリア(例えば今回の弊記事ー皇帝臨席での演奏会でのアリアK.369もその一つ)を作曲していますね。。。ということでさらに親近感が増しました★これからも宜しくお願い致します☆

by アマデウス (2010-09-13 07:09) 

pegasas

やっと故郷へ錦を飾ることが出来ましたね。モーツアルトは
絶頂期なのでしょうね。でもお子さんを失くしたり可哀想な
所もありますね。沢山曲も書いていて幸せな時期でしょうか。
by pegasas (2010-09-16 18:18) 

アマデウス

pegasasさん!こんにちは~☆
コメントありがとうございます!
この時期を逃すと翌年1784年から超多忙・絶頂期となり、3ヶ月もの故郷滞在は物理的に不可能ということになるので、ある面良い時期に一時帰郷出来ましたよね★この一時帰郷がモーツァルトの最後の帰郷となったわけですから★

by アマデウス (2010-09-17 10:46) 

モッズパンツ

ザルツブルクに里帰りをするならば、ヤパーリ妻子共々を連れて帰りたいところですね。赤ん坊を連れて帰れないというのは、やはり交通事情が問題なのでしょうか。ガタガタ道に馬車では、ヤパーリ赤ちゃんは厳しそうですね。w (^ω^)b
でも、子供を預けっぱなしで、三か月というのは、ちょっと長かった気もしますね。う~ん、カワイソスですね。w (´・ω・`)

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2010-09-18 01:16) 

アマデウス

モッズパンツさん!こんにちは☆
コメントありがとうございます!
ご指摘の通りなのですが、当時は子供が生まれたら母乳で育てず、すぐに乳母あるいは里子に出すのが常識でしたから、今では考えられない育て方や里帰りをしていたわけですね☆
by アマデウス (2010-09-19 06:57) 

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